奈々福・貞鏡二人会 一龍斎貞鏡「中江藤樹」、そして神田松鯉のこのネタを聴きたい「天保六花撰 直侍召し捕り」
玉川奈々福・一龍斎貞鏡二人会に行きました。奈々福先生は「鈴木久三郎 鯉の御意見」と「ライト兄弟」、貞鏡先生は「中江藤樹」と「赤穂義士伝 楠屋勢揃い」だった。曲師は沢村まみさん、開口一番は桂伸都さんで「手紙無筆」だった。
貞鏡先生の「中江藤樹」。江戸初期における陽明学の学者の幼き日の読み物である。近江国高島郡小川村に生まれた藤太郎は五歳で父を亡くし、祖父である150石取りの武士、中江徳右衛門の養子として預けられる。
その徳右衛門が主君のお国替えにより伊予国大洲に赴かなければならなくなる。このとき、徳右衛門は藤太郎の母であるお市に藤太郎をどうするかと尋ねると、間髪を入れずに「亡き夫は一人息子を立派な人物に育てよ」と言い遺してあの世に逝った、心を鬼にしてお伴させてくださいましと願う。藤太郎が父の位牌に手を合わせ、出立する際も、母お市は「小川村の母のことは忘れて勉学に励みなさい」と送り出す。
それから4年が経ち、藤太郎が九歳になったとき、徳右衛門は母からの手紙を読んで聞かせる。その内容は比叡おろしの冬の寒さゆえ、ひびやあかぎれができているが母は気丈に過ごしているというもので、藤太郎はそれを涙をポロポロ溢して聞いた。
藤太郎は思い立ち、医者に行ってあかぎれに効く薬を求め、それを携えて旅支度をする。そして徳右衛門に対して「黙って行くことをお許しください」と心で唱えて、近江へ向かった。道中、野宿をしながら、今治、播磨、京、そして近江へ。吹雪の中、高島郡小川村にやっとの思いで到着する。
「かあさま!」と叫ぶ先には、井戸で水を汲む年老いた母の姿があった。お市が気づき、声の方向を見ると、確かに逞しく成長した藤太郎の姿がある。藤太郎は「居ても立っても居られず、あかぎれの薬を持参しました」。母は問う。「たった一人でここまで来たのか?4年前、私はあなたに何と申し上げたか?修業の途中で帰ってきたら、親子の縁を切ると言いましたよね。おじい様には伝えましたか?とんでもないことです」。
そして、「この薬は有難く受け取ります。一刻の早く伊予へ戻りなさい」と言う。藤太郎は「腹が減って、寒い。家の中へ入れてくれませんか」と頼むが、「なりませぬ。おじい様、お父様に申し訳が立ちませぬ」。藤太郎は母に会うことを励みにここまで来た。悲しさで胸がいっぱいだ。さらに母お市は言う。「この母の言葉がわからぬのか?早く戻りなさい」。
藤太郎の草鞋の紐が緩んでいるのを見て、「しっかりと結んで行きなさい」。だが、手がかじかんで結べない。母は見かねて、結んでやる。その母の首元にポタリと藤太郎の涙が落ちる。「道中、気をつけて戻りなさい」。
一度背中を向けた藤太郎だが、我慢できずに、「今一度、お顔を…」と言うが、母は戸をピシャリと閉めてしまう。暫くして母が戸を開けると、もうすでに藤太郎の姿はなく、積もりゆく雪の上にハの字の足跡がいくつも残っているのを確かめる。そして、亡き夫の位牌の前に行き、「藤太郎が戻ってきました。小さい身体で母のために薬を届けてくれました。すぐにでも抱きしめたかった。情けに負けず、心を鬼にして返しました。道中、間違いなきよう、見守ってください」。そう言って、泣き伏した。
藤太郎は無事に伊予国大洲に戻った。徳右衛門は「この母にして、この子あり。必ず立派に育てなければならぬ」と思ったという。母親の真の愛情とは、ただ可愛がるのではなく、ときには崖に突き落とす思いで子を育てる覚悟が必要なのだなあと感じ入った。
夜は「神田松鯉のこのネタを聴きたい」に行きました。天保六花撰から「直侍召し捕り」をお読みになり、その後に席亭の木積秀公さんが聞き役になっての芸談があった。
木積さんの「吉原が出てくる読み物を」というリクエストに応え、松鯉先生はこのネタを30年ぶりに蔵出しされたそうだ。先生の持ちネタは7割が速記本からの掘り起こしで、この天保六花撰も掘り起こしだそうだ。
ネタを覚えるのも、一字一句正確に覚える黒門町の“文楽型”ではなく、筋いわゆるプロットを頭に入れておいて、あとは自分の言葉で補う“志ん生型”に近いとおっしゃっていた。ただし、固有名詞はしっかりと頭に叩き込んでおく。
夢は?と訊かれ、「上手くなりたい。そして個性的でありたい」とおっしゃった。今の時代は上手いだけでは駄目で、いかに高座に自分の個性を光らせるかが大事だと発言されていたのが印象に残った。
「直侍召し捕り」。嵐の中、大口楼にいる三千歳花魁を足抜けさせた片岡直次郎、通称直侍は花魁を河内山宗俊に預け、カモフラージュとして吉原の泉湯に何食わぬ顔をして入る。すると、大口楼の三次郎がやって来た。「昨日は三千歳花魁の足抜け騒ぎでてんやわんやだった。あんたの仕業ではという噂だが」と言うと、直次郎は「それは知らなかった。三千歳とは起請文を交わした仲だが、俺という者がありながら、誰かにたぶらかされたのか」と言って、二階に上がる。
二階で直次郎が茶を飲み、煙草を飲んでいると、三次郎が上がってきた。直次郎の着ているのが翁格子柄の白袖、これは昨夜三千歳が着ていたものと同じだ。しかも三千歳と比翼の紋になった腕守りをしている。ピンときた三次郎は慌てて大口楼の御内所へ戻る。
御内所には主人と女将以外に、面番所の岡っ引きの親分が二人いる。昨夜の足抜けの件で来ていたのだ。三次郎は直次郎が怪しいと詳細を話す。岡っ引きは泉湯へ行くが、直次郎は虎屋に行ってしまったという。老舗の引手茶屋だ。そこへ乗り込むと、直次郎が大胡坐をかいて飯を食らっている。「何しに来た?」「番所まで御同道願いたい」「俺は御家人、天下の直参だぞ」。だが、岡っ引きは退かない。虎屋の主人が「直さん、行ってきなさいよ」と言うので、直次郎は巻紙に何かを認めて、「大至急、書いてあるところまで飛脚で届けてくれ」と女将に頼み、岡っ引きと外に出る。
面番所に到着すると、小出道之助という廓係の同心が待ち受けていた。翁格子の白袖と比翼の紋の腕守りを証拠に「三千歳花魁の廓抜けの手助け」をしたことを白状しろと迫る。だが、直次郎はひるまない。「あまっちょろいな。そんなケチなことをする直侍じゃない。翁格子など京都西陣でいくらでも売っている。俺も三千歳に惚れた弱味で真似をして買ったまでのこと」と言い、「面白くねえな!」と煙草盆を蹴飛ばした。
すると、小出は直次郎に縄をかけろと命じる。番所放火の廉(かど)で鎖で繋いでしまった。それでも直次郎は「必ず縄を解くときがくる。そのときに吠え面かくなよ」と強気だ。
そこへ直次郎からの巻紙を読んだお数寄屋坊主の河内山が駆けつける。「弟分が世話になっているそうで、お取次ぎください」。小出が煙草盆を投げて放火しようとした罪があると言うと、直次郎は煙草盆は岡っ引きが投げたんだと言い張る。小出が「わしは目の前で見た。片岡が蹴った」と言うが、河内山は凄む。「こんなことをして、ただで済むと思っているのか。直侍の背中には河内山が付いている。そして河内山の背中には須崎の御前が付いている」。
十一代将軍家斉が寵愛した側室、お鉄の方の父親は500石取りで中野播磨守石翁、通称須崎の御前。河内山が「須崎に話してくる。直、待っていろ」と行こうとするのを、小出が止める。将軍家に自分の不手際が伝わってしまうと役人としての立場が危ないと考えたのだ。「二人でしばらく話を…」。結局、大口楼から100両が詫びの金として直次郎に渡されるという…。
いつの日か、天保六花撰を通しで聴いてみたいと思った。