柳枝のごぜんさま 春風亭柳枝「錦の袈裟」、新宿末広亭十月下席 春風亭一之輔「時そば」
「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝勉強会」に行きました。「幇間腹」「錦の袈裟」「鹿政談」の三席。
「錦の袈裟」は2、3年ぶりに演ったそうだ。与太郎が兎に角、可愛い。この可愛さに惚れて、女房は結婚したのだろうと思わせる。そして、その女房がしっかり者ときているから、世の中はうまく出来ているなあと思う。
隣町に対抗して揃いの錦の褌でかっぽれの総踊りという趣向だが、錦は各自が調達するという型。質の流れ品で10人分の錦があるが、与太郎の分だけないから、与太郎は自分で何とかしろというのではないのが平等で良い。与太郎の女房はこういう粋な遊びをわかってくれる了見はないだろうと言えば、はねっ返り者だから何とかするかもしれないぞ、という町内の若い衆の読みが当たる。
与太郎が家に帰って、「行きたいんだなあ…女郎買いに行かせてください!」と女房に吉原遊びの許可を求めるところが可愛い。趣向について聞かされた女房は知恵者で、お寺の和尚さんに錦の袈裟を借りてくるという妙案が浮かぶのは流石だ。
「親類の娘に狐がついた」ので有難い錦の袈裟をかけて狐を追い払うという女房から教わった口実をちゃんと言えない与太郎だが、和尚さんもちゃんと察してあげて当寺に十三代伝わる袈裟を貸してあげるという。だが、与太郎は「こっちの新品の方がいい」と言って、寄進されたばかりの袈裟を借りたがる。和尚さんもまた与太郎のことを可愛いと思っているから、それを許してあげるのが良い。与太郎が他の住民と一緒に暮らしていけるバリアフリーな町人社会が素敵だと思う。
新宿末広亭十月下席九日目夜の部に行きました。主任は春風亭一之輔師匠、二階席こそ開かないが、一階席は桟敷席含めほぼ満席という盛況だった。
「雑俳」柳亭市遼/「六尺棒」春風亭与いち/漫才 ホンキートンク/「目黒のさんま」林家たけ平/「勘定板」橘家圓太郎/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「短命」春風亭一蔵/「雛鍔」柳亭市馬/奇術 小梅/「夢の酒」柳家小満ん/中入り/漫談 春風亭勢朝/音楽パフォーマンス のだゆき/「有名人の家」三遊亭天どん/「ぞろぞろ」蜃気楼龍玉/江戸曲独楽 三増紋之助/「時そば」春風亭一之輔
一之輔師匠の「時そば」の爆発的な面白さに客席が揺れた。「時そば」と言えばほとんどのお客さんが筋を知っている噺。それをトリの高座であえて掛けて、途絶えない爆笑…他の出演者とは段違いの腕を見せつけてくれた。
蕎麦屋が気が付かないで一文かすめる現場を目撃して、俺もやってみたい!と思う主人公のことを、頭のネジが2、3本外れて、中の基盤の配線がプチプチ切れているところに、八宝菜を掛けて混ぜたような脳の持ち主という表現が面白い。
翌日、自分もやってみようと蕎麦屋が荷を担いで歩いているのを、「蕎麦屋さーん」と大きな声で何度も呼ぶが、止まってくれないので前に回って通せんぼをすると、蕎麦屋は耳にワイヤレスイヤホンをしていてiPadでソフトバンク対横浜の試合中継を聞いていたという…。
「景気はどうなの?」に「初対面でそんなこと訊く奴とは友達になれない…言いたくない」。それでも「教えて!」と迫ると、「ウチはお得意が多くてね、いい暮らしさせて貰っています。正直、笑いが止まらない」。看板が丸に鯱で名古屋。「名古屋の出身なの?」「いえ、赤羽の生まれ。名古屋章さんが大好きだから。あばれはっちゃくのお父さん」「それは東野英心だろ!帰ってきたウルトラマンの隊長が名古屋章さん」。(名古屋章さんはウルトラマンタロウの隊長役と翌日に一之輔師匠がXで訂正)
火を熾すところから始めて、なかなか蕎麦が出てこないので、主人公が「俺は江戸っ子だ!早くしろ!」と急かすと、「横から五月蠅い!自分のペースでやりたいんだ!」とキレられ、「俺は川越。小江戸っ子だから大丈夫」。
割り箸かと思ったら、トンボ鉛筆2本で、しかも4B!器は地べたから掘り出してきたのかという汚さだと指摘すると、「使っているとドキドキ(土器)します」。大喜利か!
汁を飲むと「痛い!眉間を千枚通しで突かれた痛さだ!」。蕎麦は「きしめん?」という太さで、「それで名古屋なんだ!」。ここで繋がった!蕎麦は丼が地べたにつくくらいに長くて、「それで汚いのか!」。汁はうめてもらったが、まだ破壊力が落ちない。
竹輪を探していると、薄く切った丸いものが…。「質問があります。これは何ですか?」「トローチです。コーワの」。相変わらず汁がうめてもうめても鋭くて、「記憶が薄れる。30秒前が思い出せない」。だが、しばらくすると、「慣れるね…頭の中がスパン!と弾けた。昨日までの嫌なことが忘れられる!」。すると蕎麦屋が「それでお得意が多いんですよ。清原さんとか、清水健太郎さんとか」。麻薬性があるのか…。
それでもって、代金を払おうとすると、「30文です」。16文じゃないのか!「時そば」という古典落語に新たな1ページが刻まれた革命的な高座だった。