古今亭伝輔真打昇進披露興行大初日「幾代餅」
上野鈴本演芸場の始改メ古今亭伝輔真打昇進披露興行大初日に行きました。
「やかん」春風亭一花/紙切り 林家八楽/「都々逸親子」五明楼玉の輔/「替り目」古今亭志ん輔/漫才 すず風にゃん子・金魚/「強情灸」橘家圓太郎/「壺算」むかし家今松/奇術 アサダ二世/「芝居の喧嘩」春風亭一朝/中入り/口上/漫才 ホンキートンク/「不安な母」柳家花ごめ/「そば清」柳家さん喬/粋曲 柳家小菊/「幾代餅」古今亭伝輔
志ん輔師匠の一番弟子である始さんが真打に昇進して、伝輔を名乗る。志ん生~志ん朝~志ん輔と続く“軽やかで明るい芸風”の古今亭の系譜をしっかりと受け継ぐ意気込みが伝わってくる良い披露目だったように思う。
師匠志ん輔の口上が温かった。自分が朝太から真打に昇進するとき、師匠志ん朝に呼ばれ、「欲しい名前はあるか?」と訊かれた。そのときに臆面もなく、「志ん朝です!」と答えると「馬鹿野郎!志ん朝は俺だ」。「師匠が志ん生になればいいじゃないですか」と言うと、「わかった。お前は志ん輔だ」と言われたという。
志ん輔は初代。そして、弟子の伝輔も初代。「私が考えた名前です」と志ん輔師匠は言った後、「何百年という盆栽を譲り受けて枯らすよりも、新しい盆栽に毎日少しずつ水をやって、育てていく方が良いではないか」と。お客様から「良い盆栽になってきた」と言われるように、お客様と一緒に“伝輔”という名前を育ててほしいと激励した。
出囃子は亡くなった志ん駒師匠の「越後獅子」を、志ん駒夫人と駒治師匠から許可を得て、伝輔の出囃子として貰ったそうだ。志ん輔師匠の出囃子も「越後獅子」だが、切り取る部分が違う。伝輔師匠は高座で「師匠と同じ越後獅子というのがとても嬉しい」と喜んでいたのが印象的だった。
伝輔師匠の「幾代餅」。兎に角、明るいのが良い。大名道具の身分違いで会うことが叶わないと恋煩いで暗くなっている清蔵よりも、親方に「会いたきゃ会いに行けばいい。所詮、売り物に買い物。一年死ぬ気で働いてみろ。会わせてやる」と言われて、前向きに働くポジティブな清蔵が強調されているのが嬉しい。
一年後に13両2分貯まったので、吉原に行きたいと言う清蔵に対して、親方が「あれ、覚えていたの?無理だよ。嘘だもん!」と言って、「細かいところでチョッチョコと遊ぶ方がいいよ」と提案するのが可笑しい。でも、どうしても人形町の絵草紙屋の錦絵で見た姿海老屋の幾代太夫に会いたい、そこらへんの女で誤魔化すことができないという清蔵の決意は固い。そこにはチョッチョコ型の親方を納得させる情熱があるのだ。
実際、薮井竹庵先生も「チョッチョコは愚の骨頂。清蔵さんは大きなところに目を付けましたな」と感心している。親方も13両2分に1両2分足してあげて、15両を渡し、「気の残らないように、スパーンと使え!」と言って、卸し立ての自分の結城の対を着せてやり、吉原に送り出してやる気っ風の良さは江戸前だ。
そして、清蔵は幾代太夫に会えた。今度はいつ来てくんなますか?と問われ、真面目一筋の清蔵は正直に答える。「一年経ったら…一年経たないと来られない。私は野田の醤油問屋の若旦那ではなく、日本橋馬喰町搗米屋六右衛門のところの職人…」。そして、一年前に幾代太夫の錦絵を見て、「世の中にはこんな綺麗な人がいるんだ。一度でいいから会って話しがしてみたい」と思い詰めたことを嘘偽りなく喋ったことが、幾代太夫の心を打ったわけだ。
「あちきは来年3月、年季が明けます。そのときには、あちきのような者でも主の女房はんにしてくんなますか」。大逆転ホームランである。大名道具と言われ、庶民には手の届かないとされていた太夫が一回相手にしてくれただけでなく、女房にしてくれと頼むのだから、狐につままれた思いだったろう。
清蔵は“職人の希望の星”になった。餅屋を開いて、幾代という女房が店を手伝ってくれている。江戸っ子たちはこぞって幾代餅を買いに出かけたというのも、その夢のような話を確かめに来たということだろう。実におめでたい噺だ。真打昇進披露興行大初日は伝輔師匠の明るい高座で縁起良くスタートした。