扇辰ばなし 入船亭扇辰「藁人形」、そして「江戸の夢」

上野鈴本演芸場九月中席中日夜の部に行きました。今席は入船亭扇辰師匠が主任を勤め、「扇辰ばなし」と題したネタ出し興行だ。①匙加減②ねずみ③幾代餅④麻のれん⑤藁人形⑥江戸の夢⑦夢の酒⑧井戸の茶碗⑨五人廻し⑩甲府ぃ。きょうは「藁人形」だった。

「転失気」春風亭らいち/「マオカラー」入船辰之助/奇術 アサダ二世/「片棒」三遊亭歌奴/「長短」古今亭文菊/ものまね 江戸家猫八/「長島の満月」林家彦いち/「高砂や」入船亭扇橋/中入り/粋曲 柳家小菊/「夏泥」橘家文蔵/漫才 米粒写経/「藁人形」入船亭扇辰

扇辰師匠の「藁人形」。千住の若松屋の女郎、おくまの悪質な騙りがこの噺の肝だ。願人坊主の西念の親切心を手玉に取るところが許せない。神田の遠州屋という糠屋の一人娘として我儘放題に育ったのだろう。親の反対を押し切って、好きな男と上方へ駆け落ちしたが、うまくいかず、江戸に戻ったら実家は没落していて、両親は亡くなっていた。それで反省することもなく、自分の美貌を武器に女郎になる了見が気に食わない。

騙りの手口は巧妙である。まず第一段階として、西念に対し嬉しそうに上方の旦那に身請けされるんだと話す。しかも、駒形の絵草紙屋を居抜きで買い取ってくれて、その女店主に収まることができるという。その上で、「西念さんは死んだ父親にそっくりだ。引き取って一緒に暮らし、親孝行の真似事がしたい」と言うのだ。さぞ西念も嬉しく思ったことだろう。

そして第二段階。西念が若松屋を訪ねると、おくまが自棄酒を飲んでいる。飲まずにはいられない理由を訊くと、「絵草紙屋の後金20両をすぐ払え。待つことができない。払えないなら、この話はなかったことにしてくれ」と脅されたという。旦那は上方にいて都合をつけることができない、もう諦めるしかない、絵草紙屋の女店主の夢は駄目になってしまった…と嘆く。

この話を聞いた西念はおくまを救ってあげたいと思うのは当然だ。乞食坊主をしているが、元は鳶職をしていたが、仲間と殴り合いの喧嘩をして相手を殺してしまった。鳶を辞めるときに親方が音頭を取って花会をやってくれたときの蓄えが20両ある。その20両を用立ててあげると、おくまに優しく言うのだ。

20両を届けてくれたおくまは大層に喜び、「旦那が帰ってきたら、必ず返すから」と言って、「今晩は私のお酌で一杯やって、泊まっていけばいい」と応える。

だが、これが罠だったのだ。西念が風邪で七日ほど寝込んだ後に若松屋を訪ねると、おくまの態度は掌を返したようだった。「あの話はどうなりましたか?駒形の絵草紙屋の一件…」と西念が切り出すと、おくまは一体何のことを言うのだと言う顔をして、「変な言いがかりは困るよ。そんな大金、融通された覚えはないよ」。なおも西念が食い下がると、「ああ、あの20両かい?あれは勘定だと思って貰っておいたよ」。そして冷淡に「私の身体は金がかかっているんだ。指一本触れさせないよ。この乞食坊主!誰かとっとと追い返しちまいな!」。西念は若い衆に突き飛ばされ、転んで血だらけになりながら、帰宅するしかなかった。

親孝行の真似事とまで言っていたおくまにまんまと騙された形の西念の悔しさといったらないだろう。呪い殺してやる…という思いで、鍋に油を入れておくまに見立てた藁人形をぐつぐつと煮た。牢から出て来た甥の甚吉が「これからは真面目に働いて、叔父さんに親孝行の真似事をしたい」と訪ねてきたというのも皮肉な話である。

おくまという遊女の悪性に対する西念の恨めしい気持ちを考えると、とても居たたまれなくなる噺だけに、糠屋の娘だったから釘は効かないので、油で煮るというサゲで「ああ、これは落語。フィクションだよね」と聴き手を安堵させる効果をもたらすのかもしれない。

上野鈴本演芸場九月中席六日目夜の部に行きました。入船亭扇辰師匠が主任で「扇辰ばなし」と題したネタ出し興行。きょうは宇野信夫先生の作品である「江戸の夢」が演じられるため、都合をつけて伺った。

奇術 アサダ二世/「千早ふる」柳家小せん/「浮世床~本」古今亭文菊/ものまね 江戸家猫八/「老人前座じじ太郎」三遊亭白鳥/「棒鱈」春風亭柳枝/中入り/粋曲 柳家小菊/「馬のす」橘家文蔵/漫才 風藤松原/「江戸の夢」(宇野信夫作)入船亭扇辰

扇辰師匠の「江戸の夢」。浅草並木の葉茶屋の主人・奈良屋宗味と庄屋の武兵衛に婿入りした藤七に共通して流れる行儀良さ、品のある佇まいがこの物語にドラマ性を与えている。

6年前、武兵衛の許で働いていた八蔵が遣いに出た最中に足を怪我し、偶然通りかかった金毘羅参りの男が手当をして助けてやり、武兵衛の家まで送った。八蔵は高齢で、その男が身寄り頼りがないというので、八蔵の代わりに武兵衛の許で奉公することになった。その男が藤七である。

武兵衛の一人娘のお照が藤七に惚れた。当人同士が好いているならいいじゃないか、と武兵衛は藤七を婿に迎えたいと考えた。女房のおらくは「どこで生まれたかも、親の名前も明かさない、そんな氏素性の判らない人間を婿に迎えるのは嫌です」と反対した。しかし、武兵衛は藤七が悪い育ちではないことは見て判ると言って押し切った。実際、婚礼を挙げて以降、藤七の人間性の素晴らしさにおらくの不安は消えたし、村の衆の評判も高くなった。

武兵衛夫婦が江戸見物に出ると聞いたとき、藤七はある行動に出る。四里離れた村から荷車を曳いて茶の木を運んできた。そして、畑に植えて育てた。武兵衛が茶について尋ねると、藤七は「葉茶屋に奉公したことがある」と言って、そもそもの茶の始まり等の蘊蓄を熱く語るところ、後で考えると父親である奈良屋宗味への情愛が今もなお断ち切り難いという思いがあったのだろうと思う。

藤七は丹精込めて育てた茶の出来の良し悪しを浅草並木の奈良屋に行って目利きしてもらってほしいと武兵衛に願い出る。それは父親に対して「息子は今もあなたの知らない土地で元気にやっています、安心してください」というメッセージだったのかもしれない。

武兵衛夫婦が奈良屋を訪ね、「うちでは目利きなどしていない」と番頭が断る脇から事情を聞いていた宗味がやって来て、「是非拝見しましょう」と言う。懐紙に茶葉を載せて眺め、摘まんで口に含む。すると、宗味は表情が変わって、「話したいことがあります」と言って、武兵衛夫婦を奥の書院に案内する。そして、茶道具を取り出し、茶を淹れる。「ご一緒にいただきましょう」。何とも言えない甘味が口に広がった。

「あなたの婿殿はどういう方ですか?」、是非打ち明けてくれないかと宗味は武兵衛に願う。武兵衛は藤七が村にやって来て奉公し、縁あって婿に迎えた一部始終を話した。すると、宗味は「婿殿は酒は?」と問い、武兵衛が「生まれついての下戸だそうです」と答えると、「よく打ち明けてくれました」と礼を言う。

この茶は私が宇治で拵えた「玉の露」という名前の茶葉です。この拵え方を存じているのは広い世界で私一人です。ただ、一子相伝で倅にだけは伝えました。しかしながら、倅は今から6年前に死にました。私が言うのも変ですが、誠によく出来た男でした。ただ、酒の上の口論で人を殺めてしまった。そして、倅も遠いところに逝ってしまいました。

良い婿殿を持たれましたね。初孫が生まれるそうですね。他人事ながら嬉しい気持ちです。久しぶりに茶を味わいました。奈良屋宗味秘伝の茶をよく会得されました。宗味が喜んでいたとお伝えください。

本当は実の息子を目の前にして、秘伝の玉の露をよく会得した!と抱きしめたい気持ちでいっぱいだったろう。藤七がこの茶葉にこめたメッセージは十分に伝わったと思う。親子の情愛が茶葉を通して通じ合ったのだ。素晴らしい。

奈良屋を後にした武兵衛夫婦。女房のおらくが「あの方が藤七の…」と言いかけると、武兵衛はそれを制して一句詠む。つばくらめ幾年続く老舗かな。感動的なエンディングである。