落語協会黙認誌「そろそろ」06号

落語協会黙認誌「そろそろ」06号を読みました。

巻頭インタビュー 林家木久扇で、「なぜ弟子に一番最初にラーメンを売らせるか」という理由が興味深い。

僕の考え方の基本は「経済的な裏付けがないと、安心して落語家としてやっていけない」ってことなんです。僕の師匠(八代目林家正蔵)は「噺家は貧乏なもんだ」って言ってたけど僕は反面教師として受け取っていて。先ずは経済的な裏付けがないと全然余裕はないし。いくら落語が好きだっていってもカツカツで落語するのと、食べるに困らなくて安心して落語をするのじゃ、聞き手も違う受け止め方をするでしょ。(中略)

これは、うちのお弟子さんに言うんだけど、噺家の毎日の暮らしは「フライパンで豆が煎られてる」状態なのね。若い頃に「ウチで落語会やってください」とか、「一席幾らでやってください」って呼ばれることなんてそうそうないよね。その日暮らしで、尻に火がついてて「アチアチッ!」って、「明日の飯どうしようか」って。そうならない為にどうするかってことなんだよね。それはつまり、楽をしないで頭を使うってことなんだよね。以上、抜粋。

噺家として生きていくためには「常に頭を使え」というのはすごく合理的だと思うし、確かに二つ目で活躍している噺家さんはあの手この手で自分を売り出す努力をしている。“木久ちゃんラーメン”にはそういう深い意味があることを知った。

令和六年秋の新真打インタビュー4人の中で、柳家花ごめさんの話が印象に残った。

あんまり私は、女性だからこうするっていうのはやっていなくて。弁財亭和泉師匠が仰った言葉がしっくり来たんですが。「女性目線の落語って言うけど、そもそも目線はその人その人にしかないから、女性目線の落語はない」っていう言葉があって。「女性目線の」と言った時点で、男性が求めるものが入ってしまうわけで。男性とか女性ではなくて、自分の目線で噺の目線で落語をやることが大事だと思っています。だから私は、古典落語でも女性を主人公にってのはあんまりやりたくなくて、それだったら新作で女性が主人公の噺を作りたいと思います。以上、抜粋。

女性であることが落語家にとって個性であった時代は終わった。これからは女性が個性になる時代ではないと断言しているところに、花ごめさんの噺家として先を見通す覚悟が感じられて、好感を持った。

志ん松さんが七代目古今亭志ん橋を襲名して真打に昇進するにあたって、一門の惣領弟子である志ん丸師匠が寄稿した「六代目志ん橋のこと」が温かい。

昨年ですがアタシの師匠志ん橋が鬼籍に入りました。弟子入りして三十年あまり、実の子以上に面倒を見ていただきました。(中略)我が師匠はこんな事を弟子が言うのは口幅ったいですが仲間の噺家さん、落語ファンの皆さんのなかで志ん橋が嫌いだ、って方に会ったことがない、もっと言っちゃうと、志ん橋さんはいいねぇ~と愛されていた、そんな人です。大っぴらにお話しできない事を含めてたくさんの思わず笑わずにはいられないおもしろエピソードが山のようにある師匠でした。(中略)まあ落語の甚兵衛さんそのものでしょうか?

志ん松にとっては志ん橋を皆さんが良く覚えているなか、襲名するのは大変なことしかないと思います。ただ志ん松は師匠に似て不器用でのんびりしているところが弟子達のなかで優れて志ん橋に似ています。頑固で男っぽいです。愛想がないから取っ付き難いかもしれません。アタシの言うことも時々、鼻で嘲笑ったりもします。それでも可愛げがあって憎めないヤツです。

兄弟弟子で一番若く、時間がたっぷりある志ん松には焦らず、じっくり、堂々と、先の志ん橋のエッセンスに加えた、自分自身の志ん橋を作りあげてもらいたいと考えております。以上、抜粋。

志ん松さんは「幾代餅」「お見立て」「厩火事」など古今亭ネタを披露目では掛けたいと述べている。先代のイメージに拘らずに、どうか新しい“シン・志ん橋”として羽ばたいてほしいと思った。

「師匠の鞄」という新コーナーでは、林家正雀師匠の鞄の中について、弟子の彦三さんが取材していて面白い。

正雀師匠はいつも高座用とは別に手ぬぐいを二本、鞄に持ち歩いているそうだ。その二本は三遊亭小遊三師匠と春風亭一朝師匠の手ぬぐいで、それぞれに特別な思いがあるそうだ。

小遊三師匠は同じ大月市生まれの先輩。「噺家になりたくてね、(小遊三師匠に)相談したとき、反対されたんだ。でもどうしても噺家になりたくて、うちの師匠(八代目林家正蔵)の弟子になって、すぐ葉書がきた。<反対したけど、噺家になった限りは、ちゃんとやんな>って。(中略)小遊三師匠はね、あたしにとって有難い人」。

「やっぱり、一朝師匠はね、あたしの憧れの噺家なんだ。一朝師匠の高座って好きで、かるくてね。だけどね、かるいンだけど、ちゃんとね、重いンだよね。かるく重くできる方ってね、あまりいないと思うんだ。一朝師匠の噺は、好きだね。だからいつも、御守りのように鞄に入れてる」。

今でも「初心を忘れないように」という正雀師匠のお気持ちというか、拘りというか、それが痛いほど伝わってくるエピソードだなあと感心した。