神田織音「ぢいさんばあさん」「柳田格之進」、そして真山隼人「大石智者の一筆」「雨月物語 浅茅が宿」

神田織音独演会に行きました。「ぢいさんばあさん」と「柳田格之進」の二席。開口一番は神田ようかんさんで「柳沢昇進録 お歌合せ」だった。

「ぢいさんばあさん」。癇癪を起すとろくなことはない。美濃部伊織は三十一歳で、二十九歳のるんを妻に迎えた。るんは尾張家に奉公していたが大層気に入られて15年も仕えてしまい、婚期が遅れてしまったが、それだけ気働きができて、気立ての優しい女性ということだろう。結婚して4年後、るんが身籠ったタイミングで、伊織は京都二条の大番所に勤めることになった。本当は実弟の宮重七五郎が松平石見守に同行するはずだったが、怪我をしてしまい、代わりに兄である伊織が行くことになったのだ。「僅か1年の勤め」だから、るんと別々に暮らすのも仕方ないと考えた。

程なくして、るんは男の子を出産。伊織も美濃部家の跡取り誕生を大層喜んで、平内と名付けた。祝いに業物(わざもの)を求めようと、寺町の刀剣商を訪ね、見事な刀を買うことにした。だが、150両するという。手持ちは100両しかない。何とか負からぬかと粘り、「御子息の誕生祝い」ということで130両に値引きして貰った。だが、30両足りない。下嶋甚右衛門が融通してくれて、業物を求めることができた。

伊織は早速に鞘や鍔などを拵えに出して、自慢の一振りを手にする。柳原小兵衛ら友人を招き、十五夜の月見の宴を催した。そのとき、その宴に下嶋が現れる。自分が都合してやって購入できた刀の披露目に招かれていない不満があったのだろう、「身分違いの贅沢」と嫌味を吐いた。頭に血がのぼった伊織は下嶋に対し、刀を抜いた。柳原らが後ろから取り押さえたが、下嶋の額からは血が溢れ、この傷が元で下嶋は亡くなってしまった。癇癪が悲劇を呼んでしまった。

伊織は越前丸岡に流刑。るんと息子の平内は笠原家へ引き取られ、祖母の貞松院は弟の七五郎が預かった。ほどなくして、貞松院は逝去。また、息子の平内も五歳で疱瘡に罹り亡くなった。るんは松平筑前守の黒田家に奉公し、以後四代31年にわたって仕えることになる。六十九歳で隠居、終身二人扶持を賜る。そして、故郷の安房に暮らす。

伊織は丸岡で36年服したが、七十二歳のときに赦免され、江戸麻布の宮重家の離れに暮らす。すっかり白髪の老人だが、木剣を嗜み、夜は書見をする日々。そこに同じく白髪の品の良い老女が訪ねてくる。「これは」「これは」「るんか?」「るんにございます」「そうか…」。あとは言葉にならない。三十七年の歳月が経っても、夫婦の間に流れる情愛は変わらない。悲劇が引き離した二人が今、こうやって仲睦まじくしていることを微笑ましく思った。

「柳田格之進」。これまで聴いてきた「柳田」とはスタイルを異にするもので、興味深かった。月見の宴の晩、萬屋徳右衛門と柳田が碁を打っている最中に、番頭の金兵衛が「佐竹様の勘定方、大嶋様からの50両です」と言って革財布を徳右衛門に渡しているところをしっかり描写している。だが、何局打っても柳田に負け続け、夢中になっている徳右衛門はすっかり碁盤に心を奪われてしまい、50両のことなど忘却しても仕方ないという様子が手に取るようにわかる。

番頭は「柳田が怪しい」と睨んで、貧乏長屋を訪ねる。ここできっぱりと「50両の入った革財布をお戻しください」と進言している。これを聞いて盗人呼ばわりされた柳田は刀を手にかけるが、それを娘のみちが止める。町人を斬っても身の潔白が晴れるわけではない、父上が町人の家に行ったのが禍だったと説得する。番頭には「その50両は脇へ預けてある。三日の猶予がほしい」と言って、帰ってもらう。

柳田は賊と嫌疑を掛けられたからには、切腹すると言う。それに対し、娘は「ご無念はごもっともだが、金子を盗んだ嫌疑は腹を召しても晴れない」として、自分の身を吉原に売って50両を拵えてくださいと進言する。そして、その50両を渡せば、柳田に家名が汚れることはないというのだ。十七歳まで育てた娘を吉原に売ることも、また無念であることに変わりはない。涙が止まらない柳田の気持ちもよく判る。

後日、番頭の金兵衛が柳田から50両を受け取り、それを主人の徳右衛門に渡すと、「浪人者を家に入れたことが間違いだったか。戻って何より」という台詞も、これまでの「柳田」では聴いたことがない。だが、煤払いで離れの額の後ろから革財布が出てきた。徳右衛門はここで後悔する。「柳田様は余程ご無理をなさったに違いない。浪人者と見下した私の罪だ」。自分の至らなさに気づくのだ。

年が明けて、年始参りをしていた金兵衛が和泉橋の袂で莚を敷いて座り、破れ笠を目の前に置いて物乞いをしている柳田に出会う。「先生!」「徳右衛門殿は達者か?」。金兵衛は50両が離れから出てきた顛末を話し、謝罪をする。柳田は「出たか。これでわしの申し訳も立つ。参ろう」。

柳田は金兵衛と共に萬屋へ。徳右衛門は「私の粗相です。どうぞ、この首を斬ってください」と言う。すると、息子の徳三郎が、番頭の金兵衛が、さらに女房、奉公人一同が「替りに私の首を斬ってください」と願い出る。この情け深さに心が揺れた柳田は徳右衛門の首ではなく、碁盤を真っ二つに斬っていた。

「お嬢様は?」と問われ、吉原の松葉屋半蔵に身売りして50両を拵えたことを柳田は明かし、「身の潔白が晴れた。これでみちへの申し訳も立つ」。酒を酌み交わす。徳右衛門が息子の徳三郎は二十一になるが、娘さんをお迎えして婚礼を挙げさせてもらえないかと願い出る。

柳田が「みちは今頃、客の相手をしている」と受け流すも、襖が開いて奥の間から花嫁姿のみちと徳三郎が並んで座っている。「番頭に申し付け、駕籠を走らせ、身請けしました。まだ三月の見習い期間で、客を取る前でした」でハッピーエンド。柳田が仕官が叶って立派な身分になっているという型ではない。その方がリアリティーがあるのかもしれないと織音先生の高座を聴いて思った。

夜は真山隼人ツキイチ独演会に行きました。「大石智者の一筆」「エッセイ浪曲 田舎のスター」「雨月物語 浅茅が宿」の三席だった。

「大石智者の一筆」。山科に閑居した大石内蔵助は廓通いに狂い、大石ならぬ“軽石”だと悪評が高まる。だが、細井広沢は大石の真意を測るために一計を案じた。日ノ岡峠の桜茶屋の主人・甚助にけしかけ、四条通りで一分で求めたカワセミの描かれた掛け軸、細井の見立てでは惜しむらくは落款がないが、狩野探幽の画で150両はくだらない、これに大石が讃を添えれば200両の価値が出ると言う。

甚助は峠を通る大石を待ち構え、讃を添えてほしいと頼み込む。大石がその掛け軸に書いたのは、「濁り江のにごりに魚はひそむとも などかわせみのとらでおくべき」。だが、大石は書き損じたと言って、これを誰にも売ってはならないと言い残し去っていく。

これをいち早く買い取ったのは細井の回し者、10両を甚助に渡して掛け軸を持って行ってしまった。すぐに大石の回し者がやってきて、200両で買い取ると言うも、甚助の手元にはもうない。

細井広沢はこの掛け軸に書いた大石の意思を読み取った。カワセミは大石。魚は吉良だ。大石の仇討の意志は決して揺らぐことなく、やがて実行されるだろう…。果たして、赤穂浪士四十七人は吉良邸に討ち入り、仇討本懐を遂げた。良い読み物だった。

「浅茅が宿」。勝四郎は京都で商売をして江戸に戻ろうとするも、木曾で賊に遭ったり、熱病に侵されたりして、7年間帰ることができなかった。その間に、関八州では戦乱がおき、若者は軍に取られ、女子どもは安全な場所に逃げていった。だが、漆間の翁と勝四郎の女房の宮木だけは葛飾の土地を離れなかった。

勝四郎が葛飾に戻ったとき、村は変わり果てていた。だが、我が家と思しき一軒家に灯が点っているのを見つけ、勝四郎は中に入る。すると、女房の宮木がいた。顔はやつれ、目は落ちくぼみ、髪は乱れ、この世の者とは思われない姿だ。宮木は肩を震わせ、「会いとうございました。よくご無事で」。勝四郎は「つれない夫を許してくれ」と言うと、宮木は「それは過ぎたこと。こうしてお目にかかれた今、何を恨みましょう。よく来てくれました。待ちわびて、このまま焦がれ死ぬかと泣いて暮らしておりました」。

二人は手を取り合って、床の中へ入り、枕を並べて寝たかと思ったが…。夏ゆえに夜が明けるのが早い。夢から覚めると、横に女房の姿がない。しかも、屋根もないあばら家にいる。狐?狸に化かされたか?「宮木!」と叫ぶと、「女房は戻ってこない。宮木は死んだ」と言う翁が立っていた。昨夜の宮木は亡霊だったのだ。

この村は戦で皆が去って行った。わしと宮木だけが残った。宮木は「この家を守る」と言って、外に出ようとしなかった。そこにある墓は宮木がそなたと暮らした跡じゃ。わしが弔いをした。そう言って翁は宮木が今わの際に書いた三十一字を勝四郎に渡す。そこには「さりともと思ふ心にはかられて 世にもけふまで生ける命か」。

勝四郎は叫ぶ。なぜお前はこの里を離れてくれなかったのか。一途な心が恨めしい。もう一度、出てきてくれ!帰らぬ人の名を叫び続ける勝四郎の姿に無情を感じた。