さん喬・権太楼特選集 柳家さん喬「たちきり」

上野鈴本演芸場八月中席六日目夜の部に行きました。今席の夜の部は吉例夏夜噺 さん喬・権太楼特選集だ。きょうは柳家権太楼師匠が「青菜」、柳家さん喬師匠が「たちきり」のネタ出しだった。

「猫と金魚」柳家吉緑/太神楽 翁家勝丸/「老人前座じじ太郎」三遊亭白鳥/「新聞記事」春風亭一之輔/漫才 米粒写経/「道具屋」柳家三三/「えーっとここは」柳家喬太郎/「蛸坊主」露の新治/中入り/紙切り 林家二楽/「青菜」柳家権太楼/粋曲 柳家小菊/「たちきり」柳家さん喬

権太楼師匠の「青菜」。お屋敷の暮らしに憧れる植木屋夫婦の庶民感覚が逆に愛おしく感じられて好きだ。鯉の洗いの下に敷いてあるぶっかき氷をジュルーッと口に頬張って、首の後ろを叩き、「この氷はよく冷えていますね」とか。青菜がないというのを隠し言葉で伝えていたことを教えられて、「うちなんか、こないだ三銭で買った菜っ葉がいつまであると思っているんだい!」ですよとか。鰯の塩焼きを尾頭付きだと言って、頭にはカルシウムといって滋養があって風邪ひかないんだとか。

植木屋亭主が女房に向かって「50年の不作。稲葉の旦那に騙された」と愚痴を言うところも。お見合いの場所が上野動物園で、カバの檻の前で2時間待たされて、ようやく旦那と今の女房が猿の山から下りてきた。カバをずっと見ていたから、誰でも良く見える、これは策謀だ!と昔の話を蒸し返すのが面白い。女房も負けていなくて、お屋敷の奥様が三つ指ついて「旦那様」と言ったことに、「そういう形の蛙が出ると明日は雨が降る」とか、隠し言葉を聞いて「火傷のまじないだろ!」とか、いかにも長屋の夫婦のやりとりらしくて微笑ましい。

さん喬師匠の「たちきり」。きょうは亡くなった小糸が弾く曲が「四つの袖」でなくて、「黒髪」だった。「四つの袖」は特別な会のとき、しかもお囃子が太田その師匠のときでないと演じないのだろう。

この噺のメインテーマは若旦那に対する芸者・小糸の純愛だと思うが、もう一つポイントがあって、番頭の若旦那を思う気持ちだと思う。番頭は何も意地悪をしたくて、若旦那に乞食になれとか、百日の蔵住まいをしろと言っているのではない。心の底から若旦那に道楽をやめてもらって、お金の有難さを知ってもらい、末はこの店を立派に継げる旦那になってほしいと思っているのだ。

だから、若旦那が蔵住まいを始めたときに毎日届けられる小糸からの手紙を若旦那に渡さずに抽斗にしまっていた。だが、これが百日続けば、番頭の方から大旦那に進言して、若旦那と小糸を一緒にさせてあげようと思っていたのだ。蔵住まいが百日になったとき、番頭は「長い間、ご辛抱いただきありがとうございました。私のような奉公人の言うことを聞いていただいたことに感謝します。若旦那があのまま勘当になったらどうしようと思っていました」と頭を下げる。若旦那も蔵の中で「これまで一度も考えたことのなかった、父のこと、母のこと、奉公人のこと」を考えることができたと言って、番頭を憎むどころか感謝しているところが素晴らしい。

さて、小糸の純愛である。蔵住まいが終わって、番頭が小糸からの最後の手紙を読み終えると、すぐに柳橋に向かう。「かあさん、色々あって来られなかった。これからまたちょくちょく顔を出すよ。小糸に一目会わせてください」と願うと、かあさんは位牌を持ってくる。「小糸はこんなになっちまいましたよ」と言うかあさんに対し、生き死にを洒落や冗談にするのはよくないと若旦那が言うも、「嘘や冗談で言えるわけがない」。「嘘だよね、嘘だと言っておくれ…何でこんなになっちまったんだ!」。かあさんは「何でと訊かれたら、あなたのせいだと言いたくなるじゃありませんか」。

一緒に芝居見物の行く約束だったのに、現れない若旦那を案じ、「お約束を忘れたのかしら。かあさん、おたよりを書いても良い?」と手紙を出すが、返事が来ない。それが何日も続くと、「具合でも悪いのかしら」と心配し、毎日毎日手紙を出し続けたが一向になしのつぶてである。小糸は布団の上に、まるで小間物屋のように、浅草見物のときに買ってくれた簪、京都土産の鹿の子、帯留め…と並べ、これらを抱きしめて泣き腫らす。「若旦那、私のことを嫌いになったのかしら」。

それでも手紙を出すことはやめなかった。「私、若旦那に捨てられたら生きていけない」。文字が涙で滲んでも、手紙を書き続ける。ご飯も喉を通らなくなり、痩せ細った。「私、捨てられたら、生きていけない…」。そこに若旦那が誂えた比翼の紋の入った三味線が届いた。「若旦那はこれほど思ってくださっているのよ」と励ますと、「弾いてもいい?」。嬉しそうな顔をして、一撥弾いて、「良い音色だね」と言って、ニコッと笑った。だけど、それでも返事がなく、「かあさん、私、もう疲れた」。そう言って、事切れたという。

若旦那は「知らなかった。知っていれば、蔵の戸を蹴破ってでも出て来たんだ!」。百日の蔵住まいのことをかあさんに話すと、「そうと知っていたら、この子、こんなことにならなかった」。三七日。「弔ってやってください」と言われ、線香を手向ける若旦那。

三味線が鳴る。「あの子、若旦那が好きな黒髪を弾いています」。若旦那が酒を呷り、言う。「小糸は自分の命を削ってまで、私のことを思ってくれたんだね。私は生涯、妻という者は持たない。それで許しておくれ」。これを聞いて、かあさんも「今の若旦那の言葉を土産にして、綺麗なところへ逝っておくれ」。

黒髪の演奏がプツリと切れる。続きを弾かないのは、若旦那への未練を立ち切って、成仏しようという小糸の気遣いなのかもしれないと思った。