けんこう一番!三遊亭兼好「藁人形」、そして集まれ!信楽村 柳亭信楽「化け物使い」
「けんこう一番!~三遊亭兼好独演会」に行きました。「祇園祭」「藁人形」「締め込み」の三席。ゲストは浮世節の立花家橘之助師匠、前座は三遊亭げんきさんで「手紙無筆」だった。
「藁人形」。元は遠州屋という糠屋の一人娘だったが、周囲の反対を押し切って男と駆け落ちしたことで運が尽き、男に棄てられて千住の若松屋という女郎屋に身を落とし、お熊という名前で板頭を張っている。このお熊は子どもの頃はさぞ我儘し放題で育てられたのだろう、実に性悪な女だ。
西念という願人坊主に「死んだ親父そっくり。親孝行の真似事をさせてくれ」と甘い言葉を振りかけ、上方の旦那が駒形の絵草紙屋をそっくり買い取ってくれて、堅気となって商売を始めるという。だが、前金20両は払っているが、後金の20両がどうしても急に都合しなければいけなくなった…。こんな自分を親と思ってくれて、引き取って親孝行をしたいというお熊の言葉を西念はまともに受け取ってしまい、貯金していた18両2分をお熊に渡してしまう。5日後に若松屋を訪ねたときには、その金は客として店にあがったときの酒肴、祝儀の代金として貰ったのだとうそぶくお熊…。ああ、何て性悪なんだ。
西念はお熊を恨むのは当然だ。「おのれ、お熊、見ておれ」。藁人形をお熊に見立て、仕返しをするという…。鍋の中の油で藁人形を煮込み、呪い殺すのだという西念の狂気が怖い。なぜ、藁人形なら釘を打って痛み付けないのかと甥の甚七が訊くと…。サゲがいかにも落語で、気味の悪い噺を最後でストンと落とすところが、この噺の妙味だろう。
「締め込み」。家の主人に「お前が間男か?」と疑われ、「違います。この風呂敷を見てください」と言って、“祝20周年泥棒”と染め抜かれたところを見せる泥棒先生が可笑しい。
主人も「結びの神」だと喜び、酒を馳走するところ。「他に用はないのか?」「用はここで済まそうと思っていた…」。酒を飲み干し、「いい酒ですね。どこの酒屋?…ああ、今度入ってみます」。「駆け付け三杯?…駆け付けてないけど」とか、「入るときは忍び足。帰りは千鳥足」とか、矢鱈と陽気なキャラクターの泥棒先生が愉しかった。
「集まれ!信楽村~柳亭信楽勉強会」に行きました。「化け物使い」「青菜」「エレベーター」の三席。開口一番は玉川わ太さんで「転失気」だった。
「化け物使い」。冒頭に口入屋の千束屋で仕事を斡旋している風景を活写しているのが良い。「本所割下水に住む元御家人の岩田の隠居」で働く口、皆があそこは人使いが荒いという悪評を知っていて、手が上がらないところ、杢助が率先して名乗りを挙げるのが興味をそそる。実際、杢助は仕事をこなす要領が良くて、3年も続いたというのだから大したものだ。
だが、岩田の隠居が「化け物が出ると噂のある家」に引っ越すと聞いて、そればかりは勘弁してほしいと暇を貰うが、そのときの「そうと決まったら主人でも家来でもない」と断って、言いたいことをビシッと言うのが気持ち良い。いわく、お前さんは人使いが荒いのではなく、人使いに無駄が多すぎる。だから千束屋でも大層評判が悪いんだ。これは部下を使う上司の方に聞いてほしいフレーズだ。
杢助が去った後に現れる化け物が一ツ目小僧と大入道だけというのは寂しい気がした。のっぺらぼうは是非出してほしいところ。「なまじ目鼻があって苦労する人も多い」とか、布団を敷いてくれと頼み「あっ、そういう意味じゃない」とか、僕は「化け物使い」で好きな部分だから。コンプライアンスへの配慮だろうか。
「青菜」。全体的に植木屋さんのお屋敷暮らしへの憧れの強調が弱いように感じた。お屋敷の奥様と比べて、自分の女房は品という面で劣るという部分はよく伝わってきたけれども。
近所中に聞こえるように「鰯が冷めちゃうよ!」と言ったり、三つ指をついて「旦那様」と用を聞きにくる形を「そういう蛙が出ると雨が降るよ」と言ったり、隠し言葉を披露して「お前にわからないだろう」と言われると「火傷のまじないかい?」と言ったり。
でも、信楽さんが植木屋の女房は亭主よりも上をいっているところをちゃんと打ち出していたのが良かった。鯉の洗いについては実に知識が豊富だったし、鰯の頭にはカルシウムという滋養があることをちゃんと判っているし。「隠し言葉をお前は言えないだろう」と言われると、「言えるよ!お屋敷に住んで、鯉の洗いを食わせてみろ」と返すところなど、女房はすごいなあと思った次第だ。