新宿末廣亭 三遊亭わん丈真打披露興行「おせつ徳三郎」

新宿末廣亭の三遊亭わん丈真打披露興行八日目に行きました。末廣亭における林家つる子師匠と三遊亭わん丈師匠のネタの並べ方が対照的で面白い。つる子①しじみ売り②スライダー課長③中村仲蔵④お菊の皿⑤芝浜(おかみさん目線)⑥反対俥⑦子別れ(お徳編)、全て鈴本で掛けたネタを順番を変えて並べており、「披露目に向けて磨いた厳選演目を多くのお客様に聴いてもらおう」という姿勢が見える。一方のわん丈①紙入れ②幾代餅③寄合酒④宿屋の仇討⑤花魁の野望⑥井戸の茶碗⑦新ガマの油、鈴本で掛けたネタの重複は一切なく、披露パーティーで公言した「45日間を全て違う演目で」という目標に突き進んでいる様子が窺える。そして、きょうもわん丈師匠は「おせつ徳三郎」!大熱演であった。

「子ほめ」入船亭辰ぢろ/「熊の皮」柳家花ごめ/漫才 ニックス/「商売根問」柳家小せん/「お血脈」柳家三三/奇術 ダーク広和/「浅妻船」宝井琴調/「久しぶり!」三笑亭天どん/音楽 のだゆき/「銭湯の節」柳家喬太郎/中入り/口上/漫才 すず風にゃん子・金魚/「片棒」林家つる子/「真田小僧」柳家さん喬/太神楽 鏡味仙志郎・仙成/「おせつ徳三郎」三遊亭わん丈

口上は下手から、三三、喬太郎、琴調、わん丈、天どん、さん喬。司会の三三師匠、落語協会百周年という節目に真打に抜擢されたことは、日頃のたゆまぬ努力で掴み取った賜物と評し、当人は陰で人知れぬ苦労をしている、その背中を押すのはお客様の応援、どうぞ末永くご贔屓くださいと願った。

喬太郎師匠。わん丈には期待しかない、我々が脅かされるくらいで、それはかえって嬉しいことだと持ち上げた上で、「この男はあざといです」。高座で確実に受ける様子は頼もしい限りで、新作は言うに及ばず、「近江八景」のような珍品を爆笑の噺に仕立てる才能もある。ただ、この人は“勝つコツ”“勝つテクニック”を掴んでしまった。それが怖い。それで良いと思っていると、足元をすくわれる。折角の芽を摘んでしまう可能性もあると、あえて助言をした。

(わん丈の噺に)心がないとは思わない。ただ、受けることばかりに走らないでください。円丈師匠は破天荒な落語を創作したが、必ず心があった。先代小さんの教えにも、噺の中に人物が出ないといけないというのがある。これからも、もっともっと肚を据えて、噺の中に魂をこめてほしい。そうすれば、ものすごい噺家になれる。喬太郎師匠の心のこもった言葉が胸に沁みた。

琴調先生。落語界の大谷翔平、古典と新作を見事に二刀流でこなしていると讃えた。昔、本牧亭で落語会があったとき、私の後にあがったのが、ぬう生さん(後の円丈師匠)で、「競走馬イッソー」という新作落語を掛けていた。先輩が「あの人は円生師匠が一番認めている、一番可愛がっている噺家なんだ」と教えてくれた。古典の基本が出来ているからこそ、新作であれだけ面白い作品が作れるのだと思う。その精神を引き継いでほしいと期待した。

さん喬師匠。円丈さんとは若い頃、色々な試みをした。また、弟子の喬太郎が大変にお世話になった、その絆の強さを見て、「破門にしようかと思ったくらい」と冗談を飛ばした。今、これだけ新作を皆がこぞって演るようになったのは、円丈さんの力が大きいと思う。私も「下町せんべい」や「ぺたりこん」などを演りました。笑っているうちに涙が出てくるような噺が多く、素晴らしかった。れん生さんが真打に昇進したときに、師匠の円丈さんが紋付の羽織、袴を思うように着られなくて、ずっと傍にいて支えていたのが、わん丈さんだった。師匠思いの弟子、優しい心を持った弟子という印象を持った。預かった天どん師匠が一生懸命に水をやっても、本人が咲く気持ちにならないと大きな花は開かない。これから、わん丈さんが大きな花を咲かせますように応援してくださいと頭を下げた。

天どん師匠。披露興行も折り返しに近くなると、体調を崩しやすくなるものだが、わん丈はいたって元気ですと。心技体が充実しているというのは、こういうことなのでしょう。また、先輩や仲間にも気遣いが出来る男で、(昇進を抜かれた兄弟子である)ふう丈と良好な関係を保てるのも素敵なことだと、わん丈師匠の人間的魅力に言及しているのも良かった。

わん丈師匠の「おせつ徳三郎」。前半の「花見小僧」パートを演じ終わって、一呼吸おいて時計を見て、「まだ時間の余裕がありますね。続けます」と言うと客席から大きな拍手。「これがあざといと言われるところなのかな」と言いながら、「刀屋」パートを演じ、素晴らしい通し口演となった。

おせつとの身分違いの恋仲を問題視されて、徳三郎は暇を取らされて叔父宅に住まいをしていた。その2か月後、叔父と叔母がお店のお嬢様おせつの婚礼に行くと言う。相手は本町の大店の若旦那。これを聞いて、徳三郎は「嘘ばっかりじゃないか!馬鹿にしやがって!」と憤る。婆やからは「必ず、おせつお嬢様と一緒になれるようにするから」と聞かされていたからだ。

徳三郎は日本橋村松町の刀屋に飛び込む。「よく斬れる刀がほしい」と言うと、備前モノの15両する刀が差し出された。「そんなに斬れなくていい…人二人斬れればいい」。主人は木刀を差し出すと、「馬鹿にしているのですか!人が斬れないじゃないですか!」。どうも様子がおかしいと感じた主人は事情を訊く。「刀は武士の心。私が売った刀で何かあったらいけない。それならば…と思ったらお売りします。お聞かせください」。

徳三郎は友達の話として説明する。お嬢様と“友達”はお互い「好きで好きで仕方ない」恋仲になった。だが、その身分違いの仲が奥に知れて、長の暇を出されてしまった。婆やが「必ず一緒にする」と言っていたが、今晩お嬢様は婚礼だという。

これに対して、主人の応対が優れている。「偉い!お嬢様はなかなか出来ることじゃない。お友達もさぞ喜んだでしょう」。すると、徳三郎は「婚礼に乗り込んで、お嬢様を斬って、自分も死ぬ」という。「そのお友達に伝えてあげなさい」と主人。あなたは馬鹿だ、間抜けだ、人間のカスだ。一度は愛した女を斬るなんて、そんな仕返しは駄目だ。男だけだ。そんな馬鹿なことを考えて、先を見失って。男は引きずる。女は違う、切り替わりが早い。そんな馬鹿なことをしちゃいけない。元の鞘に収まろうなんて、思っちゃいけない。兎に角、落ち着くことだ。

そこへ鳶頭が「迷子探しだ」と飛び込んでくる。お店の十九になるお嬢様が奉公人と無理やり引き離されて、今晩が婿を迎えて婚礼だった。お嬢様はその奉公人に悪いと言って、花嫁衣装で逃げ出した。これを聞いた徳三郎は刀屋を飛び出し、両国橋へ向かう。

両国橋の真ん中では欄干から大川を眺めている花嫁衣装の娘がいる。「お嬢様!」「徳かい?!」。「伺いました。お嬢様の気持ち、嬉しゅうございます」「もう私は家には帰らない。飛び降りて死ぬよ」「いけません」「どうして、止める?」「私は奉公人ですから」「あんな家に生れなければ良かった」「あの家に生まれたから、私たちは出会えたんです」「奥の上半…あのときの花見は楽しかったね」。次第にお嬢様の心がほぐれるのがわかる。

そして、徳三郎は誓う。「旦那に話だけでも聞いてもらいましょう。それで駄目なら、私が大きなお店の旦那になって、見返してやる。それが何よりの仕返しです。付いて来てくれませんか?行こう!おせつ!」「やっと名前で呼んでくれた」。

店の主従を超えた男女の純粋な恋愛に幸多かれ!と、聴き手である僕は祈るような気持ちになった。素晴らしい高座だった。