一龍斎貞鏡真打昇進披露公演「徂徠豆腐」
一龍斎貞鏡真打昇進披露公演に行きました。オフィスエムズさんの主催で、落語協会の柳亭市馬会長と立花家橘之助師匠が出演するという特別な会だ。
「扇の的」一龍斎貞奈/「愛宕の春駒」宝井琴調/「髪結新三 鰹の強請り」一龍斎貞花/「掛け取り」柳亭市馬/中入り/口上/浮世節 立花家橘之助/「徂徠豆腐」一龍斎貞鏡
口上の司会は貞奈さん。橘之助師匠は「本来は色物は口上に並ばないのだが、貞鏡さんたってのお願いで上がらせていただいた」。私が入門した頃は、噺家の女性は皆無に等しかったが、講談の世界は女性の方が多くいて、心強かったと。貞鏡さんは美形なだけでなく、色っぽさもあり、これは芸人にとって大切なことだとした。さらに最近は高座に迫力が出てきたとベタ褒めだった。言われるまで、三代続く血筋だとは知らなかったが、それは彼女が偉ぶるところ、甘えるところがないからだろう。さらに知らなかったのは4児の母親ということも聞いて、驚いた。大谷選手もビックリ!だと。
市馬師匠は「一龍斎には落語協会は大変お世話になっている」と。貞鏡さんの今の師匠の貞花先生の師匠の六代目貞丈先生は落語協会に所属して活躍いただいた。また、六代目貞山先生は「二度目の清書」で名を馳せた人だが、落語協会の会長を務められた。だから、その後は一時、講談落語協会という名称になっていたと。ゆくゆくは貞鏡さんにその貞山を襲名してほしいと誰もが思っている。手に取って、共に登らん、花の山といつもの決まり文句で締めた。
琴調先生は貞鏡のお祖父さんの七代目貞山は「おばけの貞山」という異名をとったほど、怪談を得意とし、数々の逸話を遺した人、古武士のような雰囲気をもっている方だったと。そして、父親の八代目貞山は美しい高座姿、旗本のような風格、品の良さのある講談師だったと。七代目も八代目も「女性は講談師になるべきではない」という考え方だったが、一旦、娘を受け入れるとそれはそれは厳しく鍛えられた。八代目は心臓に疾患があり、医師から「高座に上がったら、命の保証はない」と言われたが、それでも高座に上がり続け、まさに講談に命を懸けた方だと讃え、その遺志を貞鏡に継いでほしいと願った。
最後に貞鏡を預かった貞花先生が、「このように落語協会の会長が口上に並んで頂けるのも、いかに貞鏡が幅広く活動してきたかを表わしている」と喜んだ。父の貞山の三回忌に真打昇進、そして十三回忌に「九代目貞山襲名」でいかがでしょうか!と観客に呼びかけ、拍手が起こった。そして、真打はゴールではない、相撲でいう十両に上がったようなものだ、これから真価が問われると言うのを忘れなかった。
貞鏡先生の「徂徠豆腐」。情けは人の為ならず、というメッセージが強く伝わる。一文無しの荻生徂徠に対し、上総屋七兵衛は職業もない、女房もいない、この男が徂徠であることどころか、学者であることすら知らずに、気前よく「明日からも餌を運んであげますよ」と優しく対処するのが素晴らしい。何の見返りも考えずに、豆腐やおからを二カ月間届けていたのだから、江戸っ子である。
元禄16年2月というから、徂徠が赤穂浪士47人の切腹を決め、それが実行された直後であろう。火事で焼き出された上総屋のために焼け跡に立派な豆腐屋を建て、そこで徂徠と上総屋が対面する。懐かしげに見つめる徂徠に、キョトンとする上総屋。思い出させるために、あの台詞を言う。「細かいものがないくらいだから、大きいものがあるはずがない」。上総屋が「冷奴の旦那!大層、出世なさって、おめでとうございます!」。
徂徠の感謝の言葉が良い。「そなたの心尽くしがなければ、飢え死にしておった。あのときに受けたご恩返しの万分の一だ。何卒、受け取りくれないだろうか」。それに対する上総屋の台詞も良い。「喉元過ぎれば熱さを忘れる世の中で、あればかりのことを覚えていらっしゃるとは」。
徂徠の口利きで、上総屋は増上寺の御用達の豆腐屋となって、大層繁盛したという美談に酔った。