新作歌舞伎「流白浪燦星」、そして擬古典落語の夕べ
新作歌舞伎「流白浪燦星」を観ました。言わずと知れた漫画家のモンキー・パンチさんにより生み出された「ルパン三世」の歌舞伎化だ。
僕が小学生時代にテレビアニメとして慣れ親しんだ傑作、これはきっと歌舞伎になっても面白いだろうと期待したが、その期待を大きく上回る面白さだった。
主演の片岡愛之助さんもプログラムのインタビューで「原作の漫画もテレビアニメも、もちろん観ていました。ルパンのお茶目で愛嬌があって、不二子ちゃんにあれだけ裏切られても好きという、一本筋が通ったところが好きですね。ダンディーで、オシャレで、決めるところは決める。いわゆるダークヒーローで、悪をもって悪を制するところに惹かれます」と答えているが、愛之助演じるルパンはまさにその通りの魅力満載であった。
脚本・演出の戸部和久さんはプログラムで次のように書いている。
ルパン三世が歌舞伎になる!そう聞いたら誰もがワクワクしないだろうか?もしも、この漫画が江戸時代に描かれていたら今ごろは古典歌舞伎になっていたのではないかと思う。ルパン、五ェ門、次元、不二子、銭形の個性際立つ面々ならば歌舞伎の世界にポンと飛び込んでも、え?もともとここに居ましたけど?と言いながら颯爽と登場できるだろう。「流白浪燦星」という外題にはそう言う思いを込めた。(中略)世相を捉えながら荒唐無稽、カッコ良くて洒脱で最後はスカッとする。それを目指した。つまり、それはまさに歌舞伎の本質なのである。ルパンの魂はそもそも歌舞伎だったのではないか?と思った。以上、抜粋。
配役は、流白浪燦星が片岡愛之助、石川五右衛門が尾上松也、峰不二子が市川笑也、次元大介が市川笑三郎、銭形刑部が市川中車。
あらすじはざっとこうだ。
安土桃山時代。流白浪燦星と次元大介は帝の御所から雄龍丸の刀を盗み出した。雄龍丸には、天下の大泥棒・石川五右衛門が持っている雌龍丸という雌雄一対となる刀がある。流白浪は雌龍丸と共に天下の大泥棒の名を五右衛門から奪い取りたいと、五右衛門に対決を挑むと、そこに峰不二子や銭形刑部が現われる。
世は太閤・真柴久吉の天下。貧富の差が激しくなり、人手不足でカラクリ人形が大流行りとなる。それを商う唐句麗屋銀座衛門は大儲けするが、峰不二子はそこに取り入っている。久吉は唐句麗屋にカラクリ兵を作らせ世界制覇を望み、機械仕掛けの不死の身体を得るために、卑弥呼の金印を手に入れようとする。
この金印をめぐって、流白浪、次元、五右衛門、不二子、さらに銭形が複雑に絡み合って、激しい争奪戦が繰り広げられる…。
舞台演出では、楼門五三桐や白浪五人男のパロディをはじめ、主要登場人物によるだんまり、本水を使った流白浪と五右衛門の大立ち廻り等、歌舞伎の趣向をふんだんに取り入れて、観る者を飽きさせない。
また、流白浪が不二子を呼ぶときの「不二子ちゃ~ん」、銭形を呼ぶときの「とっつぁん!」をはじめ、愛之助がお馴染みのルパン口調を駆使しているのが愉しい。音楽も耳慣れたルパン三世のテーマが邦楽のアレンジで演奏されるだけでなく、銭形が登場するときには銭形警部のテーマ「銭形マーチ」、不二子が花魁道中するときには峰不二子のテーマ「ラヴ・スコール」が演奏されたのは天晴れだった。
まさにエンターテインメントの王道をいく新作歌舞伎であった。
夜は「擬古典落語の夕べ 6~新真打の寄席噺~」に行きました。春風亭一蔵師匠、柳亭小燕枝師匠、入船亭扇橋師匠の3人が擬古典落語を演じるもので、前半は寄席でお馴染みの擬古典、後半は落語作家の先生三人が創作した擬古典落語のネタ卸しだった。
「狸の鯉」柳亭市遼/「猫と金魚」柳亭小燕枝/「試し酒」春風亭一蔵/「代書屋」入船亭扇橋/中入り/「我楽多堂」入船亭扇橋/「出てきた五十両」春風亭一蔵/「むらさめの君」柳亭小燕枝
入船亭扇橋「我楽多堂」(作:井上新五郎正隆)
隠居がどうしても手に入れたい古道具、それが井戸の茶碗なのだが、それを購入する資金としてこれまでコレクションしてきた古道具一切合切を道具屋に持ってきて換金しようとするが…。
さる公方様が吉原で散財してしまい、仕方なく自分の腰に差した刀を預けたときに貰った千両の領収証、ここに上様と宛名が書かれているとか。一休禅師が虎を抜け出させた何も描かれていない屏風とか。長谷川平蔵が人生を決めるのに使った賽子とか、鬼平半か丁(笑)。石川五右衛門の色紙「戸締り用心」、徳川綱吉の色紙「やっぱり猫が好き」…。すべて偽物で一銭にもならないという…。
春風亭一蔵「出てきた五十両」(作:小松繁)
三軒長屋の真ん中の住人の五助が死んだ。生前はケチで嫌われ者だったが、部屋を整理すると、50両とつげの櫛が入った巾着袋が出てきた。両隣のおみつと新吉、それに大家の久兵衛が山分けしようと相談がまとまるが…。
この三人の暮らしが最近派手だと評判が立ってしまい、町名主が大家に問い詰め、正直に話してしまう。親、兄弟、親類がいたら渡さなくてはいけない。だが、一週間探しても血縁のある人物は出てこなかった。そこで、湯島天神のイタコに五助を呼んでもらい、本人から訊いてみることに。すると、「弟がいる」と五助の霊は言う。
立ち会っていた、空き家に転宅を希望していた徳次郎という男が、「兄さん!」と叫ぶ。五助は元は伊勢屋の跡取り息子だったが、母親が早逝し、後妻に入った継母と折り合いが悪くて店を出て行き、後妻の息子である徳次郎が跡を継いだが店を潰してしまったという。何よりの証拠に、50両とは別につげの櫛があったでしょう、あれは五助の母の形見だったと。
これで50両の行方は一件落着かと思ったら、さにあらず!実は…。よく出来た噺だと思った。
「むらさめの君」柳亭小燕枝(作:荻野さちこ)
ある国の若君とある国の姫君の恋の噺。昔は見たこともない、会ったこともない人と縁組みすることが多かった。その両者の間を行き交うのは、和歌だったという史実から創作されている。
若君からの歌は「むらさめのむらくもさわぐゆうべにも わするるまもなくわすれえぬきみ」。そして、姫君からの返歌は「むらさきのむらくももゆるあきのそら むらちどりゆくこいのみちかな」。実は若君の歌は爺やが源氏物語から本歌取りした歌。そして、姫君の歌も婆やが同じく源氏物語から本歌取りした歌。
いずれにしても、若君も姫君も相手のことを考えると、モヤモヤする、果てはムラムラする、そういう恋心があって、それを慮って、爺やも婆やも歌を贈ったというのが、この噺の味噌だ。
やがて歌のやりとりから発展して、日時を合わせて鳥の声を聴きに行くと称して、牛車の中から相手の様子を窺う。次はお月見の宴に姫君を招き、やはり御簾越しに相手の様子を窺う。なんとも、やんごとなき男女の出会い、そして恋心を落語というユーモアに包んで表現していて、興味深かった。