立川談笑月例独演会「慶安太平記」第8話

立川談笑月例独演会に行きました。4月から連続で掛けている「慶安太平記」全9話も、今夜が第8話。来月で大団円を迎える。

初天神/黄金餅/中入り/慶安太平記⑧「挙兵前夜 松平伊豆守」

300万人の同志が集まった。100万両の軍用金も整った。由井正雪は紀州公を訪ねる。今の政(まつりごと)がいかに間違っているか。徳川幕府を転覆させ、世の中の有り様を変えたい。その情熱を紀州公、徳川頼宣に訴え、錦の御旗になってもらいたいと願い出る。

三代将軍・家光の天下。紀州公は御三家とは言え、将軍の座につけない。如何ともしがたい思いがある。正雪は熱く語る。「いざ、挙兵」となったとき、江戸のほか、京、大坂、そして駿府に兵、銃、金を配置してある。どうか担がれて、火中の栗を拾いませんか?苦しんでいる民を見捨てられるのですか?と。

頼宣の前に幕府討伐の血判状を広げる。そして、「お名前を頂戴したい」と迫る。頼宣は肯き、徳川大納言頼宣の花押と血判を捺し、さらに家康の寅の印まで附けた。そして、一言「ぬかるな」と言った。この血判状を持って、張孔堂の人間が全国を行脚し、名だたる大名たちが次々と「乗り遅れるな」と名前を連ねた。

六本木にある松平伊豆守の屋敷の通用口から一人の侍が出てきて、青山へ向かった。その侍に「林田!」と声を掛けたのは、張孔堂の提灯を持った村田だ。林田の最近の様子がおかしいとつけていたという。村田は「伊豆守に何を話した?!」と詰問し、言葉に詰まる林田を斬り捨てた。

村田が正雪にこのことを報告する。我らの企みを漏らしているのではないかと睨んだからだと説明する。すると、正雪から意外な事実を知らされる。林田は正雪が「伊豆守の様子を探れ」と命じて通わせていたのだった。「それをなぜ、その場で斬り殺す?相談した上で行動できなかったのか?」と逆に村田は責められた。

そして、「最近、お前の奥方の姿が見えぬが?」と訊かれ、言葉に窮すると、「女房を捕られ、伊豆守に内情を報せよと脅されたのか?」と正雪に迫られた村田。村田は「申し訳ない!」と言って、その場で切腹をした。

翌日。牛込榎町の張孔堂の前に黒塗りの駕籠が止まった。中から出てきたのは、松平伊豆守。「何用で?」と正雪が訊くと、伊豆守は「春の陽気に誘われ、飯田橋に花見に出た。そのついでに、評判の道場に行って、正雪先生の御尊顔を拝したいと思った」と答える。しばらくあって、「我が屋敷の鶯が帰ってこない…わかるか?…邪魔をした」。そして、「壁に耳あり障子に目ありだ。痛み分けというわけにはいかないから、そう思え」と言葉を残して、去って行った。

松平伊豆守。一筋縄ではいかない人物である。村の代官の子であったが、7歳のときに松平正綱に「将軍様の身の回りの世話をしたい。養子にしてください」と願い出る。正綱と繋がりのあった二代将軍秀忠が気に入り、9歳にして家光の遊び相手となった。37歳には老中に出世し、川越藩で川越街道や玉川上水の整備に力を入れた。島原の乱ではキリシタンの一揆を兵糧攻めで攻略するなど手柄を立てる凄腕だった。

ある日、張孔堂で「全員集合!」という号令がかかった。大将以上の120名が道場に集まった。軍用金、血判状、侍の数、全てが揃った。いける!と誰もが思ってから3年に月日が経っていた。

「待たせた。時は満ちたぞ。三代将軍家光ご逝去だ」。然るに、お世継ぎの家綱は9歳。江戸城は大騒ぎだ。決起するのは今しかない。天は我らを味方した。このときより他にない。「帝を上に掲げ、より良き政をこの世に現してみよう。立て!刀を置け。命が惜しい者はいるか?存分に暴れてやろうではないか。エイ、エイ、オー!」。鬨の声が上がった。慶安4年6月のことである。

さあ、次回が最終回。「大事、露見す」。どんな結末となるか、楽しみである。