三遊亭鬼丸「ちきり伊勢屋」、そして林家つる子「芝浜」

「内幸町タロ人会~三遊亭鬼丸独演会」に行きました。「ちきり伊勢屋」と「芝浜」の二席。開口一番は三遊亭彩大師匠、ゲストは漫才の風藤松原先生だった。

「ちきり伊勢屋」は鈴本演芸場で師匠が9月中席に主任を勤め、ネタ出し興行したときに聴きたい!と思ったが都合がつかずに聴けなかったので、嬉しかった。大変に長い噺なので、演者の編集能力が問われるが、鬼丸師匠いわく「鈴本は30分から35分に収めなければならなかったが、今回はそのときにカットした部分も含めた完全版を演ります」とのことで、大変に聴き応えのある高座だった。

麹町にある質屋、ちきり伊勢屋の若旦那の伝次郎に対し、番頭が「去年大旦那が亡くなって、伝次郎様がお店の主人なのですから、所帯を持ってください」と遊んでばかりいて苦労を知らない伝次郎に発破をかける。そして、どんな縁談が良いか、平河町で評判の占い師の白井左近に見てもらうように勧める。

白井左近は伝次郎の額に死相が出ている、来年2月15日、九ツの刻に死ぬと言う。去年七十で亡くなった父親は“ケチ伊勢屋”“乞食伊勢屋”と陰口を叩かれるほど、周りを踏みつけて身代を築いた、人々の恨み、辛み、妬み、嫉みを買って、商売をしてきた、その因縁が伝次郎にのしかかっているのだという。

そして、現世では無理だが、来世またはそのまた来世で天寿を全うするために、人に施しをしなさいと伝次郎は言われる。信じられない気持ちだったが、番頭に訊くと「白井左近はとりわけ人の生き死にを占うのを得意としている」「確かにお父様は人の嘆き、苦しみ、悲しみを買うような酷い商売をしてきた」と認める。

伝次郎は以来、ちきり伊勢屋の全財産を投げうつつもりで、困った人、貧しい人に施しをするようになった。だが、それを悪用して金をふんだくるような悪い奴も沢山いて、人間不信で伝次郎はふさぎこむ。そして、白井が予告した2月15日の5日前から通夜を行い、幇間や芸者を揚げてどんちゃん騒ぎをして、店の権利書は幇間の一八に預け、奉公人たちにもたっぷりと退職金を渡して里へ返す。

2月15日九ツ。白装束姿の伝次郎はお棺に入り、死を待っていたが、その刻を過ぎても自分は生きていることに気づく。どうしよう?身に付けていた、30両を費やして作った経文の書かれたズタ袋を売り払って裏長屋に住むが、すぐに持ち金は底を尽き、店立てに遭い、乞食同様になってしまった。

こうなったのも白井左近のせいだ。平河町を訪ねるが、「人の生き死にを占った」罪で江戸処払いとなっていた。四ツ谷大木戸に住んでいると聞き、訪ねると、白井は伝次郎を見るなり、逃げるかと思いきや、さにあらず。「会いたかったぞ!」。伝次郎の額を見て、「死相が消えている。八十まで生きる」。だが、一文無しだ。「辰巳の方角に吉あり」と言われ、品川新道へ行くと、昔の友人の伊之助と出会い、お互いに文無しだったが、大家の勧めで駕籠かきをすることになる。

客を探していたら、そこへ幇間の一八が現われ、「伝次郎さんが生き延びたと聞き、店の前で待っていたのですよ」。着ている着物を脱いで、伝次郎に渡す。この着物を質屋に行って、金に換えようとするが、質屋の番頭は「目が届かない」。乞食の格好の割りには良い着物なので、盗人と思われてしまった。仕方なく帰ろうとすると、さっきの番頭が「うちの主人が会いたいと言っています」。

その主人というのが、伝次郎が施しをしているときに、橋から飛び降りて死のうとしていた母娘の母親だった。夫が死んで店を乗っ取られてしまい、首を括るしかないと言う母娘に伝次郎は150両を与えたのだった。「お久しぶりです。あなたのお陰で死なずに済みました。こうして店も続けられました」。そして、この大和屋というこの質屋に養子に入って店の主人をやってくれないかと伝次郎は頼まれ、ちきり伊勢屋という名前は遠慮して、大和屋伝次郎として人生の再出発をするのであった。思わず笑みがこぼれるハッピーエンドだった。

帰宅して、「晴れたら空に豆まいて 代官山落語夜咄」の配信で林家つる子さんの「芝浜」を観ました。

おかみさん目線の「芝浜」が益々進化して、良かった。まず、勝五郎とおみつの馴れ初めが冒頭にあるのが素敵だ。大家に勝五郎がアジを薦めていたところに、おみつがやって来て、「美味しそう!とても綺麗な目をしているんだもの」と言うと、勝五郎が大層喜んで、「嬉しいね。気持ちだよ」と言ってアジを無料でプレゼントする。そんな勝五郎の目もアジと同じ綺麗な目をしているというのがいい。

この二人に縁を感じた大家が酒をご馳走すると言って、家に上げたのがきっかけとなって夫婦になる。勝五郎には“江戸中で一番美味い魚を商っている”というプライドがあり、そこにおみつも惚れたという部分があると思う。どんどん酒をお酌するおみつに対し、「ここまで!これ以上飲むと明日の朝の仕事に障りがあるから」と断る。酔っても仕事のことを忘れない勝五郎に、おみつはキュンとしたのではないか。岩田の隠居に「もっと安くならないか」と言われて、魚屋のプライドを傷つけられた勝五郎がムシャクシャして河岸に行かなくなってしまうというのも、その裏返しだろう。

芝の浜で50両入った財布を拾って、「これで遊んで暮らせる」と勝五郎が言ったことに不安を感じたおみつが大家に相談に行く段。一所懸命に働く、あの人と一緒にいたい…、おみつはそう思っていた。大家が「どうしたいんだ?」と訊くと、「あの人を起こす前に戻したい。やり直したい。なんで、こんなもの拾ってきちゃったんだろう。これが夢だったら、どんなにいいか…」。おみつのこの思いが浮かんだからこそ、大家は「夢にしちまえ」と言ったという流れが自然でいい。「勝は馬鹿だから…いや、馬鹿正直だから信じる」。

おみつは「嘘が嫌いなあの人に嘘をつくことになる」と躊躇した。だが、亭主に一所懸命に働いてもらって、「嘘が嘘じゃなくなるまでの辛抱」と自分に言い聞かせた。一年後に財布は落とし主が現われずに奉行所からお下げ渡しになった。でも。おみつは「別れる覚悟で嘘をついた。でも、この人と別れたくない」、そう思って、芝の浜の件は切り出せずにいた。

それが3年後の大晦日に切り出せたのは、勝五郎の口から出た言葉がきっかけだ。「俺は魚屋になって良かった。岩田の隠居が、コチが美味かった、寿命が2、3年延びた気がする、これからも長生きさせてくれと言った。これもお前のお陰だ。本当に魚屋になって良かった」。おみつはこの言葉を聞けて、「もう何もいらない。(芝の浜の財布のことは)今年の大晦日に言おう」と決断した。

掛取りが沢山来て、親が頭を下げて謝っている姿を見なきゃいけない大晦日は、子どもの頃は大嫌いだった。だけど、「今年の大晦日ほど楽しみなことはなかった」と言うおみつがとても輝いて見えた。そして、「今まで嘘をついていて、ごめんね」。勝五郎でなくても、感謝したいのはこっちの方だと言いたくなる。

物語は大晦日で終わらない。年が明けて、勝五郎とおみつは近所を廻って、家に招き、お下げ渡しになった50両を使ってご馳走を振舞う。これがご近所さんへの恩返しだという…。

こんなに素敵な「芝浜」を創れる林家つる子という噺家を、これからもずっと応援したい。「子別れ」「紺屋高尾」「妾馬」…、新しい目線での創作(これは改作という言葉では表しきれない)を続けるつる子さん、次は「文七元結」のお久目線にも挑みたいと語った。楽しみである。