三三と若手、そして柳家わさび「柳田格之進」

らくごカフェの「三三と若手」に行きました。若手芸人が柳家三三師匠の胸を借りる会。松麻呂さんもかけ橋さんも大熱演だった。

「男の花道」神田松麻呂/「嶋鵆沖白浪 怪僧玄若坊」春風亭かけ橋/中入り/「寝床」柳家三三

松麻呂さんの「男の花道」。東海道金谷宿で眼科医の半井源太郎が歌舞伎役者の中村歌右衛門の眼病を治したこと。目が見えなくなることは役者人生の道を断たれることを意味するから、歌右衛門にとって半井は命の恩人である。100両の礼金を断った半井に対し、歌右衛門は一大事があったときにはお役に立つことがあれば、どんなことがあっても馳せ参じるという男の約束の尊さ、そして男と男の友情に感じ入る。

そして3年後、然るべき踊りの名手を呼べるのか?という土方縫殿助の横暴な注文に、半井は歌右衛門との約束という切りたくなかったカードを切ることに…。そして、歌右衛門は中村座で出演中でありながら、座頭、勧進元、そして満員の観客に対し事情を話し、半井のいる向島上半へ駆けつける。義に強い江戸の衆という表現があったが、観客は「行って来い!いつまでも待ってやるぞ!」と温かいというのが素晴らしい。

かけ橋さんの「怪僧玄若坊」。談州楼燕枝作「嶋鵆沖白浪」を全12話にして口演した三三師匠が、この玄若の部分を抜き読みしたのを2020年に横浜にぎわい座で聴いたが、おそらくかけ橋さんは元師匠である三三師匠から教わったのだと思われる。丁寧に演じて、とても良かった。

三十半ばの湯島根性院の納所坊主・玄若の表の顔と裏の顔を使い分けているところを上手に演じていた。玄若の上司にあたる住職の善念は酒も飲めば、女も抱くという生臭坊主で、桜屋の娘のお花に金にものを言わせて夜な夜な不行跡を働いている現場を、博奕打ちの手塚の多吉が見つけて強請りにかかったのが発端だ。

この善念と多吉の間に入って表面的には仲介したのが玄若だが、ならず者の多吉に対して全く臆せず、100両の要求に対し、5両しか渡さず、あとは自分の懐に入れてしまうという悪党坊主ぶりがよく描けていた。多吉の言う「出るところに出る」は町奉行、せいぜい2~3千石なのに対し、こちらは寺社奉行がついていて、10万石と圧倒的な力があるという理屈も説得力がある。

最終的には玄若が多吉を殺害し、善念と二人で死骸を不忍池に放り込もうと運んでいる道中に、吉原の火事で逃げる群衆に巻き込まれ、死骸を路上に置いて逃げてしまったために足が付き、玄若と善念は捕まるのだが、善念は高齢で獄死、玄若は罪をすべて善念になすりつけたために、死罪は逃れ、三宅島に島流しになる。ここで吉原の火事の火付け人である花鳥花魁と出会うという運命に…。物語の余韻を残して終わったのも良かった。

夜は上野鈴本演芸場十一月上席九日目夜の部に行きました。主任が柳家わさび師匠の興行、ここまで①田能久②死神③明烏④休演⑤三井の大黒⑥味噌蔵⑦五目講釈⑧団子坂奇談、とネタを掛けてきたが、きょうは僕が聴きたかった「柳田格之進」!嬉しかった。

「子ほめ」桂枝平/「宿題」林家たけ平/奇術 小梅/「あくび指南」桂やまと/「鉄の男」(序)柳家小ゑん/紙切り 林家八楽/「転失気」鈴々舎美馬/「新ランゴランゴ」三遊亭白鳥/中入り/漫才 風藤松原/「宗論」春風亭一朝/粋曲 柳家小菊/「柳田格之進」柳家わさび

わさび師匠の「柳田」。まず、江戸留守居役という役職がどういうものか、きちんと説明するところがいい。藩の外交官、外部との交渉の窓口であり、当時は吉原など遊郭や向島などの茶屋で接待したり、されたりすることが多かった。人間的に柔らかい部分も持ち合わせていなければならなかった。だから、曲がったことが大嫌いで潔白な柳田は「堅くていかん」と疎まれ、果ては浪人になってしまったという背景がくっきりと見えた。

碁会所で知り合った両替商の萬屋萬兵衛が、我が家で碁を打ちませんか?と誘ったときも、「浪人と言えど、武士が商家に出入りすることはいかがなものか」と躊躇し、やがてそれが当たり前になっても、「いつか必ず間違いが起こるのでは?」と危惧するのは、柳田の性格から言っても納得できるものがある。

その危惧が、月見の宴の晩に番頭・徳兵衛から主人・萬兵衛に渡された50両紛失という形で表れてしまう。番頭は「お酒を召し上がっていたから」もしや柳田様がお持ち帰りになったのではという疑念を持つが、萬兵衛は「そういう方ではない!」と言い、「帳面上は私の小遣いにしておきなさい」と命じるが、番頭はモヤモヤした感情を抱く。男の嫉妬だ。

番頭に疑われた柳田は、腹を切る覚悟をするが、それを見抜いた娘お久は「それでは柳田の汚名が残るだけ」と言い、吉原に自分を売って50両をこしらえ、「武士道を立ててください」と離縁を願い出る。翌日、番頭はその50両を受け取るが、柳田の「50両は必ず後日他より出る」という言葉が印象的だ。そのときには自分の首と主人の萬兵衛の首を差し上げると番頭は軽はずみに言う…。

で、実際に50両は煤払いのときに離れの額の裏から出てきた。年が改まって、正月四日、番頭は湯島の切通しで行方知らずだった柳田が仕官が叶って立派な姿で駕籠から降りるところで出会う。事情を正直に説明する番頭に対し、「やはり出たか。めでたき春だ。一献いこう」とする柳田の胸のうちを察するに万感迫るものがある。

そして、翌日に柳田は萬屋を訪ねる。かばい合う主人・萬兵衛と番頭・徳兵衛。「あの50両をどうやって拵えたか、判るか?」と問う柳田。仕官が叶い、すぐに娘お久は身請けしたが、心は落ち込んでおり、食うものも食わず、老婆のように痩せ衰えてしまったという。その娘に対し、両名の首を差し出さなければ、申し訳が立たない。二人はうろたえた自分たちが愚かだったと、覚悟を決めたが…。

柳田が構えた刀は碁盤を真っ二つに割るだけだった。この主従の思いやりに触れ、「斬れぬ」。番頭の徳兵衛はお久に対し、誠心誠意、時間をかけて尽くし、やがてお久も心を開き、末には夫婦になったという…。清廉潔白、実直な気性を貫いた柳田父娘の武士道に思いを馳せた。