立川小春志真打昇進披露興行 四日目

立川小春志真打昇進披露興行四日目に行きました。ゲストは昼の部が立川志らく師匠、夜の部が桂宮治師匠だった。

昼の部

御披露 小春志・談春・志らく/「六尺棒」立川談春/「笠碁」立川志らく/中入り/「居残り佐平次」立川小春志

志らく師匠が「(小春志師匠の)思い出はほとんどないです。落語も聴いたことない」と言うと、談春師匠が「じゃあ、断れよ!」、志らく師匠は「でも兄さんとの付き合いもあるし、断れない」。「私のところには18人弟子がいますが…」と言ったところで、談春師匠が「うちの1人よりレベル低いんじゃないの?」と突っ込むと、「それはオチ!先に言わないでよ。昔、こはるに『私一人でなんとかなっちゃう』と言われたことがあります」と小春志師匠の気の強さについて褒めた。

うちの一門はサークルだから、のほほんとしていて、弟子に対して小言は一切言わない、と志らく師匠が言って、「だから数年に一回、爆発して、弟子全員を破門にしたり、真打間近の弟子を前座に降格したりしちゃう」。談春師匠がつかさず、「お前は昔から“できない子”というレッテルを自ら貼って、治外法権だったからなあ。築地にも行かなかったし」と、まるで掛け合い漫才だ。

ここからは志らく師匠がいかに社会不適合者で、だから噺家になるしかなかったという話題が続く。両親が甘やかして育てたので、談志師匠にパンツの畳み方、掃除機のかけ方、洗濯機の使い方、はては歩き方まで仕込まれた。前座時代、テレビでチャップリンの「独裁者」が放送されることを知って、早く家に帰ってしまったら、談志師匠が怒って電話してきて、その電話口にテレビの音が聞こえて、「お前、チャップリン見ているな!」。でも、翌日になって師匠のお宅に行くと、「マルクスブラザーズも観た方がいいよ」と言われた。談志師匠がいたから、まともな人生が歩めた、と。

談春師匠が「この二人(談春・志らく)が一緒に喋っているのを初めて観たというお客様も多いのでは?」と。実に20年ぶりくらいだそうである。志らく師匠が「俺は小学校4年で『ゴッドファーザー』を観た」と自慢し、談春師匠が「映画は『ドカベン』しか観たことがない」と言うと、志らく師匠に誘われ、一緒に「ジュラシックパーク」を観に行ったそう。お酒は談春師匠が1合飲んでいる間に、志らく師匠が8合飲んで酒乱になり、帰りに志らく師匠の家に行ったら談春師匠が嘔吐して大事にしていた先代馬生師匠のテープを駄目にしてしまったとか。思い出を語っている二人を見ていると、「仲が悪いどころか、仲良しじゃん!」と思う。一緒に談志師匠の許で苦労したんだもんね、当たり前だよね。

志らく師匠の小春志師匠への餞の言葉。女性を武器にして落語をするのも正解かもしれないが、(小春志は)色香が要らない落語が出来る、その成功例を拵えたのかなと思う。他の女性落語家が束になってかかってきても敵わない、と讃えた。

談春師匠が、勝手に思っている談志イズムというものがあるとすれば、それを共有できるのは、志の輔、談春、志らくの三人だけ、寄席とは違う立川流にしかできないものがあるというプライドがある、そこに入ってきたのが小春志だと言って、彼女への期待を述べた。

小春志師匠の「居残り佐平次」。何度も勘定を催促されながら、口八丁手八丁ではぐらかす面白み。そして、最後には「払いたいけど、金はない!」と居直って、「どうするつもりだ?」に対し、「私が聞きたい」とする度胸を良く表現していた。

紅梅さんのところの“うち勝っつぁん”に対し、「あの強気の花魁を骨抜きにする技をご伝授願いたいですな」と持ち上げるところ、“あの居残り”を呼べ!と売れっ子になり、「イノドーン!」とお座敷があちこちで掛かるところ、佐平次の軽妙洒脱なお喋りを巧みに演じて、気持ちの良い高座だった。

夜の部

御披露 小春志・談春・宮治/「六尺棒」立川談春/中入り/「蜘蛛駕籠」桂宮治/「ねずみ」立川小春志

宮治師匠は今回の披露興行10公演の中で唯一、小春志師匠の後輩のゲストだ。お互いに二ツ目だった頃に、道楽亭で二人会を定期的に開いていた間柄で、小春志師匠も「腹を割って話せる数少ない噺家。今回のゲストも是非出てもらいたいと決めていた」そうだ。

宮治師匠が談春師匠に初めてきちんと話せるようになったのは、フジテレビの深夜番組「噺家が闇夜にコソコソ」で一緒になったとき。そのときは「本当に怖かった」。でも、落語会などでご一緒するようになるうちに、徐々に「メチャクチャ優しい!」と思えるようになったという。

宮治師匠がパーソナリティーを務めるラジオ番組に小春志師匠に出演してもらったとき、「なぜ落語家になったのか?」と尋ねたら、「談春師匠の弟子になりたいと思ったから」という答えだったという。自分は伸治という放任主義の師匠で育ったけれど、この業界の全員が「談春師匠の弟子になることはすごい!」と思っている、それをこはる姉さんは一つ一つ階段を昇って、最後までやり切って、真打と認めさせた。真打決定の報を聞いたとき、皆が大喜びした、という。

宮治師匠と小春志師匠は誕生日が10月7日で一緒、そしてプーチン大統領も同じと気づいて、盛り上がったという他愛もないお喋りにまで及ぶと、宮治師匠が「芸協の口上はかなり緩いですが、それを超えています。こんなに緩くていいんですか?」と嬉しそうに話しているのが印象的だった。

小春志師匠の「ねずみ」。鼠屋で客引きをする卯之吉の甲斐甲斐しさが、まず良い。そして、元虎屋の主人で今は鼠屋の主人になっている卯兵衛が甚五郎にする問わず語りが聴かせた。宿泊客の喧嘩を仲裁しようとして階段から落下し、腰が立たなくなったこと、そこに付けこみ、女中のお紺と番頭の丑蔵が虎屋を乗っ取ったこと、物置小屋を使って小さいながら新しい宿屋を細々と営んでいること。

この話を聞いて、人肌脱ごうという甚五郎の漢気。魂のこもった“福ねずみ”を彫って集客に貢献して、大繁盛。逆恨みしたお紺・丑蔵コンビが飯田丹下に虎を彫らせたが…。「私の腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」。丁寧に演じて、とても温かみのある高座だった。