立川志の輔独演会、そして鈴々舎馬るこ勉強会
三鷹市公会堂の「立川志の輔独演会」に行きました。「ディアファミリー」と「徂徠豆腐」の二席。開口一番は弟子の志の大さんで「新聞記事」、食いつきは同じく弟子の志のぽんさんで「犬の目」だった。
「ディアファミリー」。父親が勤続30年の記念品として会社の社長から贈られた鹿(頭)をめぐる家族の騒動が面白い。昭和の時代には終身雇用制が当たり前とされ、こういう勤続〇年といったことが称賛されたものだが、令和の時代は経費削減優先で、早期の退職が推奨されるようになった。時代の潮流の変化に思いを馳せる。
断捨離が叫ばれる昨今、押し入れに眠っているジューサーミキサー、餅つき機、美顔器、ぶらさがり健康器…、これら昭和の時代に一世を風靡し、すぐに消え去ったモノたちは即刻処分するべき風潮になっているのも興味深い。でも、「サザエさん」全70巻は非常に価値が高いので持っておくべきだと個人的には思う。(実際は全68巻。僕も大事に持っている。ただし、文庫化(朝日新聞社)される以前のモノ、姉妹社刊行に限る)
「徂徠豆腐」。上総屋七兵衛が貧乏学者先生の「いずれ世のため、人のため」という思いに共感し、明日から握り飯を持ってきてあげると提案するが、先生がそれを拒否する理屈。商売モノであれば、いずれ支払いをすることができるが、握り飯という“施し”を受けるのは嫌だ、「けじめを崩すとみじめになる」という、後に柳沢吉保の知恵袋となる荻生徂徠らしい考え方になるほどと思う。
徂徠は火事で焼けた上総屋に店を建ててあげ、恩返しをするが、上総屋はその新しい店で最初に作った豆腐をいの一番に徂徠に食べてもらいたいという、義理堅さも素敵だ。徂徠も「一日も早く上総屋の豆腐が食べたいと思っていた。お前は豆腐作りの名人だ」と感謝する、この二人に構築された友情のようなものが美しい。
そして、徂徠は上総屋に親類になってほしいという。上総屋は身分が違い過ぎると一旦は断る。そのときの徂徠の台詞がいい。あのときの「だから、学者は駄目なんだ」という言葉が胸に沁みた。何でも四角四面に考えるのではなく、丸く考えることはできないのか。握り飯を素直に受け取り、丸く自分のためにけじめをつけることができたのではないか。
これを徂徠は「生きた学問」と呼び、「このとき、豆腐屋ならどうするだろう?」と考えて言動するようになったという。素晴らしい。「わたしはおからをあげただけです。店を建ててくれた礼をしに来たまでです」「いや、店の形をしたおからと思えばよい」。鮮やかなサゲ。物事を柔軟に考えることの大切さを教えてくれた。
配信で「まるらくご爆裂ドーン~鈴々舎馬るこ勉強会」を観ました。「鮑のし」と「権兵衛狸」の二席。これまで前座を勤めてきた鈴々舎美馬さんが11月で二ツ目に昇進するため、この会も今回で卒業するそうだ。
「鮑のし」。魚屋が“大家の息子の婚礼の祝い”に持って行くと知って、甚兵衛さんが目刺しを買おうとするのを止める賢明さがいい。また、尾頭付きの代わりに鮑を買って来た亭主に、「片貝だけど、縁起に障らないかしら」と女房のおみっちゃんがちょっと懸念を示すという細かさも良い。
鳶頭が教えた鮑に関する蘊蓄、熨斗の根本を甚兵衛さんが大家の前で喋って、「鮑クイズ」3問を無事にクリアするところも愉しい。最終問題、熨斗に付いている杖は何だ?鮑のおじいさんです…、これは正解ということでいいのではないでしょうか。
「権兵衛狸」ネタ卸し。♬床屋のゴンベエ~、戸を叩きながら発する低音の魅力があるフレーズが印象的だ。医者の薮井竹庵の発見、狸のタメグソから生えた稲の米粒は痛み止めの薬になる。その米粒を飲んだ権兵衛の右手の痛みも治まったし、狸の毛が入ったお茶を飲んだ吉兵衛も腰痛が治ったし…、これがこの噺の伏線になる。
狸たちは長年の人間たちの傲慢によって、自然が破壊されていることに憤慨し、何千、何万という狸が総決起して、人間との全面戦争を展開するために出陣しようとしているところ…。逃がしてもらったタヌキチが権兵衛に依頼して、狸の長老に詫びを入れ、戦争取りやめの説得を図る。そのときに役に立ったのが、狸の毛。これを提供してもらい、痛み止めとして利用すれば、人間が狸の有難みを知り、傲慢な自然破壊もやめるだろう、と。長老は納得し、人間との間に友好関係を築くことに調印するという…。従来の型とは全く違う面白い展開が繰り広げられるが…、最後は落語らしいサゲで、さすが馬るこ師匠!と思った。