日本浪曲協会 豪華浪曲大会

日本浪曲協会の豪華浪曲大会昼の部に行きました。11時30分開演、途中20分間の休憩を挟んで、16時10分終演。5時間弱の長丁場だ。本当はこの後の夜の部も観たかったが、体力的に難しいので、昼の部だけにした。

(第一部)

「出世定九郎」三門綾・広沢美舟/「神崎与五郎東下り」東家恭太郎・水乃金魚/「中山安兵衛の道場破り」木村勝千代・広沢美舟/「赤垣源蔵 徳利の別れ」富士琴美・伊丹秀敏/「甚五郎 京都の巻」港家小柳丸・佐藤貴美江/「男一匹 天野屋利兵衛」天中軒雲月・広沢美舟

勝千代さん、安兵衛の鼻息が荒かったエピソードとして面白い。越後新発田から江戸に出てきたが、巾着切りに遭ってしまって、懐の50両を盗まれてしまった。でも馬喰町にある越後屋という宿の主人は太っ腹なのが気持ち良い。そして思い付いた道場破り、品川豪太夫の道場に行って、追い込んだ後に勝ちを譲って10両をせしめたのを手始めに次々と…。安兵衛駆け付けはそれ以降の話だ。

小柳丸先生、甚五郎の義理堅さが伝わる。8年前にお世話になった京都の棟梁・藤兵衛の息子藤吉との運命の出会い。3年前から父親が病に伏せて、母親が一番弟子の仁兵衛とつるんで藤兵衛を見捨てたと聞き、手を差し伸べる人情。名医2人に診てもらい、20両を渡して有馬温泉に湯治に行かせる優しさよ。これも伏見稲荷の御利益と喜ぶ親子がまた良い。

そして甚五郎の評判を聞き、寺社奉行から知恩院の普請の依頼が飛び込むが、裏切り者の仁兵衛が京都の大工が甚五郎に協力しないように根回しする。こんなことではへこたれない甚五郎、大久保彦左衛門に手紙を書いて、江戸の大工50人が助っ人として京都へ。仁兵衛たちは何度も知恩院普請の妨害をするが、病も癒えた藤兵衛の登場で、甚五郎・藤兵衛の組が勝利を収めてめでたい。

雲月先生、渾身の「男でござる!」。大坂奉行の松野河内守が天野屋利兵衛の倅の芳松を連れ出し、吟味の場で火攻めをするが、利兵衛は動じない。「おじちゃん、どうか堪忍して!トトさまを助けてあげてください!坊はオイタはいたしません!」と芳松が泣き叫ぶ。河内守が「血もなければ、涙もない奴だな」と言っても、利兵衛は口を割らない意思の堅さに感服する。

「男と見込まれたからには、決して白状しない。たかがこれくらいのことに怖気て、白状するようでは頼まれた甲斐がない」。まさに、天野屋利兵衛は男でござる!赤穂義士の討ち入り本懐が遂げた後、利兵衛は「大石様に頼まれた」と白状し、泉州堺に処払いになったのも、河内守にも情けというものがあったということだろう。

(第二部)

掛け合い浪曲「鬼山姥紅羽織」東家三可子・千春・志乃ぶ・伊丹秀敏/「流れる雲」花渡家ちとせ・佐藤貴美江/「素麵を煮る内蔵助」澤順子・佐藤貴美江/「村上喜剣」三門柳・広沢美舟/「南部坂雪の別れ」東家三楽・伊丹秀敏

ちとせ先生、浪曲中興の祖である桃中軒雲右衛門の若き日のエピソード。師匠の女房お浜が、弟子の繁吉のために指輪を質に入れて15円を作り、繫吉に「真打になってくれよ」と言っていた父親の死に水を取りに行く旅費にしてあげるのも、繫吉が将来性のある優秀な浪曲師であると思っていたからだ。女房に毎日乱暴を働く亭主とは大きな違いを感じていたのだろう。

そして、お浜が相三味線となって、「お前さんには浪花節しかない。一緒に日本一になりましょう」と繫吉の手を取って、旅に出る。今年6月の浪曲映画祭のときに観た、三波春夫主演の「雲右ヱ門とその妻」を思い出した。

柳先生、架空の人物の赤穂義士外伝。大石内蔵助が祇園で放蕩三昧していることにイラついて、何の面識もない村上喜剣という人物が茶屋に出向いて、散々に罵ったという話が面白い。それでも、内蔵助は顔色一つ変えずに冷静な対応をして、討ち入りのことなど一切口にすることはない。

そして、元禄16年。村上が江戸の茶店で細川屋敷の職人衆の泉岳寺墓参の帰りに出くわして、「浅野様」だの、「大石様」だの、「仇討」だの、喋っているのを耳にして、「詳しく教えてくれ!」と頼む。そこで初めて村上は赤穂義士が討ち入りをして、仇討本懐を遂げたことを知る。ちょっと遅くないか?とは思うが。

村上喜剣は薩摩藩の足軽だった。そんな自分が大石内蔵助という5万3千石の城代家老に対し失礼極まりないことをしたと恥じる。そして、泉岳寺に行き、内蔵助の墓前で切腹したという…。外伝にも、色々あるものだ。

三楽先生、瑤泉院の心中いかばかりか。討ち入り前に内蔵助は浅野内匠頭の正室、瑤泉院を訪ね、暇乞いをする。武士の身分を捨て、大坂で小間物屋をやるという。この嘘も念には念を入れた、用心深い内蔵助らしい言動である。だが、瑤泉院は失望し、「恩義を忘れたのか」と罵倒する。内蔵助は黙り、心の中で「悔し涙も一夜明ければ、嬉し涙になる」と刻む。

そして、討ち入り成功。足軽の寺坂吉右衛門が瑤泉院にお目通りをして、吉良邸襲撃の様子を克明に物語る。瑤泉院はどんな気持ちでそれを聞いたのだろうか。内蔵助が雪の南部坂を下って、去って行く姿を思い浮かべ、彼を侮辱してしまったことを悔い、そして感謝したのだと思う。実にドラマチックである。