カラーで蘇る古今亭志ん生
Eテレで放送された「カラーで蘇る古今亭志ん生」を観ました。
今年が志ん生没後50年。ということで、大河ドラマ第1作「花の生涯」(昭和38年放送)のカラー化のために開発されたAI技術によって、志ん生の高座がカラーで蘇った。番組は昭和30年放送の放送演芸会で、演目は「風呂敷」だ。
上映の前に、古今亭文菊師匠が司会で、先代金原亭馬生師匠の長女、つまりは志ん生の孫である池波志乃さん、先代金原亭馬生師匠の弟子、つまりは志ん生の孫弟子である五街道雲助師匠とともに“志ん生の思い出”を語り合った。
志乃さんは子どもの頃は毎日、おじいちゃんの家の食卓で朝ごはんを食べた。志ん生は「納豆が好きで、漬物が嫌い」だったと。雲助師匠(当時は前座で駒七)はよく将棋の相手をしたが、待ったが多いばかりでなく、相手の見ていない隙に駒を入れ替えるなどズルをする。そんな茶目っ気のある人だったそうだ。
駒七が入門したとき、志乃さんは12歳で、馬生師匠に冗談で「こいつ(志乃さん)は色気がある。いい女になるぞ。お前、どうだ?」と言われたことがあるというエピソードも。もう少し思い出を聞きたかった。
志ん生師匠の「風呂敷」。こうやって改めて、観て、聴くと、「本当に面白いなあ」と思った。今の噺家さんで、この高座に敵う「風呂敷」を出来る人はいないのではないか。よく言われるフラもそうだが、緻密に計算されたギャグを何の気なしに自然体で繰り出してくるテクニックがすごい。天性のものもあっただろうが、人知れず努力されていた部分もあったのではないか。
何気ない語句がまぶされたユーモラスな表現は誰にも真似ができない。「百万年前の虎みたいな顔して」、「お願いだの、手水鉢だの言って」、「女心の赤坂?赤坂も麹町もない」、「上げ潮のゴミの了見」、「シャツの三つ目のボタンみたいに、あってもなくてもいい」等々。真似して言っても、あの可笑しさは出ないだろう。
ご婦人の噂と言って振ったマクラも愉しい。「後家が通るよ。いいなあ、いい女だなあ。俺のカカアも早く後家にしたい」。夫婦が一緒になるきっかけなんて些細なことからと言って、「帯が解けています」「ありがとう」。これが馴れ初めなんて、本当に落語だ。
言葉に対するニュアンスの面白さも抜群だ。「大変という言葉はそんなに簡単に口にする言葉じゃないよ。本当に大変だというときに使うんだ」。「早くということは、早くすることを言うんだ。なんで遅くなるんだ」。「丸くなって寝ようが、三角になって寝ようが勝手じゃないか」。日本語をとても大切にした人だと思う。
女性を戒める言葉の落語的解釈も、最近はあまりやる人が少なくなった。「女、三階に家なし」「貞女、屏風にまみえず」「直に冠を被らず」「おでんに靴を履かず」。「女三界に家なし」「貞女、両夫に見えず」「李下の冠を正さず」「瓜田に靴を納れず」といった元の慣用句が現代では通用しなくなったからか。
遅く帰ると言っていた亭主が早く帰ってきたので慌てた女房が、その亭主を早く寝かせようとするところは絶品だ。「早く帰ってきて寝なさいとはどういうことだ。遅く帰ってきて寝なさいなら判るが」「お前は人を寝かせる顔じゃない」「お互いの間に緑青が湧いているような夫婦に、『寝ようよ』もあったもんじゃない」「油虫の背中みたいな色して、そう言ってなぜに亭主を脅かす?」。
68年後の現代においても、抱腹絶倒の高座である。古今亭志ん生という噺家のすごさを改めて痛感した。