「桜の園」、そして東海道四谷怪談3夜 第二夜
PARCO劇場で「桜の園」を観ました。作:アントン・チェーホフ 英語版:サイモン・スティーヴンス 翻訳:広田敦郎 演出:ショーン・ホームズ
ロシア語から直接訳されたのではなく、英語を経由したことで、登場人物が抱える感情やそれを表現する言葉がより鮮明になった印象を受けた、とロシア演劇研究者の内田健介氏がプログラムに書いている。
サイモンはイギリスの観客に伝わりにくいロシアの文化や歴史について、物語の筋に影響の無い範囲で変更を加えている。そのためにロシアに親しみのない日本の観客にもわかりやすい上演台本になっている、と解説していた。
さらに、翻訳を担当した広田氏はこう書いている。
サイモンのテキストには彼らしい文体や言葉選びがあちこちに見られます。シンプルな文が多く、ときに歌の歌詞みたいな書き方をするんですよね。たとえば、同じことを3回言うパターン。「僕は君が好きだ。僕は君が大好きだ。僕は君が死ぬほど好きだ」みたいな文体です。
また、チェーホフのような近代劇初期の戯曲には、それ以前の演劇のような長くて修辞的な台詞がまだたくさん残っていて、そういう美しさを味わえるのが古典の魅力でもあると思うのですが、サイモンは原作の長い文章を短い台詞に分けたり、名詞をひとつポンッと置いてすませたりもしています。
やや乱暴というか、ぶっきらぼうにも見えますが、思考や心情が変化するきっかけ、人物の戸惑い、互いにぎこちない瞬間がたくさん用意されたテキストで、現代の俳優の繊細な演技に合った翻案なのだと思います。(以上、抜粋)
演出のショーン氏によれば、サイモン版「桜の園」は「チェーホフの精神に忠実で、私たちがよく知る人間がしゃべっているようなセリフになっています。それがロシア語の逐語訳的な翻訳よりもむしろチェーホフが書いたものに近く感じます」とのこと。(木内宏昌 Chekhov is great,but…)
外国作品の演劇にとって、「言葉」というのは非常に重要で、脚本家、演出家とともに翻訳家も一緒に“新しい作品”を創るという意識の高さが求められることを改めて感じた。
英語版台本を書いたサイモン氏のお話がプログラムに掲載されていたので、ここに抜粋したい。
私の場合、クレジットに「翻訳」とあるときも、自分のバージョンに書き換えることをしています。(中略)原作者の元々の意図を完璧に伝えることは、さまざまな意味において不可能です。原作者が同時代の観客のために書いたように、私も今の観客に対して同じことをします。言葉を正確に捉えるだけならば、それは博物館に飾るようなものになってしまいます。今の時代の観客に届く、命あるものを書くという意味では、私の作業は「翻訳」と呼びません。
夜は三越前に移動して、「東海道四谷怪談3夜」第二夜に行きました。きのうに続き、神田紅純さんと田辺いちかさんの俥読み、第4話から第6話である。
第4話「伊右衛門の裏切り」/神田紅純
民谷伊右衛門の許に、友人の秋山長兵衛が小仏小平を伴って訪れた。小平は伊右衛門の小者だったが、民谷家の秘伝の薬であるソウキセイを盗み出し逃げていたのだ。小平の上司にあたる小塩田又之丞の病が癒えるようにとの思いから盗み出したのだという。伊右衛門は小平を縛り、押し入れに閉じ込めた。
伊右衛門とお岩との間に男の子が生まれた。伊藤喜兵衛の家の乳母お槙が出産祝いを持って訪ねる。祝いの品とともに、“血の道の病に効く薬”を持参してきた。お岩は産後の肥立ちが悪く、寝込んでいると聞いたからだ。
そこに戸倉屋という質屋が借金の取り立てにやって来た。5両を要求するが、伊右衛門に手持ちは無く、その代わりにソウキセイを渡す。残りの借金3分2朱をさらに要求するので、見かねたお槙が立て替えた。
伊藤家に世話になりっぱなし。伊右衛門は秋山長兵衛を伴って、伊藤家に御礼に行く。その間にお岩に貰った薬を煎じて飲ませるように宅悦に頼む。だが、その薬を飲むと、にわかにお岩は苦しむ。
伊藤家では伊右衛門と秋山を迎えて、さらにもてなしをする。馳走すると言って出されたお吸い物の椀の蓋を取ると、そこには山吹色の小判が。喜兵衛がたっての頼みがあると切り出す。出てきたのは、娘のお弓と孫娘のお梅、16歳。「お梅が伊右衛門に恋煩い」なので、何とか添い遂げさせてやりたいという。お梅は自らの首に剃刀を当て、お弓も短刀を腹に突きつけて、願いが叶わなければ自害する覚悟だ。
追い詰められた形の伊右衛門。秋山も「お岩は残り僅かな命なのだから」と口説く。さらに喜兵衛は先程お槙が“血の道の薬”と持参したのは実は毒薬だった、孫可愛さゆえに実行したことを明かす。伊右衛門は「吉良家に仕官する道をつけて貰うこと」を条件に、お梅と夫婦になることを承知した。
第5話「お岩の死」/田辺いちか
自宅に戻った伊右衛門。毒薬によって醜い人相になったお岩を邪険にする。亭主の借金返済のために、母の形見の櫛、小袖、そして蚊帳までも奪い取る。そして、按摩の宅悦にお岩に不義を持ち掛けろと命じる。お岩がそんな誘惑に乗るわけはない。
お岩は伊右衛門の心変わりを悟り、小平の持っていた刀で宅悦を襲うが、宅悦は逃げてしまった。恨みを晴らすべく伊藤家へ行こうと、化粧箱を取り出してお歯黒を塗り、髪を梳く。だが、髪がごっそりと抜ける。凄まじい形相のお岩に怯む伊右衛門。くんずほぐれつするうちに、お岩は柱に刺さっていた刀にふらつき、死んでしまった。さらに、伊右衛門は小平に不義の疑いをかけて殺害してしまう。そして、お岩と小平を杉の戸板に打ち付けて、川に流してしまう。
何とか邪魔者を排除して、伊藤家のお梅と祝言を挙げた伊右衛門。だが、残された赤子が火を点けたように泣き叫ぶ。やがて、それも収まると、新枕。だが、お梅がお岩に変貌して襲ってくる。伊右衛門は思わず斬り殺してしまう。さらに喜兵衛が小平に変貌して襲ってくる。これまた伊右衛門は斬り殺してしまった。
第6話「隠亡堀」/神田紅純
父の喜兵衛と娘のお梅を殺害されたお弓と乳母のお槙は、「伊右衛門、憎し」と探し回っている。お梅が持っていた守り袋を手に、念仏を唱え、回向するお弓。そこへ、仏孫兵衛が「男女の死骸を探している」と近づいてきた。何でも、息子の小平が殺され、戸板に打ち付けられて、川に流された、それを探しているという。と、そのとき。一匹の鼠が現われ、お弓の持っていた守り袋を奪って干潟に消えた。それを追って、お弓は干潟にズブズブと埋もれてしまう。
鰻掻きの権兵衛、実は直助が川で鰻を獲っていた。すると、鰻掻きの先に菊の細工が施された鼈甲の櫛が引っ掛かる。同時に、向こうからは浪人者と老婆が塔婆を持って歩いてくる。伊右衛門と母親のお熊だ。お熊は吉良家に奉公していて、吉良様が浅野内匠頭の妻に横恋慕したときに恋の手引きをした褒美として、判の付いた書付を貰っていた。塔婆には俗名、民谷伊右衛門と書いてあり、伊右衛門は死んだ、お梅と喜兵衛を殺したのは秋山長兵衛の仕業だとする計略を立てているのだ。そして今、お熊は仏孫兵衛と深川寺町に所帯を持っている。
ここで、直助と伊右衛門が再会する。二人は浅草裏田圃で与茂七と左門を殺したことを口裏合わせによって隠蔽している仲間だ。釣り糸を垂れていた伊右衛門は一尺半の大鯰を引き、その勢いで塔婆を倒してしまった。そして、気を失っていたお弓が正気に戻る。お弓はその塔婆を見て、「伊右衛門は死んだのか?」と直助に問う。伊右衛門が蔭から口添えして、「伊右衛門は病に倒れた。喜兵衛とお梅は秋山長兵衛が殺した」と教える。そして、伊右衛門がお弓を川へ突き落す。
そこに頬かむりをした男が現われる。「なんで、俺のせいになるんだ?」と伊右衛門に問うたのは、何と秋山長兵衛。そんなふざけたことを言うなら、洗い浚いぶちまけるぞ!と伊右衛門に言うと、伊右衛門は秋山に例の吉良様の書付を渡し、これを路銀の代わりにして、どこか遠くへ逃げてくれと頼む。
と、今度は釣り竿に杉の戸板が引っ掛かる。戸板に打ち付けられたお岩が守り袋をしっかりと握りしめて伊右衛門に恨み事を言う。さらに戸板がひっくり返り、今度は小平が現われ、恨み事を言う。怖ろしい。
そこに殺したはずの佐藤与茂七が現われて、伊右衛門に襲い掛かる。直助が助太刀をする。大立ち廻り。そして、連判状が直助の手に渡る…。