演劇「ピエタ」、そして春風亭一朝「植木のお化け」
本多劇場で演劇「ピエタ」を観ました。2012年に本屋大賞3位となった、直木賞作家の大島真寿美さんの小説の舞台化で、脚本・演出はペヤンヌマキさん、プロデューサーは出演もしている小泉今日子さん。企画・制作は株式会社明後日。
この芝居のテーマは、「むすめたち、よりよく生きよ」。女性たちのしなやかで、美しくて、しかも力強い、“生きる力”みたいなものが、ヴァイオリンとピアノの生演奏に包められて、観客の心の琴線に触れる。そんな2時間半であった。
舞台はヴェネツィア。「四季」で有名な作曲家ヴィヴァルディは、孤児を養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。時は経ち、かつての教え子エミーリア(小泉今日子)のもとに、恩師の訃報が届く。そして一枚の楽譜の謎に、ヴィヴァルディに縁のある女性たちが導かれていく―。
ピエタで育ちピエタで働くエミーリア、貴族の娘ヴェロニカ(石田ひかり)、高級娼婦クラウディア(峯村リエ)…清廉で高潔な魂を持った女性たちの、身分や立場を超えた交流と絆が描かれる。それは運命に弄ばれながらも、ささやかな幸せを探し続ける女性たちの物語でもある。
芝居の終焉に繰り返す「むすめたち、よりよく生きよ」というフレーズは、ヴィヴァルディの遺したメッセージだったのだろうか。彼の死後に動き出すエミーリアほか多くの女性たちの心の底には常にこのフレーズが流れていたように思う。そして、これは男女を問わず現代に生きる人々へのエールにも思える。
では、「よりよく生きる」とは何なのか。それは個人個人で自分の胸に手を当てて考えるしかない。人生は誰かに指示されて生かされるものではなく、自分の強い意思でもって“生き抜く”ものだからだ。
アンナ・マリーアを演じ、劇中でヴァイオリンを演奏した会田桃子さんは、プログラムのインタビューの中でこう語っている。
ヴェロニカの「ヴァイオリンのお稽古をするあなたたちを見ながら…私はそのためにここに生まれてきたのだと。あの時、私は思っていたのです」からのエピローグは台本を読んでいるだけで毎回泣いてしまいます。
今は天国にいる私の母は私が3歳の時にヴァイオリンを始めさせてくれて、命をかけて私をヴァイオリニストに育ててくれました。今となっては楽器は私の体の一部の様な存在ですが、この、「よりよく生きよ」のセリフから、「より良い音を奏で続けなさい、そしてより多くの方々に喜んで頂くヴァイオリンを弾きなさい」と母から言われているような気がするんです。
奇しくも母親に捨てられた孤児たちがヴァイオリンを通して育っていくという、この作品に出会い、そしてアンナ・マリーアという素晴らしいヴァイオリニストの役を演じさせて頂けるということが、奇跡のようであり、神様から(母から?)もらったギフトの様にも感じています。以上、抜粋。
会田さんにとってのヴァイオリンは自分にとって何なのか?自分は「よりよく生きる」ために何をすべきなのか。そのことを胸に刻んだ芝居だった。
渋谷で「おばけといっしょ 一朝師匠の『植木のお化け』を楽しむ会」を観ました。春風亭一朝師匠が持っていらっしゃる珍品の音曲噺「植木のお化け」を聴くことが主眼の会だ。一朝師匠がマクラで大師匠の先代正蔵師匠の芝居噺の手伝いをしたときの失敗談をお話しになっていた。こういう企画モノはお囃子さんの三味線と前座さんの太鼓が非常に大事で、いわゆる“きっかけ”を間違えると台無しになるから責任重大だ。きょうはバッチリ決まって、とても愉しかった。
「お菊の皿」春風亭一花/「お化けの気持ち」ナツノカモ/「舞番号」林家彦いち/中入り/「植木のお化け」春風亭一朝
この噺は音曲に引っ掛けて洒落を言うのが身上だから、一朝師匠のように歌舞音曲に長けていないと出来る噺ではない。その点、一朝師匠は歌舞伎座で働いたこともある実績の持ち主だから、歌舞伎そのものや、その伴奏音楽にも勿論造詣が深く、なおかつ軽妙洒脱に演じられて、大変に面白かった。
隠居が毎晩、お化けが出るのを晩酌をしながら楽しんでいると聞いて、八五郎は様子を伺いに行く。なんでも、下男の権助が植木に煮え湯を掛けてしまって以来、植木に恨みを持たれて、お化けが出るのだという。そこで二人で丑三つになるのを待って、縁側で待っていると…。
♬梅は咲いたか桜はまだかいな~。酔ってクダを巻いているお化けが現れる。榊(さかき)に蘭のお化け。酒気に乱、つまり酒乱。♬哀れなるかな石童丸は父を訪ねて遥々と~。石童丸だから、千代桜に刈萱(かるかや)。刈萱は父親の出家名前。♬並木駒形花川戸、山谷堀からチョイと上がりゃ~。芸者なので、お辞儀草と芍薬。
♬雪の入谷に想いも積もる~。清元「三千歳(みちとせ)」だから、雪の下に女郎花(おみなえし)。♬旅の衣はスズカケの~。勧進帳。関所に弁慶だから、石菖(せきしょう)に弁慶草。♬南妙法蓮華経~。日蓮宗だから、蓮華(れんげ)に橘(たちばな)。
こればっかりは、文章ではその場の楽しさや面白さが伝わらない。またいつの日か、一朝師匠の生の高座に出会える日を楽しみにしたい。