柳家三三プレミアム独演会、そしてけんこう一番!春スペシャル
「三三協奏曲 2023春~柳家三三プレミアム独演会」に行きました。「らくだ」と「山崎屋」の長講2席をネタ出し公演だ。プログラムに三三師匠が寄せた文章によると、どちらも学生時代に出逢った師匠・小三治の高座が記憶に残っているという。
「らくだ」は1991年、高校生のとき、国立小劇場の落語研究会での口演だそうだ。歴史のあるこのホール落語に初めて行って、常連と思われる方が「いよいよ小三治が『らくだ』をかけるね」とロビーのあちこちで会話しているのが聞こえてきたという。ちょうど小三治師匠が名実ともに落語界の第一人者の仲間入りをしていく真っ最中で、客席の期待と演者の気合いが会場に満ちていたと書いている。
「山崎屋」はそれよりも前、1988年12月20日。鈴本演芸場の昼トリ。日付まで覚えているという。中学2年生の蛭田少年は小田原市市制記念日で学校が休みとなり、平日の昼に堂々と観に行って、聴き終わったときの高揚感は今でも忘れられず、自分の思い出ベスト5に入るそうだ。ちなみにその日の夜席のトリは古今亭志ん朝師匠で、終演後に外に出ると鈴本の前は長蛇の列だったという。いい思い出だねえ。
三三師匠、一席目が「らくだ」。屑屋の久六がらくだの兄貴分に酒を勧められ、三杯目を飲んでからの豹変が実に良かった。一文もなくてこれだけの弔いをやるのは偉い、俺も他人の面倒を見るのが好きだが、よくおふくろに「自分の頭の蠅も追えないくせに」と言われるが、そんなことは関係ない、とその兄貴分を褒めていたのも一瞬だった。
もう一杯貰おうか、と久六が求めると、兄貴分が「釜の蓋が開かないんじゃないのか?」と返し、それに対して「どこの釜の蓋が開かない?俺はそんなケチな屑屋じゃない。見くびるな!」と逆に恫喝するあたりから立場が逆転する。
そして、らくだのことも、死ねば罪もない仏…?どこが?こんな酷い奴はいないと怒りを爆発。揃いの丼を買わされたら、長寿庵と名入れだった。左甚五郎が彫った蛙がピョンと飛び跳ねた。二つのエピソードに兄貴分が笑うと、笑っている場合じゃない!と怒鳴る。
そして、「空いたら、サッサと注げ!」と酒を要求し、さっきまで兄貴分が言っていたフレーズ「優しく言っているうちに…」を、久六が言い出す立場逆転が愉しい。そして、俺はきょうは帰らない!(弔いも)任しておけ!と請け合い、兄貴分が「頼むよ」とお願いする始末。そして、落合の火屋までいく本来のサゲまで熱演した。
中入りを挟んで、「山崎屋」。番頭が書いた狂言の見事な筋書きが、実際にトントンと寸分違わず進む気持ち良さがこの噺の身上ではないか。花魁を親許身請け→鳶頭のところで預かり、行儀見習いをする→若旦那は3カ月辛抱する→赤井御門守様に100両の掛取りに行かせる大役→落とした財布を鳶頭が拾って届ける→若旦那はすっかり改心したと大旦那も安心→そろそろ息子に嫁を、となる。
堅くて、素直で、悪く言うと世間を知らない大旦那の性格を番頭が見抜いている凄さがそこにある。100両を拾って届けてくれた鳶頭への御礼も、10両の目録とにんべんの二分の切手の両方を持っていけば、必ず鳶頭は10両は辞し、切手のみ受け取るという筋書きもさすが番頭だ。
そして、茶を出す娘が気になり、あの娘は?と必ず訊くから、「女房の妹で、屋敷奉公していた」「いい相手が見つかれば、箪笥長持五棹と500両の持参金を付けて嫁に出す」と言えば、大旦那は必ず「自分の息子の嫁に」と言うに違いない…全てを見抜いている番頭は、大旦那の言動の把握のみならず、身請けの金に加え、持参金の500両を帳面ヅラを誤魔化して何とかしてしてしまうのだから、相当な遣り手だ。
三三師匠の巧みな話芸で、狂言作者番頭の芝居を観るかのような高座を大いに楽しんだ。
帰宅して、配信で「けんこう一番!春スペシャル 三遊亭兼好独演会」を観ました。「宮戸川」(上)、「片棒」、「文違い」の三席。どれも軽妙な人物造型が光るが、「宮戸川」は霊巌島の伯父さんの呑み込みぶりと叔母さんの寝ぼけぶりが実に愉しい。二人が若かった頃を思い出し、業平と小町のようだと言われたと回顧するのにはニヤリとしてしまう。
「片棒」は次男の銀次郎が繰り出す祭り仕立ての弔いが愉しい。笛と太鼓のお囃子を口三味線ならぬ口お囃子というのだろうか、賑やかに盛り上げる様は兼好師匠の技術の高さを感じる。山車のお父っあんを模したからくり人形の動きの巧みさも秀でていて、爆笑を誘う。そして、鼓笛隊やチアガールまで出てくるのには笑った、笑った。飛行機から落とされるメッセージが書かれた紙、「欲しがりません、勝つまでは」も、倹約家のお父っあんらしくて可笑しい。
「文違い」の遊女・お杉の手練手管にまず感心する。角造には、病気のお母っさんに人参を飲ませなければならない、馬とお母っさん、どっちが大事なの!?と迫る。半ちゃんには、何度も無心に来る義理の親父と縁切りをするためには、あなたと年季が明けたら夫婦になるために、どうしても20両という手切れ金が必要だと説く。
そのお杉が間夫だと思っている男、芳次郎にはコロッと態度を変えて、これまで強気だったのが、甲斐甲斐しい可愛い女になるのが、人間の弱さであり、業なのだろう。眼病だという芳次郎の塩梅を気遣い、その薬代20両を都合してあげる。その時の芳次郎のフレーズ、「お前に頭を下げさせたり、お金を出してもらったり、そんな働きのある男じゃないが」と「お前はたった一人の色女だよ」は、そのまま「男」と「女」を入れ替えると、さっきまでお杉が角造や半ちゃんに使っていたフレーズになるのが、この噺の可笑しさだろう。
騙し、騙されるのが当たり前という遊郭特有の「男と女の仲」を、兼好師匠は人物の演じ分けを巧みにして、笑い飛ばしてくれた。