喬太郎の古典の風に吹かれて、そして三遊亭兼好「ちきり伊勢屋」

「喬太郎の古典の風に吹かれて」に行きました。柳家喬太郎師匠が胸の奥でそっと敬愛する先輩師匠をお招きして、芸談や懐かしの楽屋話を伺いつつ、その芸風に心ゆくまで吹かれよう、というざぶとん亭風流企画さんの会だ。2010年にスタートし、途中コロナなどで中断したが、昨年再開し、今回が第9回となる。

これまでに、第1回から順に柳家小満ん師匠、春風亭一朝師匠、五街道雲助師匠、春風亭小柳枝師匠、桂南喬師匠、一龍斎貞水先生、入船亭扇遊師匠、金原亭馬生師匠を迎え、今回は春風亭正朝師匠がゲストだ。正朝師匠の高座を伺うと実に江戸前だなあと思ったし、対談では古希を迎えたとは思えない若々しさがある。そんな至福の時間だった。

次回、柳家さん喬師匠を迎えて、最終回となるそうだ。また新たな切り口で、円熟したベテランの師匠方の魅力を引き出す会を企画することを願ってやまない。

「孝行糖」柳家ひろ馬/「首ったけ」柳家喬太郎/「三方一両損」春風亭正朝/中入り/対談 喬太郎×正朝/「死神」柳家喬太郎

対談は実に興味深かった。正朝師匠は先代柳朝師匠の三番弟子。一朝、小朝、正朝の順だ。師匠の教育方針は、師匠宅に来て掃除や洗濯する時間があったら、稽古をしろという主義。ただし、稽古をしていないのが判ると、厳しく叱られたという。

噺は入門して3年は直接教えてくれなかった。稽古の道をつけてくれた。つまりは、橘家三蔵師匠から「狸」、文蔵師匠から「たらちね」という風に稽古をつけてもらう算段をしてくれたそうだ。三蔵師匠のときには「これを持っていけ」と言って、ウイスキーを1本渡してくれた。

「金明竹」は小朝から教われと言われたが、まだ前座同士。前座や二ツ目がお互いにネタを交換するのはご法度だったから、小朝師匠は自分が文朝師匠から教わったときのテープを渡してくれたそうだ。

辛い思いをした思い出として、正朝師匠はこんなエピソードを語っていた。柳朝師匠がその日、銀座セブン東芝寄席→椀や土曜寄席→鈴本演芸場夜トリだった。東芝寄席にお伴をした自分は鈴本夜のスタートには間に合わないから、前座仲間の古今亭菊春師匠(当時菊松)に「つないでおいてくれ」と頼んで、500円を渡した。当時、前座の日給が300円。最大限の誠意だった。ところが、師匠柳朝は「なんで、お前はここ(鈴本)にいるんだ?」と問う。事情を話すと、「遅れて入るなんて生意気だ。そういうときは(事情を言って)休むんだ。うすみっともない」と怒られたと。前座さんの気働きというのは本当に難しいのだなあと思った。

椀や寄席と言えば、喬太郎師匠がアマチュア時代に都合2年半、働いていた居酒屋の寄席だ。正朝師匠はよく覚えていて、「妙に口慣れた司会をする店員がいるなあ」と思ったという。「それでは春風亭正朝師匠で、十八番の『宗論』です!」なんて言っていて、この人、よくわかっているなあと思ったら…後に寄席の楽屋にいて、ビックリしたと。その話を聞いて、喬太郎師匠が赤面していたのが微笑ましかった。

喬太郎師匠は高校時代に、フジテレビの深夜番組「らくごin六本木」で正朝師匠が演じた「家見舞」を覚えて、クラスメイトの前で演ったのが、人前で初めて受けた思い出だそうだ。そして、初めてお金を払って落語を聴いたのが、小朝師匠の真打昇進披露興行を東宝演芸場で観たときだそうで、そのときも正朝師匠は「家見舞」を演っていた記憶があると言っていた。昭和55年。芸術座(現在のシアタークリエ)で芝居を観ようと思っていたのをやめて、東京宝塚劇場の5階にあった東宝演芸場に行ったとか。これも何かのご縁だと思う。

落語よもやま話をいつまでも聴いていたい、愉しい内容だった。感謝。

帰宅して、配信で「代官山落語夜咄 三遊亭兼好」を観ました。プロデューサーの広瀬和生さんが、2020年3月に「晴れたら空に豆まいて」で兼好師匠に演じてもらった「ちきり伊勢屋」が素晴らしかったので、「あの名演をもう一度」と依頼し、今回3年ぶりに同じ会場で配信も含めたハイブリッドで開催された。ちなみに、僕は2020年3月を生で聴いている。あれからバタバタとコロナ禍に入っていったんだなあ。

広瀬さんもアフタートークでおっしゃっていたが、この噺で番頭の存在を重視した演出が素晴らしい。占い師・白井左近に「あなたは来年2月15日に死にます」と告げられた伝次郎は、店を畳み、お客さんの質種を全て返却、使用人も全員に十分な金を渡して暇を出した。だが、番頭だけは「私はあなたの本当の父親だと思っている」として、伝次郎が亡くなるまでちゃんと連れ添ってあげるのだ。

そして、死ぬまでに全財産を使い切るには1日300両使う計算になるとして、遊び人の正太郎と幇間の半平と遊ぶことを勧める。だが、そうそう遊びばかりだと飽きる。そういうときには、困っている人に施しをしてあげなさいと進言する。それを素直に受け入れて、伝次郎は行動する。

だからこそ、品川の質屋・山城屋の一家が借金まみれになって路頭に迷って橋の欄干から身投げしようとするのを伝次郎が止めた。この行いが、白井左近と再会したときに言われた「徳を積んだ」こととなり、伝次郎の寿命を延ばすこととなり、行き着くところ、ちきり伊勢屋再興につながるのだ。

正太郎と伝次郎が乞食同然の身なりで貧乏所帯に住み、駕籠屋を始めると、その客に幇間の半平が乗り、運命の再会。半平が「番頭の佐平さんは品川の質屋、山城屋に奉公していますよ」と教えてくれた。そして、伝次郎は山城屋へ。

そこで番頭が凄いのは、伝次郎は生きているという噂を聞いて、ちきり伊勢屋を再興できる日が来ると踏み、山城屋に先乗りして奉公していたことだ。山城屋主人も身投げを助けてくれた恩人に恩返しがしたい。思いは一緒だ。伝次郎に店をそのまま受け取ってもらい、娘と夫婦になって、改めて「ちきり伊勢屋」の看板を掲げてくださいと進言する。おお、これぞハッピーエンドという筋立て。素晴らしい高座に拍手喝采を送りたくなった。