一之輔独演会、そして兼好集

鈴本演芸場余一会 春風亭一之輔独演会に行きました。平日昼というのに、早々に前売りチケットは完売の満員御礼。その期待を裏切らない内容は見事というしかないッス。一之輔師匠の三席、ゲストのマキタスポーツさんも含め、素晴らしいという表現しか見当たらないのがもどかしいッス。

「新聞記事」は一之輔カラーに染め上げた逸品。隠居がする天婦羅屋の竹さんが死んだという作り話に、八五郎が本気で「友だちの竹が死んじゃったよ!」と悲嘆にくれるところ、面白い。いくら「入った家が天婦羅屋だけにね」と言って、「挙げられた」と「揚げられた」のダブルミーニングを説明しても涙を流している八五郎が可愛い。

オウム返しのところも、「佐野元春が斬り付けた」とか、「渋谷の先」「池尻大橋?」とか、一之輔独自のギャグ満載で笑わせる。で、サゲも「お前の目の前にいるのは誰だ?」「竹さん!」。いやはや、一席目から絶好調なり。

二席目は冬の噺ということで、「うどんや」。火を当たらせてもらう酔っ払いのペースにうどん屋が巻き込まれるながらも、必死に抗戦する様が愉しい。酔っ払いの「それじゃあ、見ている人に俺が管を巻いていると思われるじゃないか」って、どの口が言うんだという感じだけど、何か憎めないんだよなあ。

嫁に行くミー坊を良く世話したという思い出話で、「好き嫌いなく、何でも食べなきゃ大きくなれないぞ」と言い聞かせたというのが、後半で生きてくるのもいい。「うどん、いかがですか」「俺、うどん嫌いなんだ」「あなたはミー坊に何と言ったんですか!」。

三席目の「心眼」。マクラで前座時代に寄席に頻繁に通ってくれていた目の不自由な方に、「目が不自由な人が出てくる噺は、最近は寄席では流行らないの?CDではよく聴くんだけど」と言われたエピソードが心に響く。そうだよなあ、ハンディを背負っていても、そのハンディと戦いながら生きている人たちは、寧ろこういう「心眼」のような噺を求めているのかもしれないよなあ。

梅喜さんが横浜で弟の金公に「ごくつぶしが来た。どめくら!」と罵られた。だけど、目が明いたときに仲見世で風車や凧を見て、幼少時に父親に買ってもらった風車を兄弟で仲良く遊んだり、父親が凧揚げをして「すげえ」と兄弟で感心したりしたことを思い出すのは、やはり血の繋がった弟のことを心底は憎んでいないだなあと思わせる。

綺麗な芸者さんを見て、「あっしの女房のお竹とどっちが綺麗ですか」と訊くのはまだしも、莚を敷いて座っている女乞食を見ても同様のことを上総屋に問うのは人間の性として可愛いのではないかとも思う。ましてや、自分がいい男だと知り、芸者の小春が岡惚れしていると聞けば、そりゃあ、自惚れても仕方ない部分もあるんじゃないかと思う。

ゲストのマキタスポーツさんは、ユーモアのセンスと音楽的才能の両方を兼ね備えているから凄い。小泉進次郎の東日本大震災に対する意味不明のコメントをメロディーに乗せて歌ってしまうセンスが素晴らしい。マイナーコードのサザエさん、音頭になった尾崎豊「15の夜」、勝った気分になるコード、ミスターチルドレン風の「トイレの唄」、いとしのエリーに乾杯。俳優業が忙しい方だが、是非芸人としての活動をもっとしてほしい。

夜は人形町に移動して、兼好集。このところ寒くなり、空気が乾燥しているので、喘息持ちの三遊亭兼好師匠は喉が本調子でないのが気にかかった。

「堀の内」「蒟蒻問答」「締め込み」の三席。どれも兼好師匠の軽妙な噺運びが生きている高座だったが、「蒟蒻問答」の言い立てのところ、珍しく言い淀んでしまって、やり直したのも、喉の調子が良くないためで、「今度、リベンジします」とおっしゃっていた。

「締め込み」。亭主が風呂敷包みを見て、女房の間男を疑うが、泥棒先生の風呂敷が「祝 泥棒20周年」と染め上げてあったので、事が穏便に済んだのが何とも可笑しい。すっかり安心した亭主は泥棒に感謝して酒を勧め、泥棒もそれに応じるが、「入ったときは忍び足、帰るときには千鳥足というのも」とつぶやくのも笑った。「駆けつけ三杯だ」と勧められて、「駆けつけてはいない。むしろ、慎重に窺いながら入りました」とほろ酔い気分になり、寝入ってしまうのも可愛いかった。