桃月庵白酒の“粋”

桃月庵白酒独演会~本多劇場編~に行きました。あのニコニコした丸顔から繰り出される独特のユーモアに彩られた三席を堪能した。丸ポチャな高座姿を見てるだけで幸せになれるのに、ヒリリと毒が塩梅良く混じったマクラに思わず頬が緩む。そして、本編は愚かなんだけど、可愛い登場人物によって展開する人間味溢れる笑い満載で、「これぞ、落語!」という味わいが良いですなあ。

一席目は「長屋の算術」。3日の鈴本演芸場の初席でも聴いたが、いわゆる寄席ネタで、伸縮自在。無学な長屋の住人に背伸びして算術を伝授しようとする大家さんと長屋連中のおバカなやりとりは笑いが途絶えない。本当は分かっているんだけど、わざと分からないふりをして大家さんを困らせているんじゃないか、と思える節もあって、そこが落語の奥深さだなあと思う。

二席目は「松曳き」。国家のリーダーは岸田総理。落語協会のトップは市馬会長。皆を引っ張っていく人間がしっかりしているかいないか、組織の安定はそこに掛かっていると、白酒師匠はリーダー論からこの噺に入る。江戸時代も平和な世の中になってしまうと、戦国時代と違って、その藩のトップである殿様がぼんやりとしてしまうこともある。そこを老中がしっかりと脇を固めていれば、何とかなるのだが、その老中までおっちょこちょいとなると…というのがこの噺の眼目だ。

粗忽というより、健忘症?な殿様と田中三太夫コンビは強烈だ。口から出た言葉の次に、それを否定するような発言をしてしまう、それがダブルで繰り広げられるから、周囲はさぞ混乱の極みだろう。松の植え替えを頼まれた八五郎以下、植木屋職人たち。国許から届いた手紙を三太夫さんに渡した家来。健忘症コンビが展開する混乱の可笑しさはもちろんだが、周囲の人間たちが何とかその混乱に巻き込まれないように大人の対応をするところに面白さがあるような気がする。だから、この組織とか、この人間関係が正常に機能するのだなあと思う。

中入りを挟んで三席目は「幾代餅」。メンタル関係の病気は薬よりも、病んでいる要因を解決することで治せるのでは、という師匠の問題提起は今も昔も同じことなのだなあと思う。清蔵が幾代太夫に会えないと落ち込んでいたときと、会える!と知らされて元気になったときの人間の変わり様の表現が、白酒師匠は実に上手いから、納得がいく。

良く、「幾代餅」は人情噺なのに、白酒師匠が演じると滑稽噺になるという言い方がされることがあって、それはそういう一面もあると思う。清蔵が自分は恋患いだと告白すると、それを聞いた女将さんや親方が腹を抱えて爆笑するところが象徴しているように、確かにこの噺をあまり「いい噺」にしたくない白酒師匠の工夫があると思う。

だけれども、この噺は人情噺でもなければ、滑稽噺でもなくて、ただただ清蔵の“純情噺”ではないか。その純情をあまり美化することなく、でも「素敵だよね」と思える噺に仕上げた手腕は流石、白酒師匠という気がしてならない。今夜、この噺で新しいサゲを聴いた。「幾代太夫を女房にするなんて、よっぽど粘ったんだな」「いや、ついていただけだ」。搗き米屋にちなんだ鮮やかなサゲを聴いて、胸がスカッとした。

三席を通じて、白酒落語の“粋”を感じたような気がした独演会だった。

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