春風亭一之輔の振れ幅

下北のすけえん~春風亭一之輔ひとり会~に行きました。去年は1年間で920席の高座を口演したという一之輔師匠だが、今夜もエネルギッシュに3席を披露。一之輔ワールドの幅の広さを満喫した。いやあ、心の底から落語を愛しているのだなあ、だからこそ観客の心を鷲づかみにする高座が出来るのだなあ、と年の初めに改めて思った次第。

一席目は「堀の内」。粗忽者の八五郎の粗忽っぷりが半端じゃない。粗忽を治すために堀の内の御祖師様に参詣に行く出発前から、その道程、着地点、そして帰宅してから息子を湯屋に連れて行くところまで間断なく粗忽の渦が巻き起こっていて、爆笑をかっさらう。お題目のミョー、ミョーと唱えるのが、ラップみたいにリズミカルで、行く先々の“粗忽”がイキイキと躍動している。3年くらい前からだろうか、「堀の内」がラップ調に彩られはじめたのは。以来、その爆笑編は高座を重ねるごとに進化している。噺を壊しながら、拵えていく作業を一之輔師匠が毎回楽しんでいるかのようだ。

二席目は「七段目」。若旦那の芝居気違いぶりが実に本格的なのが特徴だ。若旦那が帰宅して親父に小言を食らうたびに芝居掛かりで返答するところ。番頭さんになだめられて二階に八百屋お七の人形振りで駆け上がるところ。そして、定吉と一緒に仮名手本忠臣蔵の七段目のお軽と平右衛門とのやりとりをする芝居ごっこ。ここは松尾あさ師匠の三味線も入って、芝居台詞も普段から歌舞伎を観ている人間じゃないと出来ないというくらいの達者だ。

途中に一之輔師匠が喋っていたが、日大芸術学部の落研時代に、歌舞伎研究会が前進座で歌舞伎公演をするときに人手が足りなくて脇役を何度も勤めたことがあると言っていたが、それを聞いて、なるほど!だから板についているのか!と思った。大銀座落語祭のときに新橋演舞場で、噺家だけで「勧進帳」を演じたときも脇役で入っていたそうだ。弁慶を正蔵師匠、富樫を米團治師匠、義経を三平師匠!仕掛け人の小朝師匠、懐かしい。

中入りを挟んで、三席目は「鼠穴」。客電を少々落として、シリアスに聴かせた。以前聴いたときよりも、竹次郎の兄が優しい印象を持った。茶屋酒の味が抜けていない弟を見て、“商いの元手”として三文しか渡さなかったのも、心を鬼にして実行したものだという心遣いに納得がいく。

夢の中の兄も火事で財産を失った弟を見捨てたわけではないという風にとれた。金の無心に来た竹次郎に対し、連れてきた娘のお花に席を外させて、厳しいことを言う。5両なら自分の小遣いだから渡すことができる。だが、50両となると、店で働く者皆の財産から渡すことになるから、返済の当てがままならない金を貸すことはできないと。なるほど、理屈である。それと、火事見舞いは竹次郎が来訪する前に兄から届けていたというのも、“優しい兄”の側面を見た気がした。

女房を持つのも、子を持つのも贅沢。この兄の台詞もいつもなら「この兄は鬼だ」と思ってしまうのだが、倹約に倹約を重ねて一財産を築いた兄にとっては、それも自分の哲学なのかもしれないという気もする。最後は「夢で良かった」と全てが解決して噺は大団円となるわけだが、この夢が実際に本当だったら、果たして兄の言い分と竹次郎の言い分のどちらを取るべきか。改めて考えさせる噺だなあと思った。

粗忽と芝居の二人の気違いで爆笑する前半2席。そして、本当の幸せとは何かをシリアスに考えさせる中入り後の一席。振れ幅の大きな一之輔師匠の魅力がいっぱいの独演会だった。

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