【ありがとうございました!寄席井心亭】ここで聴いた落語は生涯の思い出になるでしょう
みたか井心亭で「寄席井心亭 柳家喬太郎」を観ました。(2022・06・29)
本当はおととし、2020年4月に開催される予定だった会である。それがコロナ禍で延期に延期を重ね、2年2か月後に開かれた。しかも、これが最終回である。7月6日開催の柳家花緑師匠の回で、ちょうど300夜となり、本当の最終回となる。
井心亭が終わるということは、2020年の時点で決まっていた。だが、コロナの感染がなかなか収束しない。三鷹市芸術文化センターとしても苦渋の2年間だったのではないか。
こじんまりとした畳敷きの和室で、100人入ればいっぱいという会場で、毎月開催され、四半世紀が過ぎた。演者と至近距離で落語を楽しむにはとても贅沢な空間で、チケットはいつも争奪戦だった。
第一夜が1995年4月19日。五街道わたし「たらちね」古今亭菊翔「六尺棒」古今亭菊寿「花見の仇討」古今亭志ん輔「試し酒」でスタートしている。
98年から、柳家花緑、立川志らく、林家たい平、柳家喬太郎という4人が交代で月番を務める体制がスタート。つまり、年に3回ずつ月番が廻って来る計算だ。
喬太郎師匠が井心亭に初めて出演したのは、95年11月。まだ月番制が採られる前だ。柳家さん市「初天神」柳家喬太郎「粗忽の使者」柳家喜多八「もぐら泥」柳家はん治「抜け雀」というラインナップになっている。
月番制になってからの第一回は師匠のさん喬を呼んでいる。98年6月。喬太郎「ちりとてちん」、林家二楽、喬太郎「寿司屋水滸伝」、さん喬「猫久」。さらに第二回は98年10月。喬太郎「子ほめ」小田原丈「レンタルビデオ」喬太郎「喜劇駅前結社」、そしてトリは何と圓丈師匠で「グリコ少年」なのである。
なんでこんなことがわかるかと言うと、最終回に第一回からのネタ帳がお客様全員に配られたから、そのネタ帳を見て、書いている。
僕はこの井心亭にいつから通うようになったのだろう?ネタ帳を見ながら、探ってみる。僕の記憶が確かにあるのは、2008年8月。小んぶ「道灌」さん若「棒鱈」喬太郎「牡丹燈籠~刀屋」志ん八「黄金の大黒」喬太郎「鬼背参り」。夢枕獏さんの作品に衝撃を受けた。
そこから足掛け15年か。夏は冷房の効かない部屋で汗を拭いながら、冬は暖房の効かない部屋でセーターを厚着しながら、喬太郎師匠の高座を食らいつくように聴いた。ほかのホール落語ももちろん聴いたが、あの井心亭という空間は特別な張り詰めた緊張感があった。特別な何かを期待している自分がいた。
そして、最終回のラインナップは・・・柳家喬太郎「短命」一龍斎貞寿「東玉と伯圓」喬太郎「極道のつる」喬太郎「銭湯の節」。
「短命」は八五郎が隠居に恋心を抱くところ、そしてお店のお嬢様の4人目の旦那となるという演出になって、俄然面白さが倍増している。
二席目は配布された過去のネタ帳をめくりながら、天国に逝ってしまった先輩や、昔は仲良くしていたがしばらく会わなくなってしまった芸人の思い出をたっぷりと語って、しみじみとした。それだけで終わるのかと思ったら、久しぶりの「極つる」!最近は「ウルトラのつる」が多かったので嬉しかった。
中入りを挟んでの、トリネタは奈々福さんとの企画で作った「銭湯の節」。初演から何度も掛けていて、より面白くなっている。マクラで、先日亡くなった澤孝子先生の思い出を語ったのが印象的だった。初めてご一緒したときに、澤先生にこう言われたという。「あなたは売れたい人かと思ったら、本当に芸が好きな人だったのね」。最上級の褒め言葉ではないか。沁みた。
そんなこんなで、思い出をいっぱいくれた寄席井心亭。本当にありがとうございました!