【六月大歌舞伎 第三部】「ふるあめりかに袖はぬらさじ」幕末の港崎遊郭の芸者の悲哀を玉三郎が描き出した

歌舞伎座で「六月大歌舞伎 第三部」を観ました。(2022・06・24)

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」。物語の舞台は横浜の港崎遊郭。安政6年の横浜港開港に伴い作られた遊郭で、岩亀楼は実在の大店だ。遊女の亀遊は、実在したと伝えられているが、米国人の身請けを拒み、辞世の和歌を詠んだという有名な逸話は、攘夷論者によって作られたと考えられているそうだ。

第一幕で、遊女の亀遊と医者を志す藤吉の淡い恋模様、そして人の好い芸者のお園が印象に残る。第二幕で米国人イリウスが亀遊を身請けしたいと言い出し、通訳の藤吉は戸惑い、岩亀楼主人は調子の良いことをいう。そのやりとりに笑いもあるが、これを苦にして亀遊は自害してしまう。それがとても切ない。

第三幕は、お園を演じる玉三郎の独壇場だ。瓦版によって亀遊が攘夷女郎に祀り上げられてしまい、お園は岩亀楼を訪ねる客を喜ばそうと、瓦版に書いてあったことを、まるで事実のようにペラペラと喋る。

第四幕が、その5年後だ。横浜岩亀楼の引き付け扇の間。ここに、この物語の悲哀がこめられているような気がする。

慶応3年7月夜。伝馬町の牢で獄死した大橋訥庵の祥月命日とあって、岡田や小山ら思誠塾の門人たちが集って酒を酌み交わしている。そして一同が、異人たちが優遇されるようになった昨今の情勢を嘆いているところへ、岩亀楼の主人が挨拶に来る。やがて小山が、攘夷女郎の亀遊についての話を聞きたいというので、お園が座敷に呼ばれる。

まもなくお園は、亀遊の死についてかつてより一層鮮やかに語る。この話を聞いた門人たちが、亀遊の死んだ年のことを思い出し、大橋先生は良い時代に死んだと語り合う。

これを聞いて、お園は大橋訥庵は吉原にいた安政4年頃に馴染み客だったと語り、先生から習った唄だと言って、亀遊の辞世を唄う。

これを聴いた門人たちが、態度を一変させ、お園に斬りかかる。お園は慌てて逃げだす。そのお園を連れ戻すと、文久2年に死んだ亀遊の辞世が、安政4年にすでに唄われていた矛盾を指摘し、糾弾する。

そして、お園が亀遊の死に関する真相を明かすと、大橋先生に唄を教わったという話は金輪際するなと脅した上で、口止め料を置き、岡田たちは帰っていく。

ひとりになったお園は酒を呷って、自分の話は全て本当だと、雨が降りしきる中、ひとり毒づくのだった。

独特の寂寥感が漂う幕切れである。

芸者お園:坂東玉三郎 通辞藤吉:中村福之助 花魁亀遊:河合雪之丞 思誠塾門人小山:田口守 思誠塾門人岡田:喜多村緑郎 岩亀楼主人:中村鴈治郎