【六月大歌舞伎 第二部】「信康」優れた資質を持った主人公の非業の死を染五郎がしっかりと演じた

歌舞伎座で「六月大歌舞伎 第二部」を観ました。(2022・06・17)

「信康」。まだ、今川義元の許で人質として過ごしていた徳川家康と、その吉本の姪と言われる築山御前の嫡男として生まれた信康。父の幼名である竹千代と名付けられた。

9歳のときに織田信長の長女徳姫と祝言。同年元服の折、信長の一字を贈られて信康と名乗った。その3年後の元亀元年には岡崎城主となり、天正3年に初陣。その後、長篠合戦をはじめとする戦いで、勇猛果敢さを発揮する。

しかし、武田方への内通を疑われ、天正7年9月15日に切腹。享年二十一。江戸時代に入ってから将軍家をはじめ、限られた者にしか徳川姓を名乗らせないことになり、信康は死後、松平信康と改名された。

その優れた資質、器量ゆえに非業の死を遂げなければならなかった信康と、父でありながら、徳川の家門を守るために信長の意に従わねばならなかった家康の苦悩と悲劇である。

象徴的なのは、「第三場 二俣城本丸広間の場」であろう。

信康に切腹を命じる家康の使者として、天方山城守と服部半蔵が二俣城へと到着。信康はこれを死装束姿で出迎える。そして、信長を恐れて死ぬのでもなく、父家康に背き、武田方に寝返って死ぬのでもなく、死ぬべきときを逃すのを恐れるのだと告げ、自分の死後、徳姫を実家へ戻し、我が子である二人の姫の行く末を家康に託したいと願うと、半蔵に介錯を命じて、切腹する覚悟を決める。

そこへ平岩親吉が走り込み、家康を連れてきたことを告げると、信康は短刀を腹に突き立てる。案内された家康が現われ、親子の恩愛を断ち切る逞しさ、裏切り者の汚名を恐れぬ勇気、情けを知って情けを超える真の大将の器量に育った信康を褒め讃える。

そして、家康に褒められたことを素直に喜ぶ信康に向かい、その血であながう徳川の行く末を疎かにしないと告げ、介錯しかねる半蔵に代わり、自らがその役を勤めようと刀を抜く…。

現代では到底理解しがたい運命と、その不条理を受け入れる親子の愛情の通い合いに、胸が熱くなった。

徳川信康:市川染五郎 松平上野介康忠:中村鴈治郎 平岩七之助親吉:中村錦之助 御台徳姫:中村苔玉 鵜殿又九郎:中村歌之助 奥平九八郎信昌:嵐橘三郎 天方山城守:大谷桂三 本多作左衛門重次:中村魁春 徳川家康:松本白鸚