柳家三三「たちきり」未練がましい若旦那が立ち直るよう、手を差し伸べる説得力のある純愛物語に。

イイノホールで「月例三三独演」を観ました。(2022・02・10)

柳家三三師匠、「狸賽」「雛鍔」「たちきり」の三席。

演出過剰の“お涙頂戴”的な「たちきり」はあまり好きではない。そもそも、これは悲恋なのか。芸者の小久と惚れ合い、金の使い込みが過ぎて、百日の蔵住まいを命じられた若旦那が、やっとのことで解放されて小久の元を訪ねると、彼女は若旦那に嫌われたのかと気を病んで死んでしまった。その一途な小久の気持ちには共感するが、そこに未練をいつまでも持っている若旦那には以前から違和感を持っていた。

だが、今回の三三師匠の「たちきり」には、一番最後にとても説得力があり、この悲恋をより強いものにしてしてくれた。仏壇の三味線が黒髪を弾き出したところからである。

若旦那は泣きながら言う。

「お前のことはずっと忘れない」

「女房と名の付く者は決して持たないよ」

「小久、もう一度会いたい」

未練がましい言葉を並べる。

だが、それに対してかあさんは冷静である。

「世の中には忘れなきゃいけないことも沢山あるんですよ」

「そうしないと、あの娘も逝くところに逝かれないじゃないですか」

「若旦那は店を継がなきゃいけない。どうするんですか」

そうなのだ。この噺のテーマは「純愛」にある。ただただ、泣かせればいいというものではない。純愛だったら、若旦那は小久のためにも、今までの思い出を一旦忘れて、家業に身を入れて、立派な商家の若旦那になるべきなのだ。

新たな旅立ちをしなくちゃいけない若旦那は、メソメソしている場合ではないのだ。好いて、好かれて、惚れ合った仲ではあるけれど、ここはグッと堪えて、立ち直ることが肝要だ。

そこにそっと手を差し伸べる、かあさんの存在の演出に素晴らしいものを感じた。とても説得力のある「たちきり」だった。