【プロフェッショナル ウエディングプランナー・佐伯恵里】愛を信じて、生きていく(2)

NHK総合テレビの録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 ウエディングプランナー・佐伯恵里」を観ました。

きのうのつづき

1980年、佐伯は三人兄弟の長女として生まれた。幼い頃から人一倍、繊細で傷つきやすい性格だった。

本当に生きづらくて、子供のときって、大人のことをすごく気にしていたのね、周りの大人の。愛嬌がないなって言われたりする、一言にすごく傷ついたり、新しい環境に身を置くのもすごく嫌だったし。

高校卒業後、モデルの養成所へ入学したが、比較され、否定される日々に傷つき、10ヶ月後に退所。地元に戻り、人材派遣や自動車の営業職に就いたが、待っていたのは上司からの苛めだった。

朝起きて、会社に行けないくらい、しんどくなってしまって。

佐伯は人と接することが怖くなり、仕事を辞めた。そんなときだった。雑誌でウエディングプランナーを募集する広告を目にした。

平和ですよね。結婚式の空間って。穏やかだし、愛や思いやりに溢れていて。人が人を傷つけることもないし、「いっぱい深呼吸できる」。そんな感じだったと思います。

とにかく、夢中で面白くて、息つく間もないぐらい寝る間も惜しんで本当に仕事して。

こだわりぬいたビジュアルや斬新な演出。前例のない式を計画しては、次々と実現していった。でも佐伯はいつも少しだけ物足りない気がしていた。

ビジュアルを追ってたんです。お金や人手をかければ、いいものは勿論できるんですけど、浅いっていうか、薄いっていうか。

それはプランナーになって5年目のことだった。佐伯は式場のPRを兼ね、一組の夫婦に結婚式をプレゼントする企画を立ち上げた。

一通の手紙が届いた。両親に結婚式を贈りたいという19歳の娘からの手紙。

私のお父さんはガンで、あとどれくらい生きられるか分かりません。だけど、お父さんもお母さんも一生懸命に働いて私を大学に行かせてくれました。だから、お父さんとお母さんに結婚式を挙げて幸せになってもらいたいんですっていう手紙を書いて送ってきてくれた、由依ちゃんという女の子がいて。

闘病を続ける父がかつて子どもたちを育てるために諦めた結婚式。

子どもたちにヒアリングしたら、すごく社交的でお友達がたくさんいるって言っていたから、「じゃあ、皆が見に来てくれたら、嬉しいんじゃない?」って言ったら、子どもたちがお父さんとお母さんに内緒で近所の人たちに声をかけて。「この日にお父さんとお母さんが結婚式をするから見に来てください」って言って。

挙式当日。式場は50人もの参列者たちが集まっていた。子どもたちが毎日のように足を運び、全ての家を訪ねていた。

由依さんの父が病気で息を引き取ったのは、3カ月後のことだった。

お通夜に行ったんです。ゆりの花束を持って。そうしたら、今度はお通夜に集まっていた人は結婚式に来ていた人たちなんですね。皆が笑顔で結婚式の時の話をされているんですよ。あの結婚式があったことで少し、皆さんのつながりというか、絆というか、心と心が繋がっているって感じられる。それで、人って強くなれると思うので。

佐伯は相手の思いを聞き、何を求めているかを知ることに時間をかけた。そして、式を終えたあとの人生にまで思いを馳せ、何ができるかを探し続けた。

佐伯が語る。

諦めないで仕掛けていったら、きょうのこの日っていうのが、少しでも深く家族の胸に届くんだっていうことを、すごく見せてもらって、人生を作っているなって思うんですよね。すごくデリケートなところに触れさせて頂いて、作らせていただいている。

それから15年。式に立ち会うたび、人の温かさや優しさに触れることができた。それはかつて傷つき、人間不信になっていた自分の心も、癒してくれた。

人を愛おしく思えるとか、人の優しい面に触れられるから、そうあれることで、私も生きていけるかもしれないなと思います。だから、自分のためにしているのかもしれない。

結婚式は未来へのお守り。そして、自分の背中を押してくれるお守り。

つづく