【緒方拳 掌】大きくて、ゴツゴツした手。それが俳優としての原動力となり、心意気となり、魂となった(下)
NHK-BSプレミアムの録画で「俳優という名の男たち 緒形拳 掌」を観ました。(2014年9月17日放送)
きのうのつづき
緒形拳にテレビドラマ出演の依頼が殺到すると、緒方は悩む。新国劇の退団を申し出ようか。恩人である北條秀司に相談すると、「やめていいよ。もっと大きな世界へ行っていい」という答えが返ってきた。そのことを伝えると、辰巳柳太郎も島田正吾も当然怒った。1968年。緒形、31歳のとき、10年間お世話になった新国劇を退団する。「悪いのは自分です」という言葉を残して。
80年代はまさに緒形拳、疾走の時代であった。映画、ドラマと数多くの名作を生みだした。そんな中、今村昌平監督とのコンビで「女衒」を作ったが、出来は芳しくなかった。脚本家の池端俊策には「しみじみした役をやりたい。市井の人、普通の人を演じたい」と漏らした。
緒形拳の思いを、番組で公開された録音テープから
映像っていうものは、人の持っている健気さみたいなものが出る。その人の“ありよう”みたいな。わかりやすく言えば、哲学みたいなものが。「俺はいかに生きるか」みたいなね。瞬間、チラッチラッと見える。
緒形は池端が初監督で映画「あつもの」(1999年)を撮った。異様なまでの情熱で菊作りに向かうものの、ライバルの存在でどうしても一番になれないという男の物語である。緒形は、“二流の人間”の一流の生き方が面白いよね、と言ったという。自分より勝っている人間への憧れがいつもあった。
緒形が池端に言った。「俺を後ろから撮るところがあるだろう。そこが勝負だぞ」。池端いわく「良いものを見せてもらった・・・それがラストシーンになりました」。
2001年11月、緒方は肝臓がんを告知される。そこから7年間、仕事を続け、亡くなる7日前まで現場で演じていた。
緒形は恩師・辰巳柳太郎が晩年に演じた「白野弁十郎」というひとり舞台に、2006年、69歳のときから挑んだ。大きくて醜い鼻がコンプレックスの男が、恋する女性に告白できないばかりか、恋敵の恋の手助けをするという物語である。
緒形は辰巳とは違う自分にしかできないひとり舞台にしようと、大きな付け鼻をやめ、五役を演じる台詞を何度も書き直し、タイトルも「白野」と改めて、挑んだ。素のままの自分を晒す舞台にしたいという思いがそこにある。
緒形の芝居に対する思い。再び録音テープから
俺を長い間支えているのはコンプレックスだ。人目にさらされると、ちょっと身のすくむような思い、身をよじるよな恥ずかしさ。恥ずかしい。こうやっていると、手を隠して、手をこうやって隠して、どう見たって美しくないよ。どう見たって美的ではないよ。
新国劇というところが、すごくおもしろいなと思ったのは美しいばっかりではないんだ。そのなかで朽ち果てていく男、敗れていく男、そのなかにすごく妙味がある。勝ってる人も負けてる人も、みんな平等なんて、そんな映画は面白くないよ。勝ってる人がいて、敗者がいるから面白い。その敗者に焦点が合う。大衆演劇、捨てたもんじゃないな。いまだにね。
自分のエンジンとして、そんなに美しいエンジンで、見た目もいいし、音もすごくいい。そういうんじゃなくて、ゴツゴツしてて、何かがある。力さえあればいいんではないか、という思いが俺のどっかにあるよね。
2006年のシアターコクーンでの上演「白野」の舞台の一部を観て、「役者・緒形拳」の魂みたいなものが浮かびあがってきた。それは男の心意気!なのだ。
おわり