「ザ・プロファイラー 立川談志」人間とは何か。面白さも弱さも含め、投げかけてくれる先生のような存在。
NHK-BSプレミアムの録画で「ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~ 落語界の風雲児・立川談志」を観ました。(2017年12月21日放送)
岡田准一が時代を動かした人物に迫る、歴史エンターテインメント。「歴史を知ることは、今を知ること」多彩なゲストとともに、波乱万丈の人生から現代人の生きるヒントを探る番組だ。2012年から放送を開始し、現在まで140本が制作されているが、落語を取り扱ったのは、この1本のみである。この番組を観て、知ったこと、感じたことを書き留めたい。スタジオ出演者は、大林宣彦さんとラサール石井さん。(以下、敬称略)
テーマ①なぜ高校を中退し、落語の道に?
9歳のときに終戦を迎えた談志は、「いい戦争なのだと思っていたら、悪い戦争だったということになった。この一事のために私は何事も素直に見ない習慣を身につけてしまった」と振り返っている。10歳で初めて寄席に行き、落語の虜になり、学校でも授業中に落語全集を読み、先生に怒られる少年だったようだ。「自分の心の中にあるものを表現させてくれる手段をもつ話芸」だと思ったという。14歳で「ずっと寄席にいたい・・・落語家になるしかない」、16歳で「落語家になりたい」と思い、母親に告げると、「とんでもない。恥ずかしいから、よしておくれ」と言われた。
だが、強硬に決意を固めた談志は母と一緒に小さんの元を訪れた。「大変だぞ、この稼業は。修行も長いし、派手に見えるかもしれないが、儲かる商売じゃない。できたら、やめた方がいいよ」。この小さんの言葉に、母親は「落語家の生活って、案外まじめそうね」と思ったそうだ。
ラサール石井のプロファイル「終戦で価値観が逆転する中、笑いによって人を救おうとした」
大林宣彦のプロファイル「笑いで世の中を批判することで、失われた日本の良い面を取り戻そうとした」
テーマ②なぜ落語はダメになると考えた?
16歳で初高座、18歳で二ツ目昇進。ラジオやテレビに出演すると同時に、キャバレーでスタンドアップコメディーを披露するなど、活躍の場を広げる。その原動力に、古今亭志ん朝の存在がある。志ん朝は入門から5年で真打昇進し、談志を追い抜いた。談志の「辞退しろよ」という言葉に、志ん朝は「いや兄さん、あたしは実力でみんなを抜いたと思っている」と答えた。のちに談志はそのときの志ん朝の返答は立派だったと評している。談志も1年後に真打昇進、27歳。29歳で「現代落語論」を書く。
「現代と大衆と古典をつなぎあわせる落語家がいなければ、落語はかならずダメになる」。これが論の芯だった。マクラに時事の話題を取り入れ、30歳でテレビ番組「笑点」をスタートさせ、時代の寵児になった。
ラサール石井のプロファイル「志ん朝の完成度を目の当たりにし、自分はどうするか、もがき続けた」
大林宣彦のプロファイル「古典落語が持つ日本人の美しさを若い世代に伝えていきたかった」
岡田准一のプロファイル「自分に足りない面と向き合いつつ、落語を通して『何かをやる』と決めていた」
テーマ③なぜ「人間の業」について考えるように?
33歳で衆議院議員選に出馬し落選。35歳で参議院議員選に出馬し、当選。落語には熱心に取り組み、寄席にも出た。談志の当時の言葉だ。「落語家が落語だけやって、政治は政治の世界に任せるなんて、そんな常識的なやつが落語をやったって面白くもなんともない。『それ行け!』とオッチョコチョイが落語をやるから面白い」。
39歳で沖縄開発政務次官に就任するも、現地視察の翌日の会見を二日酔いでサングラスをかけて臨み、非難を浴び、任期36日で辞任。それもまた、談志だ。それが新たな境地を生む。寄席に出ると割れんばかりの歓声。芸に開眼する。「芸はうまい、まずい、面白い、面白くないなどではなくて、その演者の人間性、パーソナリティー(個性)、存在をいかに出すかなんだと気が付いた。少なくともそれが現代における芸だと思ったんです」。
演者の存在を消すのではなく、個性を打ち出すことが落語には大事なんだ。今、この2021年においては当たり前になったことが、実は当時としては革新的であり、現在のスタンダードを談志が切り拓いたんだとも言える。落語とは人間の業の肯定、というちょっと聞くと小難しい理屈に聞こえるかもしれないが、極当たり前のことを談志は言っていたのだと気づく。
「人間は弱いもので、働きたくないし、酒呑んで寝ていたいし、勉強しろったって、やりたくなければやらない。そういう弱い人間の業を落語は肯定してくれているんじゃないか」。落語には勧善懲悪な噺はほとんどない。自由奔放な生き方をしていた談志だからこその哲学がそこにある。
ラサール石井のプロファイル「人間の業を笑いにすることで救われる人がいると考えていた」
大林宣彦のプロファイル「人間の業を認め理解することで戦争がなくなると考えていた」
岡田准一のプロファイル「人間が詰まっている落語を通して、“人間はいとおしい”と伝えようとしていた」
1980年にはじまった真打昇進試験。83年の談志の弟子2人の不合格を引き金に落語協会を脱退。落語立川流を旗揚げした。当時を振り返った談志の言葉である。「私は怒った。過去の真打と比べ、相対的に見て、内容、技芸で真打の資格があると、師匠である私が判断した弟子が真打試験に落ちたのだ」「協会を飛び出る不安よりも、こんなところにいる不満の方がはるかに大きくなっていた」。
ラサール石井のプロファイル「落語とは何か。自分は何者か。常に考え、もがき続けた人生だった」
大林宣彦のプロファイル「世界で起きていることを自分事と考え、平和を実現してほしいと切実に願った」
岡田准一のプロファイル「人間とは何か。面白さも弱さも含め、投げかけてくれる先生のような存在」
最後の岡田のプロファイルに、合点がいった。