【続・あのときの高座】⑤立川志の輔「忠臣ぐらっ」(2008年9月29日)
12月29日から、過去に印象に残った高座をプレイバックしてきました。最終回のきょうは、2008年9月29日。「立川流 三人の会」@新宿・紀伊國屋サザンシアターの公演からです。以下、当時の日記から。
プログラムに高田文夫がこう書いている。「本日は熾烈なチケット争奪レースの中、よくぞ勝ち抜いてここまでお越し頂きました。紀伊国屋さんに伺ったところ、発売日の前日から徹夜で並び、涙ぐんでチケットを買って帰った人も数十人居たとか・・・。我々はサザンオールスターズじゃないんですから。ここはサザンシアターなんですから。おまけに単なる落語ですよ。なにもそんな思いまでしなくても・・・」。でも、この3人が顔を合わせて落語会をやるなんてことは、そうそう無いことだし、あの高田先生だから出来たことなので、仕方ないのだが。
僕は、一昨年に1回目の「三人の会」がおこなわれた時には、チケットが手に入らず、行けなかった。今回は電子チケットぴあのネット販売で10時の時報とともに、奇跡的にすんなり購入することができ、チケットを入手することができた。ヤフーオークションを覗いてみると、1枚が2万円以上(定価5千円)で取り引きされていた。プレミアチケットである。この日は早めに仕事を片付け、万難を排して落語会に臨んだ。三者三様の持ち味をいかんなく発揮して、看板に偽りなし、まさにドリームな落語を堪能することができた。第1回も観ているマイミクさんの評判は「前回の方が緊張感があって良かった」「三人の出来も満足のいくものではなかった」と批判的なものが散見されたが、僕自身が満足すれば、それで十分。第3回が開かれる日を楽しみに待ちたい。
オープニング ジャンケン
「日教組が嫌いな中山国交相です」と言いながら、席亭の高田先生登場。構成作家の先生でも、このメンバーではプログラムが決められないそうで、順番はジャンケンで決めることに。一番手30分、二番手30分、中入りを挟んで、トリが45分という構成。「赤めだか」の談春、「シネマ落語」の志らく、「歓喜の歌」の志の輔の順に舞台に登場し、軽くトークがあった後、ジャンケンに。前回は志の輔師匠が負けて、トリを取ったそうで、談春師匠いわく「この二人とジャンケンなんて赤子の手を捻るようだ」と豪語。すると、志の輔師匠が「群馬流ジャンケン」でやろうと提案した。???師匠の説明によれば、「ジャンケン、ポン」の代わりに「オッチャ、チッ」、「アイコでショ」の代わりに「チッチ、ポッ」という掛け声でジャンケンをするというものらしい。この脱力感溢れるジャンケンで、強気だった談春師匠が負けた。志の輔師匠の作戦が成功したわけだ。というわけで、一番手に志の輔、二番手に志らく、トリが談春という順番に決定した。これもまた、楽しいプログラムである。
立川志の輔「忠臣ぐらっ」
マクラは北京五輪の柔道の金メダリスト、石井彗選手の言動のユニークさが気に入っているという話。福田首相と対談した時に感想を求められ、「腹黒い人じゃないんですね。だから、人気がないんですね」。母校・国士舘の学生を前に公演した時の第一声が「保証人にはなるな」。さらに、テレビドラマに本人役で出演した時の感想が「役になりきれなかった」。落語より面白い石井選手の言動に今後も注目だ。で、本題。おかずに困ったら豆腐を出せ、外題に困ったら忠臣蔵を演れ、というくらい「忠臣蔵」は芝居や講談の定番、人気演目だ・・・なのに落語には「忠臣蔵」がない、それが悔しい、と。確かに「七段目」とか「四段目」といった芝居好きの若旦那や小僧を扱った噺はある。だが、それは「忠臣蔵」のストーリーの本筋を扱ったものではない。なぜないのか?男のロマンとか、かっこいい話というのは落語には合わないからだ、と。それを承知で志の輔師匠が落語にしてみたのが、この噺。僕は2年前のパルコ公演で聴いて以来だ。師匠曰く「無理やり落語にしたので、無理がある。オチもつけた。だけど、皆さんは納得がいかないかもしれない。それをご理解の上で聴いてください」。
九十郎という名で町人になりすまし、播磨屋という酒屋を営んでいる、赤穂浪士の岡野金右衛門。彼は吉良邸の絵図面を手に入れるという使命を負って、毎日を過ごしている。その店に、大石内蔵助が訪ねてくる。「絵図面は手に入ったか?討ち入りの準備は整いつつある。後は絵図面さえ手に入れば、討ち入りができる。必ず手に入れてくれ」。実はこの会話が近所の人間に聞こえていて、大石と岡野の作戦は、ばれてしまっていた。海老床では「播磨屋は酒屋じゃなかった。九十郎というのは仮の名前で、岡野様という赤穂浪士で、吉良邸の中の様子を探ろうとしているのだ」という噂話でもちきり。「凄いじゃないの!岡野様を町内で盛り上げてやろうじゃないか」と意見が一致。長寿庵は天麩羅蕎麦をご馳走してあげる。奴湯は番台に座らしてあげる。そんなの、ちっとも役に立たない!「そういえば、棟梁は吉良様の屋敷に入って仕事していたよね」「あぁ、屋根の修理で2ヶ月ほど出入りしていたよ。絵図面も持っているよ。じゃぁ、それを岡野様に届けてやろう!」ということに。
岡野金右衛門の営む酒屋に、再び大石様が訪ねる。「頼む。絵図面を手に入れてくれ。ところで、町内の者には、このことは知られていないだろうな?」「大丈夫でございます。気の良い酒屋を演じていますから」。大石様が帰ってからの岡野氏の台詞が可笑しい。「やだなぁ、討ち入り。殿様が死んで一年以上になるのに、いいんじゃないの?大石様もしつこいな。申込用紙には『参加します』って勢いで書いたけど。吉良様が死んでしまえばいいのに!」。これが赤穂の武士たちの本音だったのかもしれない。「そうかぁ、絵図面さえ手に入らなければ、討入りはできないんだ!ずっと、このままにしておこう」。
そこに棟梁がやって来た。「おーい、播磨屋ぁ~!大変だね。知らなかったよ。あんた、町人じゃないんだろ。武士なんだって?」「拙者は武士ではござらん!」(笑)「あんたが喜ぶものを持ってきたよ」「絵図面のようなものですね。どちらの絵図面です?」。すると、棟梁は両手を広げてキラキラ星のジェスチャーをして(爆笑)、「吉良さんの!」。「このようなものはいらん!」と岡野氏はつき返す。その他、長寿庵が新しいお品書きと称して、絵図面を持っていったり、海老床が髭を剃ってあげると言って、剃刀を顔に当てている間に懐に絵図面を入れようとしたり。ことごとく、岡野氏は拒否して、「何なんだ!こりゃぁ!」
さらに、町内の岡野様応援作戦は続く。これは人から貰うのではなくて、自分で見つけないと納得しないのではないか?と、絵図面を300枚、木版刷りして、目立たないところに、それとなく置いておくことに。「これが俺たちの討入りだね!さぁ、みんな、やるぞぉ!エイエイオー」という台詞が可笑しい。奴湯の富士山の壁絵が絵図面になり、飲み屋のお品書きが絵図面になり、子供の着ている着物の柄まで絵図面に!とうとう、岡野様はノイローゼになってしまった。
そこにまたも、大石内蔵助が訪問。「どうだ?」「それがいまだに手に入らないのです」「武士であることは知られていないだろうな?」「はい。気のいい酒屋を演じ切っています」「さきほど、道を歩いていたら、大工らしき男に『頑張ってくださいね』と肩を叩かれたぞ」(笑)。そして、柄が妙な座布団を見つけられ、これが絵図面。とうとう、大石様は絵図面を手に入れることに成功し、四十七士の討入りは見事におこなわれた。この討入りの様子を講談で少々聴かせる師匠もさすがだ。
そして、翌年の2月。四十七士の切腹を報じた瓦版を持って、海老床の主人が棟梁のところに飛び込んできた。「この瓦版、見てよ!討入りまでの一部始終が全部書かれているよ」「じゃぁ、絵図面を手に入れるところは何と書いてある?大工の吉五郎のお陰で、とか書いてないか?」「岡野様は・・・絵図面を・・・ふとしたことで手に入れた」(笑)。「岡野様が辞世の歌を詠んでいるよ」「そうだ、そこに俺たちへの思いが託されているんじゃないか?」「人の世は、ままならぬものとは知りつつも・・・」「松坂町よ、ありがとう、ってか?」「松坂町は何なんだ、こりゃぁ」で、サゲ。「忠臣蔵」の「岡野の絵図面取り」を落語流に改作、脚色した傑作に拍手喝采の高座だった。
志らく「源平盛衰記」、談春「妾馬」。三者三様に自分の個性が生きていた魅力いっぱいの高座三席。誰が何と言おうと、僕は十分に満足した「立川流 三人の会」であった。