三遊亭粋歌「死んだふり」「新しい生活」 噺に登場する夫婦像はそのまま世の中を映し出している

らくごカフェで「三遊亭粋歌 新作びゅーびゅー」を観ました。(2020・12・03)

粋歌さんは二ツ目になってから新作落語を創りはじめた。その初期の作品をこの日、聴くことができた。「死んだふり」。僕も演目名だけは聞いたことがあったが、初めて聴けたので嬉しかった。社会人時代の友人の結婚式のために作ろうとした新作落語(木村カエラが♪Butterflyを作ったみたいな)だが、作っていくうちにどんどん方向が違う方へ行ってしまい、結局は披露することができなかったという。だけれども、普通に落語会で聴く作品としては大変に面白く仕上がっていて、創作初期からその才能の片鱗を見せていたことがよくわかる。

粋歌さんの落語に登場する夫婦は大概、仲が良い。この落語に出てくるお父さんとお母さんもそうで、娘の幸せを夫婦で一緒になって考えているのがいい。結婚適齢期(もはや死語か?)の娘はとかく親に反発するもので、同様に父親も娘に対して頑固になってしまう。「お嬢さんを僕にください」という男が現れると、どんなに優秀な男だったとしても、一度は「駄目だ」と言ってみたいものなのかもしれない。

それが、定職に就いてなくて、「海外でヒトヤマ当てる」的な発言をする男であろうものならなおさらだ。でも、心の奥底では娘に幸せになってもらいたいから、「死んだふり」みたいな芝居でも打てるわけで、そのダメ男のことだって完全に否定しているわけではない。それが親子というものだ、とこの落語を聴いて改めて思う。娘の結婚あるある、なんだよね。磁石のS極とN極みたいにくっつかないで、反発しちゃうんだけど、心の中ではS極同士の思いやりがあるのかなあ。

コロナ自粛期間中に創ったという「新しい生活」も、渋谷らくごの「しゃべっちゃいなよ」の配信で一度聴いたきりだったので嬉しかった。妻はこの噺を聴いて、「ものすごく(登場人物の)奥さんの気持ちがわかる!」と言っていた。僕自身はコロナ禍がなくても、4月から“新しい生活”をはじめていたわけで、それにコロナが加速して、自宅で働くことが「ニューノーマル」になったわけで。でも、妻は僕がその都合の良いところだけを享受していて、もっと一緒に生活しているのだから、家事を手伝うとか、せめて家事の邪魔をしないとか、しなさいよ!と怒るわけである。当然です。反省。

この噺に出てくる亭主も勤務先のコロナ対策で自宅勤務が増えたことに便乗して、ちょっと仕事するだけであとはテレビのワイドショーやアマゾンプライムやネットフリックスを観てゴロゴロのだらしない生活をして、「元々、俺、インドア派だし。この生活が合っているんだよね」とうそぶいている。それに比べて、奥さんは普段以上にやる仕事が増えて大変なのに。協力くらいしなさいよ!主婦の立場を理解しなさいよ!と言いたくなるのも当然。

でも実際、そういう男性が世には蔓延しているらしい。そうしたご時世をきちんと観察し、創作に還元している粋歌さんはすごい。女性目線というよりも、世の中を俯瞰して鋭く切り込むジャーナリストみたいな視点を持っている。男も女も関係ない。それを落語というフォーマットに落とし込むセンスと構成力は来年3月の真打昇進後もますます冴えわたるに違いない。