神田松鯉「名人小団次」 悔しさをバネに。憎しみは感謝に。男の美学がここにある。
国立演芸場で「国立名人会~夢追う人びと~」を観ました。(2020・11・22)
トリの神田松鯉先生の「名人小団次」に涙した。理解されずに仕方なく別れてしまった関係でも、時間が解決してくれる。だから、その解決を待って、悔しさをバネに努力することが大事だと教えてくれる。市川米十郎、のちの市川小団次は18年かけて、嵐璃かくと和解し、許しを請うた。そこに憎しみはなく、むしろ感謝であった。そういう人間でありたいと思った。
「仮名手本忠臣蔵」五段目の山﨑街道で璃かく演じる早野勘平がいくら待っても、市川米十郎演じる千崎弥五郎が登場しないので、とうとう幕を閉めてしまった。大しくじりである。米十郎は腹を下して厠から出ることができなかったと畳に頭をこすりつけて璃かくに詫びるが通じない。むしろ、璃かくの怒りは増すばかりだ。そりゃそうかもしれない。舞台を台無しにしてしまったのだもの。終いには蹴り倒して、米十郎は梯子段の下まで転げ落ちた。額には血が流れる。璃かくが履いていた草履が傍にあった。しょうがない。米十郎はその草履を懐に入れ、姿を消した。
その草履が米十郎の努力の糧になったのだろう。ただ憎んでいても、役者として何の得もない。上手い役者になって、璃かくを見返してやることが唯一の道と考えた。その象徴が草履だ。その修行の道のりは、そう簡単なものではなかっただろう。つらいこと、悲しいことも沢山あったと思う。おそらく、米十郎はそんなとき、その草履を見て、また奮起したのではないか。地道な努力こそ、最大の近道。そう、物言わぬ草履は教えてくれたのだと思う。
18年後。上方歌舞伎の璃かくが江戸に出て、猿若で出演した。演目は「小幡小平次」。そのとき、中村座で上演されていたのが「鍋島猫騒動」。座頭は市川小団次だ。幕が開くとどちらも客は入ったが、次第に「鍋島」が人気を呼び、「小幡小平次」は次第に閑古鳥が鳴くように。そんな矢先、璃かくのところに手紙が舞い込む。小団次から、小屋に来てほしいという内容だ。イラっとしたが、璃かくは訪ねる。
璃かくと小団次が会う。小団次が「お懐かしゅうございます」と頭を下げる。璃かくには、何のことだかわからない。「米十郎でございます」。これで、ようやくわかった。璃かくの衝撃はいかばかりか。18年前の事件のことは、覚えているはずだ。さらに小団次が差し出す草履。確かに璃かくのものである。この憎しみを力にして成長しました。ここまでの役者になれました。ありがとうございます。と、恨みどころか、感謝の言葉を言う小団次の人間的素晴らしさに心が震えた。璃かくは、もう何も言うことができなかったのだろう。
松鯉先生の講談の魅力、「男の美学」がここにある。小団次の、恨みごとは何も言わず、むしろ、あの悔しさをバネにして座頭になれるまでの役者のなったことへの感謝を忘れない。カッコイイではないか。しかも、松鯉先生のこの日の講談では、そこで璃かくと小団次が抱き合い、涙を流し、許し合ったという部分を強調しない。サラッと、名人・小団次のひとつのエピソードとして読んでいる。ジメジメしていない。なのに、僕は泣いてしまった。そこに松鯉先生の美学を感じたのだった。