のっぴきならない恋多き女の物語 玉川奈々福の「悲願千人斬の女」に高揚し、興奮した 

晴れ豆TVで「玉川奈々福 ほとばしる浪花節」を観ました。(2020・06・10)

浪曲の魅力を全国、いや世界中に発信したい。玉川奈々福さんはコロナ禍以前から熱意をもった取り組みをしてきましたが、このコロナ禍で浪曲に何ができるか、逆に言うと、少しずつ盛り上がってきた浪曲のムーヴメントをどうやって絶やさないかを考え、まずは5月に3回にわたって、いとうせいこうさんが旗振りをしているMDL(ミュージック・ドント・ロックダウン)の力を借りて、YouTubeによる配信をおこなったことは5月31日のブログに書きました。

「玉川奈々福 ほとばしる浪花節」17日「寛永三馬術より大井川乗り切り」23日「陸奥間違い」30日「細川の茶碗屋敷」奈々福/沢村豊子(曲師)

このシリーズを何とか継続できないか。代官山にあるライブハウス「晴れたら空に豆まいて」(通称:晴れ豆)で、1年に1回のペースで柳家喬太郎プロデュース「シャクフシハナシ」というライブが開催されてきました。シャク=講談(講釈):一龍斎貞寿、フシ=浪曲:玉川奈々福、ハナシ=落語:柳家喬太郎。コロナ禍で晴れ豆さんも音楽やトークライブの配信をスタート、「シャクフシハナシ」のご縁で5月19日に柳家喬太郎独演会を実施、演芸ではその第2弾として、6月10日に「玉川奈々福 ほとばしる浪花節」を新しい形で継続することができました。当初の奈々福さんのお考えである浪曲を全国、さらに海外に広く知ってもらうために無料配信はですが、投げ銭として、1000円、2000円、3000円に3種類に分けてチケットを購入するシステムを導入しています(5月のYouTube配信でも同様の投げ銭システムがあり、継続している形です)。

事実上4回目となる「玉川奈々福 ほとばしる浪花節」の迫力に圧倒されました。晴れ豆さんの照明や音響や映像効果など演出の工夫もあり、奈々福さんいわく「大人のエロスがほとばしる」配信になったことも魅力的でしたが、奈々福さんの意気込みがライブならではの臨場感と相まって、聴き手を高揚させる、興奮させる麻薬のような高座でした。もちろん、木馬亭の昼の高座も満足感たっぷりなのですが、それとは一味も二味も違う、それこそ「大人の浪花節」に魅了された夜でした。(曲師は豊子師匠のお弟子さん、沢村美舟さん)

「清水次郎長伝~お民の度胸」と「悲願千人斬の女」の二席だったのですが、中入りを挟んで二席目の「千人斬」は大人の女性である奈々福さんの艶を感じました。浪花節は多くが人情モノですが、そうではない美魔女のストーリーが演者に乗り移ったのではないか。こういう浪曲もあることを教えてくれて、ますますハマっていきそうです。

小沢信男先生の著作「悲願千人斬の女」を原作に、奈々福さんが脚色した作品で、実在した芸者の松の門三艸子が千人の男をバッタバッタと斬っていった(斬ると言っても、刀で斬るわけではないことは、大人のあなたならわかりますよね※奈々福談)物語の抜き読み。今回の高座では千人中の「3人を斬った」だけですが、これを聴いているだけでも、僕も三艸子に斬られたい…なんて思ってしまいましたよ(≧▽≦)

下谷数寄屋町の名主、小川屋の娘・みさは深川の大店の若旦那と婚約するが、妻子ある能役者と不倫関係に。その後、歌人の井上文雄の弟子となるが、師弟を超えて男女の仲に。武士の近藤栄次郎の求婚を無視して、深川の芸者になり、小川屋小三を名乗る。深川一の売れっ子芸者に。剣を持ち、馬に乗る小三を描いた錦絵まで売られ、北辰一刀流免許皆伝の「やっとう芸者」、男勝りな気性も含めた人気だったことがわかる。

安政元年端午の節句、松本楼にあがった小三。お座敷は贔屓客の土佐藩24万石、山内豊信。三階松の紋付を着ていた小三に山内の殿様は嫉妬する。すると、小三は着物に緋縮緬の二枚重ねごと鋏を入れ、その切れ端を庭へ放って、啖呵を切った。「これは前掛けにでもしな!」。「余が悪かった」と24万石の殿様は頭を下げ、小判100枚を渡して詫びる。小三は、その小判を女中たちに撒いた。辰巳芸者は何を売る、恋の深川、勇み肌、意気と侠気で殿をも惚れる。このニュースは「深川紋切り事件」として、「紋切り芸者、小三大明神」という見出しが躍る瓦版が出るほどだった。

小三こと小川三艸子に振られ、武家の身分を捨てて代書屋稼業をしている近藤栄次郎はこれを聞き、彼女に問う。「怖くはないのか?」「看板はお前さんが守ってくれているようなものだから。今の暮らしは面白いかい?もう3年になる」「あとを追いかけていると後悔している暇がないよ」「お前さんとは色恋にならなくてよかったと思っているよ。商売上の相方だもの」。栄次郎の気持ちは如何ばかりか、うぅー!「きょうの座敷はどこだい?」「松本楼」「殿様に惚れているのかい?土佐の殿は深川に通い詰めだと聞くが」「仕方ないじゃないかい」。

安政の大地震で地面ばかりか、人の心も揺れた。そんな世の中の情勢を、浪曲の元の一つと言われている「阿呆荼羅経」という演出で奈々福は聴かせる。時間経過を示すのに実に効果的だ。

9年後の文久3年の夏。座敷で水戸藩士たちが暴れた。これは後からわかることだが、のちに幕府に反旗を翻す天狗党の乱を起こす男たちの最期の宴だった。芸者連中は逃げ出し、小三独りが残った。「刀はおしまいなさい」「この芸者風情が!命はもらった!」。冷静な小三が詠む。「たらちねの親の許しし敷島の道よりほかに道ゆくぞなき」。「この大和言葉がわからないのかい。わっちはわっちの道をいくんだ。何の役にも立たないだろうが、親のため、思う人のためなら、露とも思わぬこの命」と啖呵をきる小三。

そこに「待て!」と止めた人物が現れる。水戸藩重臣、後に天狗党の乱を率いて命を落とした武田耕雲斎、その人。志をもって非常の手段に出る国事に奔走する男。動乱の世に看板を背負って生きる女。修羅場を生きる者同士が感じ合わずにおらりょうか。公武合体に尽力した山内豊信。尊王攘夷に命を懸けた耕雲斎。気の強い女の「のっぴきならない」恋。ギリギリまで追い詰められた高揚感に激しく感じる。

奈々福が視聴者に問いかけた。この小三は「あと腐れる」ことがないんです。普通はあと腐れますよね?私はあと腐れます。いやぁ、恋の本質に直球を投げ込む奈々福の浪曲の力だ。そして続ける。ここにあと腐れ続けている男が一人いた。叶わぬ恋と思っても、届かぬ人と思っても、初めて出会ったときからの胸に宿ったこの思い。せめてお前の望むよに、この動乱の世の中で、お前に傷がつかぬよに、俺が己が役割と思い定めてきたけれど、なぜにこの世はままならぬ。そう、身分を捨てて代書屋稼業をしている近藤栄次郎の気持ちに僕は肩入れしてしまう。この出来事も瓦版に「小川屋小三、恋の鞘当て」と記事になったという。

その後も小三のスキャンダルは続く。八丁堀の与力・吉田駒次郎を奪わんと、花の吉原仲ノ町で、稲本楼の花魁・小稲と大立ち回り。これを聞いた栄次郎に、「欲徳じゃないことだってあるだろ。本気さ」と言う小三。どこまでも突っ走る小三に、栄次郎は「みささん、私は番頭役を降りるよ。馬鹿馬鹿しくなってきた」「惚れたら悪いのかい?」「悪いよ」「すっかり忘れちまったんだね。私はお前に惚れているんだ」。思い立ったが吉日。「身体だけは気をつけてくれ」と言って、栄次郎は去る。小三に頼まれた五郎が追いかけるが、「すまん。こうでもしなきゃ、踏ん切りつかない」「みささんも辛いんですよ。所帯を持ったらどうです?」「馬鹿か。みさは芸者を辞めても己ひとつで道を貫く。私は未練な男。こっぴどく振られればいいと思っている。潮時だ」「どうなさる?武家の身分を捨てて13年。こんなに尽くした兄さんが、あんまりでねえか」「あんまりなことなんて、掃いて捨てるほどあらあ。じゃあな!チェッ!手ぐらい握っておけば良かったな。畜生」。うぅ、切ないよぉ。

かくして、栄次郎出奔。折しも風雲急を告げ、全盛を誇った小川屋は閑古鳥が鳴きだした。どうする、小三?そして、栄次郎の行方は!?土佐の殿様、天狗党の大将、与力の大将と三人。これで、まだ6人!あとの994人は!?気になる、気になる!「悲願千人斬の女」、小沢信男先生の文庫本を早速、取り寄せましたぜ!このあとの抜き読み、奈々福さん、続編を期待しています!