【プレイバック この落語家を聴け!柳亭市馬】聴き手の想像力にゆだねる古き良き芸能。日本人の心の故郷。

おとといから、2012年4月にスタートした伝説的な落語会「この落語家を聴け!」の【プレイバック】をお届けしています。噺家さんの了見を伺う、その噺家さんの「落語への向き合い方」を伺うインタビューが大きな柱になった落語会。プロデュースとインタビューを担当したのは、音楽雑誌「BURRN!」編集長の広瀬和生さん。ほぼ毎日寄席や落語会に通い、「落語ファン目線の現場主義」を貫く、知識や経験も豊富な広瀬さんの信頼に基づく企画でした。

15年10月まで、合計28回開かれた「この落語家を聴け!」の中から、2015年刊行「『落語家』という生き方」(講談社)に、そのインタビューがまとめられた5人以外の噺家さんで、僕が行ってメモを取ったシーズン1の師匠の「芸談」を選びました。おとといは橘家文左衛門師匠(現・文蔵師匠)、きのうは柳家喬太郎師匠でした。録音を録ったわけではないので、多少不正確な部分があるところがあると思いますが、お許しください。きょうは、現在、落語協会会長の柳亭市馬師匠をお届けします。

2013年2月25日。当日のプログラムに広瀬さんはこんな文章を寄せている。以下、抜粋。

落語協会会長(当時)にして兄弟子でもある柳家小三治はかつて著書で「まともにやって面白い。それを芸というのだ」と書いた。それを体現できるのが柳亭市馬その人である。江戸から明治、大正、昭和と脈々と受け継がれた「落語の伝統」を真っ当に受け継ぎ、懐かしい「古き良き落語」の薫りを現代に蘇らせてくれる。といって、古臭さは微塵も感じない。個性豊かな演者が鎬を削る現代落語界において、市馬の存在は落語ファンにとっての「心の拠り所」のようなものだ。市馬を観れば、「上手い人が上手く演れば落語は面白いのだ」と改めて確認できる。「古典落語を小細工なしで堂々と演じる」ことが個性となっているという点で、市馬の落語は師匠の五代目小さんに通じる。

市馬の落語は日本人の心の故郷そのものだ。いつの時代になっても古びることのない、日本人にとっての「懐かしさ」。それを立川談志(彼はまた市馬の兄弟子だ)は「江戸の風」と言ったのである。知ってのとおり、市馬は古き良き昭和歌謡をこよなく愛し、落語界きっての美声で朗々と歌う。そんな市馬を談志は可愛がった。市馬は昭和36年生まれだから、実は市馬の愛する歌謡曲のほとんどは市馬が生まれる前のものだ。でありながらそれを愛する感性は、落語の伝統を愛する感性と共通する。談志は「江戸の風」という言葉に、そういう想いを込めたような気がする。「伝統を現代に」は談志が自身を鼓舞するスローガンであり、同時代の落語家に向けたアジテーションだったが、「江戸の風」は、自分がいなくなった後を継いでいく弟子たち、後輩たちに託したメッセージなのだ。「江戸の風」の体現者、柳亭市馬。彼が今の落語界にいてくれるありがたみは、計り知れない。以上、抜粋。

以下、当時の芸談です(冒頭、僕の個人的感想もありますが)
今回の対談も良かった。小さん、小三治、談志、馬生、志ん朝。それぞれの思い出話がそのまま芸談になっていた。聞き手が広瀬和生氏だからこそ成立している企画だ。他の聞き手では、こんなに充実した内容は引き出せない。このシリーズは是非とも継続してほしい!

(いまや落語協会副会長(当時)、暢気に歌っている場合じゃないと冗談交じりに、どうしてそんなに歌が上手いんですか?)トレーニングとかは全くしたことがない。(天才ですか?)否定はしません(笑)。子どもの頃から好きで歌っていました。発声練習などのトレーニングはしていない。よくロックミュージックのボーカリストが、何で皆が僕のように歌えないのか不思議だと言うことがあるけれど、天才なんだなと思います。(志らくさんがよく一緒に歌えるなと。いい度胸です)最初はガチガチに緊張していましたが。最近は普通に歌えるようになった。(1961年生まれですよね?ほとんど、それより前の歌ばかり。東京オリンピックを境にしていますね。僕(広瀬)なんか、市馬さんより一歳年上なんですけど、ザ・ベストテンとか見ていました。どういう環境で?)別に近所に昭和歌謡好きがいたわけじゃない。山の中。田舎です。「ナボナはお菓子のホームラン王です」というCMは知っていたけど、ナボナを見たことはなかった。よっぽど美味いもんだと思っていました。その頃の懐メロですね。「思い出のメロディー」とかを見ていて、その歌手の歌にしびれたんです。

(落語の方は?)5つか6つの頃ですかね。今輔師匠(先代)のおばあさん落語。どう見ても、おじいさんなのに、高座ではおばあさんに見えた。どうして?というのがきっかけ。円生、志ん生、文楽じゃない。その後に好きになったのは、柳橋、痴楽、円遊、柳好。なぜ芸協に行かなかったんだろう?という。田舎でもテレビで「笑点」はやっている。頭の毛が後退している友達は歌丸。太っていると、こん平。不細工な奴は小円遊。私は顔が長かったから円楽。小学生の頃はそうやって、渾名をつけていました。でも、先代市馬は円楽から市馬になったんですよね?因縁?

(馬生師匠も好きだったとか)高校生になって本格的に聴くようになって、円生、馬生、小さんは違うなと。(芸協よりも?)田舎だから、そういう区別がわからなかった。ラジオやテレビ専門ですから。噺というのは面白いなぁ、人によって違うなぁと。古き良き名人がいた時代の流れをくんでいらっしゃる。凄いと思いますよ。理想を追うとそうですが、現実は違います。きょうのこのお客さん全員に満足してもらうのは無理。せめて、来るんじゃなかったと思われないように。喬太郎や白鳥に行けば良かったと思われないようにするのが、本職ではないかと。

目が悪いから客席が見えない。雰囲気を掴む。(やっぱり客を見てネタを決めるんですか?)鈴本は別だけど、他の寄席は楽屋から客席の雰囲気がわかる。もちろん帳面は見ますが、これやろうかなというのは楽屋で決めています。(やりやすい寄席は?)池袋ですね。こじんまりしていて、客が聴く気になっている。浅草は逆。それはそれでいい。携帯を鳴らすな。一応は言うけど、方々で鳴る。自由です。それもまたいいです。池袋、きょうもいいお客さんでした。半分の40~50人くらいの入りで。新宿も2時に上がったんですけど、二階までいっぱい。思わず、きょうは祭日か?と訊いたくらいです。トリが一朝師匠の芝居です。やりにくい寄席なんかないですよ。

(落語協会は老舗、大手。そこで副会長を3年。何をするんですか?)会長がぞろっぺいでしょう?あちこち痛い、行きたくないと言うのを、補う。体力がきくところで穴埋めしています。でも、あの会長も丈夫じゃないと言いながら、丈夫なんです。ラーメンのレンゲに溢れるくらいの薬を飲んでいるけど。あれで腹がいっぱいにならないのかな?と思う。「山盛りですね!」と言ったら、「ひとつ、いくか?」だって。葛根湯じゃない!(馬生師匠も小さん会長の時代に副会長をやっていました。歳も(今の市馬師匠と)同じくらいじゃないですか?)比べられるわけがない。貫禄、渋み、落ち着き。50そこそこに見えない。(「どう見ても百そこそこ?」)上手い!いつも着物でした。楽屋入りして、帰るときに自分で雪駄が足に入れられない。目が見えない。前座が履かせてあげていました。表も白足袋。黒紋付。縞の羽織。よく似合う。丈の長めの着物。ピタリと決まるんだ。小さんなんか、くるぶしが見えていましたからね。坂東流の名取りでしょう?出から、お辞儀する姿が綺麗。

小さん師匠とは剣道がとりもつ縁。(小里ん師匠が「小さん芸談」という本を出していますが、お薦めです)あれを落語家は読まなきゃ。(市馬師匠はどういうことを聞かされました?)私は教わった噺は一つもない。地方公演で、師匠が袖で聴いていて、後で昼飯食いながら「あの噺は、アレをやっちゃいけない。俺はこう演っている。元々はこういうもの・・・」と、旅に行くと喋ってくれました。普段は寡黙な人。沈黙が苦じゃない。朝、おはようございますと言ったきり、必要以上のことは何も言わずにいました。機嫌のいいときに、「あの噺を覚えているんですけど、師匠は若いときには演っていたんですか?」と訊くと、「あぁ、若い頃に覚えた。でも、一遍しくじって、演らなくなった。その後、どうしても演らなくちゃいけないときがあって、久しぶりに演ったら、評判がいいんだ」なんて言っていましたね。

「大工調べ」のお白州で、店賃は一両二分と勘定しているのに、大工の手間賃は文で数えるのはなぜですか?と尋ねたら、「そんなこと、俺は知らねぇ」。啖呵は早く言おうとしたら駄目なんだ。逆にゆっくりやるくらいで丁度いい。談志が「アレは啖呵を切りたい奴の噺」と言ったら、それは違うと。(「普段の袴」は?)師匠の聴き覚えですね。「あくび指南」も。前座の頃、小さん・小三治親子会があって、小三治師匠が「あくび指南」でドッカンドッカン受けていた。まだ40代の頃ですかね。そうしたら、小さんが「この噺はこういうもんじゃない」と、私に言う。「こんなに受ける噺じゃない。受けさせてどうする」と。その頃の小三治師匠は臭みがあって、押しがありましたからね。

「短命」も爆笑噺じゃない、昼席で演る噺じゃない、トリの一つ二つ前でクスクスさせる噺だ、派手に笑わせる噺じゃないと言っていました。談志さんが「短命」や「権助提灯」を演ると、小さんは「気持ち悪い!」「そんなこと言って。師匠はできないくせして。演ってみな」「うるせい!」。やっかむくらいに仲が良かったです。(談志師匠からは「黄金餅」を習っていますよね?)あれは一回演ったきりです。噺に引きずられちゃって。西部劇で馬車に引きずられて、手を離すとどうにもならないというのがあるでしょう?あれです。(市馬師匠がいいな!と思うのは、「鼠穴」にしても「らくだ」にしても、悲惨な感じがしない。家元から習っても、古今亭の雰囲気がある。どんどん演ってもらいたいです)実は「黄金餅」、来月に演らなくちゃいけないんですよ。渋谷のさくらホール。円朝作なんですって?知らなかった。志ん生の「黄金餅」も知らなかった。

「黄金餅」は家元の独壇場でしたからね。池袋の客と息がピタリと合ったときの張り切りようはね。「木乃伊取り」もそう。随分経って、家元が「稽古してやる、何かないか?」と訊かれて、生涯演らないだろうと、頭の隅にもなかった「黄金餅」を、ついポロッと言っちゃった。家元は一生懸命、中野で演ってくれました。中入り後に「これから演ってやる。客席に回れ。多分、大丈夫だろうから」と。通路の奥の正面に正座して。「きょうは市馬のために演るから」と言って。途中、「市馬、駄目だ。それでも、大体こういうものだ、かいつまんで演る」と演ってくれた。家元ほどサービス精神が豊かな噺家はいない。(よみうりホールで毎年暮れに「芝浜」を演るのが恒例になっていた。その年に限って「文七元結」をネタ出ししたら、客からブーイング。「そんなに芝浜が聴きたいか?」と言うと、凄い拍手。それで、「文七」を演る前に10分くらいで「芝浜」を演っていましたもの)家元が来るだけでいいのに、それをよしとしなかった。あの時期はね、「黄金餅」どころか、短い噺もどうかという時期でしたからね。

(志ん朝師匠からは?)「小言幸兵衛」。たまにしか演りません。ほとんど演っていないですね。(演ってくださいよ!)志ん朝師匠は円生師匠から教わりたかった。ところが、お互いに忙しくて、円弥さんに頼んだ。もちろん、円生師匠には断った上で。で、あるとき、円生師匠の前で演ったことがあった。そうしたら、「お前さん、アレ、私でゲスね?どういうつもりでゲス?」。事情を説明すると、「そうですか。物忘れが激しくて」。志ん朝師匠の稽古は細かい。普通の稽古じゃない。小さんのように、ぞろっぺいじゃない。浴衣ならいざ知らず、ランニングで教える人、喫茶店やタクシーで教える人もいる。志ん朝師匠は高座着。たとえ、二ツ目に教えるときでも、そのために一日開ける。緊張で足が痺れます。そのときは、円太郎が「大工調べ」を習うときと一緒で、合計2席。疲れたような顔しない。真似はできないですね。

(馬生のネタで演っているものは?)あの型でというのは思い浮かばない。喋っていて、馬生になっちゃうことはある。そっくり!と思う瞬間がある。自分でも思う。志らくか談春が「金原亭そのままだったね」と言ったことがあった。他の人から習っているのに、「厩火事」や「富久」を演っていて、「ここ、馬生!」と思いながら演ることがある。

小さんの影響を一番受けているのは?「笠碁」ですかね。最近やっと心づもりができてきた。難しい。アレに限っては、年齢を重ねないと。いくら若いうちに演っても、違和感が残る。あの噺は、ある程度歳を重ねないと。私も、20代で駄目で、30代で駄目で、そろそろだろう?と演って駄目で、何回も跳ね返されて、やっとこさ、最近。(馬生の「笠碁」も面白いですよね?混じっちゃうことは?)「おっぱいがでかいと思って、威張って!倅の嫁だから我慢している」というところ。あれ、小さんも演っていますよ。200回くらいは袖で聴いています。旅に出ると、「笠碁」と、もう一席「親子酒」みたいな酔っ払いの噺の組み合わせ。「また、笠碁だ」と思うけど、客は泣き笑い。仲直りして良かったね、と。(「猫久」はいかがですか?)演ったことがあるくらいかな。簡単そうに見えるけど、演りにくい。時代に合わなくなっている。それを平気でできない。「ろくろ首」もそう。度胸がない。「うどんや」や「猫の災難」はできる。でも、「猫久」は、ただ演るというわけにいかない。できるようになったら、という到達点ですね。目標。あと、「万金丹」。あの噺が究極ですね。

以上です。この日は「雛鍔」と「二番煎じ」を演っていました。時系列は逆転しますが、2010年刊行の広瀬和生さんが9人の噺家にインタビューした「この落語家に訊け! 」(アスペクト)、市馬師匠とのインタビューで締めくくりたい。以下、抜粋。

―「落語の魅力って何?」と訊かれたら、どう答えますか?

市馬 何でしょうね。私が小学校に上がるか上がらないかの頃、落語を面白いと思った時のことを思い出すと…私の場合は、今輔師匠でしたからねえ。

―お婆さん落語の。

市馬 一人でしゃべってるお婆さんが、お婆さんに見えたんですよね。あんな禿げ上がってガラガラ声の、どっからどう見てもお爺さんのような人が、お婆さんに見えちゃった。それが最初。「何でお爺さんなのに、お婆さんなんだろう?」って(笑)。

―僕の知り合いでも、談四楼師匠の独演会で、「オジサンなのに可愛い女の人に見えた!」(笑)ってビックリして、落語に目覚めたって人います。

市馬 子供だろうが大人だろうが、男だろうが女だろうが、演者次第で何にでもなれるんですからね。そういう人間の想像力を再認識させてくれる芸…ちょっと難しい言い方かな。

―でも、そういうことですよね。演者が客を観て、勝手に解釈して頭の中で作り上げていく芸なんですから。

市馬 そういう想像力が使える娯楽って、今の世の中、あんまり無いですからね。

―何から何まで、作り手が用意したものを受け手に押し付けるような娯楽ばっかりで。

市馬 テレビから何から、全部そうですよね。その点、落語って、そんな親切じゃない娯楽ですから(笑)。

―その「ほどよい不親切さ」によって、「じゃあ、もっと聴いてみよう」っていう気になってくれるのかも。

市馬 同じ噺でも、最初に聴いた時はわからなかったものが、2回目以降わかってきたりして、だんだんハマってくるんじゃないですかね。

聴き手の想像力にゆだねる不親切な芸能、落語。だからこそ、面白いのだ!と思わせてくれる、と落語協会会長・柳亭市馬師匠。だからこそ、ちょっと注目されることはあっても、大衆の大きなムーヴメントにならない。だからこそ、落語は魅力的なのだ。あぁ、素晴らしき哉。

【プレイバック この落語家を聴け!】は一旦お休みして、しばらくしてから、立川志らく、柳家花緑、立川談笑の3人の師匠の「芸談」を取り上げます。