林家あんこ「北斎の娘」を聴く会

林家あんこ「北斎の娘」を聴く会に行きました。ゲストは浮世節の立花家橘之助師匠、トークゲストは映画「おーい、応為」プロデューサーの吉村知己さん、開口一番は柳亭市悟さんで「牛ほめ」だった。
「北斎の娘」通しを聴くのは今回が2回目だ。良い。葛飾北斎の娘、応為ことお栄の浮世絵師としての矜持にとても心が惹かれる。生涯のほとんどを父親の助手として過ごすが、絵師としての才能は北斎をして「美人画を描かせたら俺よりうまい」と言わしめるほどだったという。
晩年の北斎の作品はほとんどお栄が描いたと言っても過言ではなかった。だが、版元は「北斎の落款がないと売れないから」と言って、半ば北斎の名前を買うようなところがあった。お栄はさぞ悔しかったろうが、それを受け入れるしかなかった。
信州小布施の豪商、高井鴻山は北斎の元弟子だが、岩松院に魔除けの絵を描いてほしいと北斎父娘を招く。天井に鳳凰を描こうということになり、それが「八方睨み鳳凰図」となるわけだが、このとき鴻山はこれに北斎だけでなく応為の落款も押し、「合作ということにしないか」と提案する。「あなたはもっと世に出るべき人だ」と言うのだ。しかし、応為はこれを断る。
私は世間ではなく、北斎に認められたいと絵を描いてきた。北斎という名前が凄いのではない、その絵に向かうエネルギーが凄いのだと今回、まざまざと知らされました。お栄にしかできない仕事がしたい。名前を広めるなんて野暮です、いつか誰かが気づいてくれれば、それでいい。誰かの一番になれればいいのです。その了見の素晴らしさに感嘆した。
北斎が90歳で「人魂でゆく気散じや夏の原」という辞世の句を遺して亡くなったとき、ある版元が応為に美人画の依頼をしてきた。だが、あろうことか、その絵を「北斎の絶筆にしてほしい」と請う。応為の腹立ちはいかばかりか。「父の菩提を弔うどころか、商売にしようと考えるなんて。ふざけるにもほどがある」。絵師としてのプライドを踏みにじられた応為は当然、これを断る。
でも、応為の実力を認めてくれた版元もいた。三国志の関羽を応為の名前で描いてほしい、と。北斎は青で勝負する絵師だった。これに対し、応為は紅、赤で勝負しようと思った。関羽の力強さを表現するために、腕から赤い血が噴き出ているところを描いた。その荒々しい武者絵は関羽割臂図として後世に残された。
物語のもう一つの柱は応為が十歳のお駒という女の子を弟子に取った後日談である。お駒は父親の仕事の関係で上方に行ってしまったが、ひょんなことから再会を果たす。応為が吉原の廓で絵を描く仕事をしたときに、「ある花魁が描いた絵」を女将に見せられる。手踊り図。この絵を見て、ハッと思う。線の描き方、色彩…覚えがある。その花魁は菊橋という。菊橋花魁に会いたいと願う。
果たして、菊橋はお駒だった。だが、「会いたくない」と面会を拒む。それでも熱心に応為が頼むと、襖越しに会話することができた。北斎の死を伝えると、お駒は驚いたが、「私はもうすぐ日本橋の呉服屋の若旦那に身請けされる」と言う。幸せだから、安心してくださいというメッセージだったのだろう。だが、応為が再び訪ねると「菊橋は死んだ。客から悪い病を移されて死んだ」、しかも身請けなどの話はなかったという。お駒は嘘をついたのだ。
世の中、光があるから陰もある。応為はお駒への思いをこめて、吉原格子先之図を描いた。応為の代表作となる絵だ。そこには黒く塗って顔のわからない花魁がいる。おそらく、菊橋花魁なのだろう。そして、絵には「お・え・い」という隠し落款が施された。素敵な人情噺を創作したあんこさんに拍手喝采である。

