いろはに講談会 宝井琴星「青砥藤綱」神田菫花「牡丹燈籠 飯島平左衛門」、そして田辺いちか、いざ真打へ!「赤垣源蔵 徳利の別れ」

いろはに講談会に行きました。

「アイルランド独立闘争 イースター蜂起」田ノ中星之助/「青砥藤綱」宝井琴星/中入り/「牡丹燈籠 飯島平左衛門」神田菫花

琴星先生の「青砥藤綱」は井原西鶴原作。滑川に10文を誤って落とし、それを拾うために人足10人を雇って、川底の10文を拾わせて、褒美に四貫文を与えた。それは「天下の通用金は人から人へと渡り、国の経済を形成するもの。だから、一文たりとも棄てることはあってはならない」という藤綱の考えによるもので、藤綱を賞賛するこのエピソードは有名である。

また、10文を探し当てた一人の男は実は自分の懐銭を使って、さも川底から拾ったかのように演じていた。そのからくりを人足仲間の酒盛りで明かして、自慢していたが、噂というのは怖いもので、その不実な行いが世間に広まり、藤綱の耳にも入った。藤綱はそのときの人足を呼び寄せ、それが事実であることを確認すると、「けしからん。本来ならば討ち首だ」としながらも、「明日から一人で何年かかっても探せ」と命じ、見張りをつけて探させた。そして、98日かかって10文を拾い上げた男は無罪放免となった。このことは「天網恢恢疎にして漏らさず」であることを意味しており、これもまた前段同様に有名なエピソードだ。

今回、初めて知ったのは、10人の人足の中に、一人だけ「それは人を騙したことになる。俺はそんな褒美など要らない」と怒って、酒盛りから立ち去った男がいたことだ。藤綱はその男のことが気になり、手を尽くして捜させ、見つかった。その男と藤綱が対面したとき、藤綱は「武芸の心得がある奴」と見抜いた。その男は千馬孫九朗と言って、浪人をしている千馬孫左衛門の息子だったのだ。

藤綱の父、藤義は蒙古襲来のときに九州に出兵した。そして、少弐経資と青砥藤義が同時に弓矢を放ち、敵の大将を射抜いた。そのとき、どちらの矢が射抜いたのかを指揮官が現場にいた千馬孫左衛門に訊いた。孫左衛門は正直に「藤義だ」と答えた。すると、これを根に持った経資は部下の孫左衛門を追放し、孫左衛門浪人となった。

そのことを知っていた藤綱は「これも鶴岡八幡のお導き」と喜び、孫九朗を士分に取り立てた。このことを知った執権の北条貞時は藤綱を引付衆に命じ、藤綱は名裁きをすると評判となったという…。大変興味深い読み物だった。

菫花先生の「飯島平左衛門」。「牡丹燈籠」の中の「孝助の槍」にあたる部分で、あまり演じ手のいない読み物が聴けて幸せだった。飯島平左衛門の草履取りとして採用された孝助は「剣術の達人である殿様から武芸を教わり、父の仇討をしたい」と飯島に言う。18年前に本郷三丁目の藤村屋という刀屋の店先で父の黒川孝蔵は若侍に斬り殺されたという。孝助が4歳のときだった。これを聞いた飯島はその若侍こそ自分であり、人を斬るというのはこういうことかと思う。そして、孝助に討たれてやろうと思う。

物語は飯島の後妻のお国と宮野辺源次郎の悪巧みで展開する。密通していた二人は飯島を亡き者にして、飯島家を乗っ取ろうと考えているのだ。だが、その企みを偶然、孝助が聞く。そして、孝助は主君飯島を守りたいと当然思う。

飯島と懇意にしている相川新五兵衛が十八歳になる娘おとくが孝助の忠義に惚れており、婿に迎えたいと願い出る。飯島にとっても良い話だ。ところが孝助が嫌だという。殿様の傍にいて、お守りしたいという考えからだ。だが、孝助はお国たちの悪巧みについて飯島に知らせることをしない。「明日にでも結納を」という飯島の命に背くことはできなかった。飯島は孝助を伴い、相川家を訪ねる。

お国と源次郎にとっては、孝助が相川家の養子になると、士分となり、飯島家乗っ取り計画にとっては不利となる。そこで、宮野辺家の下男の相助がおとくに惚れているのを利用して、孝助を成敗させようとする。一足先に相川家を辞した孝助は待ち伏せしていた相助と亀蔵、清蔵に襲われる。だが、剣術を飯島から習っていた孝助はこの三人を逆にとっちめてしまった。その一部始終を見ていた飯島は「よくやった」と孝助を褒めた。

源次郎が飯島を釣りに誘って、舟から突き落として殺してしまおうという計画の前夜。孝助が「明日の釣りはやめた方が良い」と飯島に進言するも、飯島は大丈夫だと言う。それならば、お国と源次郎を殺し、自分も自害しようと考えた孝助が槍を研いでいると、飯島がそれを見て「槍は錆びていた方が良い」と助言する。

八つの鐘が鳴る。襖が開き、寝間着姿の男が出てきた。孝助は「源次郎だ」と思い、脇腹を槍で突いた。血が流れる。だが、その男は飯島平左衛門だった。「俺を源次郎だと思ったのだな。お国と源次郎が密通していることは知っていた。お前が何かするのだろうと思った…わしは18年前、お前の親父の黒川孝蔵を斬り殺した。お前にとって、俺は仇なのだ。人を斬るというのは何と罪深きことか。お前に仇を討たせてやろうと思った。だが、そうすると主殺しになってしまう。お前が相川家の養子になれば武家として、仇討になる。源次郎の代わりに討たれてやろうと思ったのだ。これより相川家へ行け。ここに形見の天正祐定がある。お前の親父を斬った刀だ。そして、この包みには百両ある。そして、これからの致し様を書いた手紙がある。これを相川様に渡せ。仔細はそこに書いてある。わしはお前を自分の子どものように可愛いと思っていた。さあ、相川様のところへ行け」。

この後、お国と源次郎は逐電。孝助はおとくとの間に子どもが生まれ、飯島家を再興させる。飯島平左衛門と黒川孝助の主従の間に流れる情愛に心を打たれた。

「田辺いちか、いざ真打へ!」ファイナルに行きました。「大岡政談 縛られ地蔵」「牡丹燈籠 お札貼り」(神田茜作品)「赤垣源蔵 徳利の別れ」の三席。前講は神田ようかんさんで「柳沢昇進録 お歌合せ」だった。

「赤垣源蔵」。源蔵が女中のおたけに持参の酒と湯呑二つを持って来させ、兄塩山伊左衛門の羽織を前にして、酒を汲み交わすやりとりにしみじみする。机を並べて手習をしていたのに、草相撲があると聞いて見物に行ってしまい、松の根に縛られて、兄弟で泣いたこと。女中のおときがこっそり塩むすびを持ってきてくれたのを、母親に見つかり、「恥を選ぶか、死を選ぶか、そのときは迷わず死を選べ」と叱られたこと。幼い頃の兄弟が共有する思い出は、どこか甘酸っぱいが、ほろ苦い。

源蔵が去った後、伊左衛門が源蔵について褒めるところも良い。剣術の名手が浅野家には堀部安兵衛以外にも優れた剣の達人がいる、それは赤垣源蔵だと言っていたと誇らしげに語る。また、源蔵が酔い覚めの水を所望して、おたけに運ばせたときに、躓いて水を源蔵の肩から袴にかけてこぼしてしまったとき。「わしだから良いが、客人のときは気をつけよ」とニッコリ笑い、脇に差した大小を検めた。酔っていても、侍の魂は忘れぬ奴だ、と。自慢の弟だったことが伝わってくる。

赤穂浪士が討ち入りして、仇討本懐を遂げたという報を聞いたときもそうだ。きっとその中に弟源蔵がいるに違いないと思う。だが、とても気になり、老僕市爺に走らせる。信じているが、万が一いなかったらと不安に思う兄の心中いかばかりか。

果たして、四十七士の中に源蔵はいた。市爺の報告を聞いて、さぞ安堵したことだろう。兄上の教えを守り、恥ずかしくない働きをしたこと。形見の襟印、五両の金子、大石様から下しおかれた気付の薬、そして呼子の笛。言伝は「昨晩、お会いできなかったのが残念だった」という一言。もうそれだけで十分だ。

昨晩、源蔵が飲み残した酒と湯吞二つを持って来させ、「改めて、酒を飲もうぞ。褒めてつかわす」。市爺が吹く呼子の笛を肴に飲む伊左衛門は泉岳寺にいる源蔵と距離は離れていても、気持ちの上では兄弟で祝杯を酌み交わしていたに違いない。素敵な義士伝である。