【新プロジェクト✕】駆けろ!オグリキャップ~奇跡は起こせる~

NHK総合で「新プロジェクト✕ 駆けろ!オグリキャップ~奇跡は起こせる~」を観ました。

日本の競馬の歴史の大きく名前を刻んだオグリキャップ。ブラッドスポーツと呼ばれる世界で、血統がない地方競馬出身でありながら、日本国民を熱狂させ、競馬ブームを作った天才馬の足跡を辿る素晴らしいドキュメンタリーだった。

1985年、日本の競走馬の8割を生産する、サラブレッドのふるさととも言える北海道日高で、稲葉裕治が経営する小さな牧場でオグリキャップは誕生した。右前足が外側に大きく曲がっているというハンディがあったが、馬主の小栗孝一は「これはかわいいい馬だ。家族がまた増えた」と喜んで買い求めた。

小栗は貧乏な家に生まれ、幼少期に養子に出され、高等小学校卒業すると裸一貫で事業を起こし、がむしゃらに働いた。それがある程度成功すると、馬主になった。自分の馬にはオグリオー、オグリキング、オグリクイーン…と自分の苗字を名前に付けた。この全身灰色の葦毛の馬をオグリキャップと命名し、二歳馬で岐阜の笠松競馬場でデビューさせた。父がダンシングキャップ(20戦5勝)、母がホワイトナルビー(8戦4勝)、二流の血統の馬に誰も期待はしなかった。

小栗はデビューにあたり、調教師・鷲馬昌勇にオグリキャップを託した。よく食べて、よく眠る。そして、一度教えたことはすぐに吸収する「賢い馬」だったという。デビュー戦はスタートから遅れたが、最終第4コーナーでグーンと沈みこみ、低い姿勢からスピードに乗り、伸びっていった。猛スピードで追い上げ、2着に入った。勝ちへの執念のある馬だと感じたという。

2戦目で初勝利、3戦目は6馬身差で圧勝。最終コーナーで大外からのラストスパートに真骨頂があり、9戦7勝、敵なし。この情報を知った中央競馬の馬主資格のある馬主からはさかんに「売ってくれ」という問い合わせが殺到した。だが、小栗は「何億積まれても、手放さない」と断った。毎日厩舎を訪ねる熱心な男がいた。佐橋五十雄。「笠松で終わらせていいんですか。日本のオグリキャップにしましょう」と口説いた。小栗は悩んだ末、馬の将来のことを考え、譲ることを決断する。条件は「名前はオグリキャップのままにしてくれ」。離れても家族という思いからだ。そして、オグリキャップは中央へ移籍した。

88年、滋賀の栗東トレーニングセンターで調教が始まる。担当したのは瀬戸口厩舎の調教師、瀬戸口勉。そして、厩務員の池江敏郎だった。池江は父親を戦争で亡くし、中学を卒業すると、紡績工場に就職したが、オイルショックで職を失う。騎手だった弟の泰郎の勧めで、39歳で厩務員になった苦労人だった。

中央競馬のデビュー戦は88年3月のペガサスステークス(GⅢ)、大外から駆け抜け、一着。その後、破竹の6連勝。10月、秋の天皇賞を迎えたが、現役最強馬といわれたタマモクロスに敗れ、初めての負けを喫した。そこで、体重を10キロ絞り、臨んだ12月の有馬記念。タマモクロスを差し置いて勝利し、日本一に輝いた。池江は「俺の誇りだ」とオグリキャップを抱きしめた。

その頃に彗星のごとく現れた騎手が武豊である。87年JRA賞最多勝利新人騎手、88年史上最速最年少通算100勝、史上最年少関西リーディングジョッキー。89年10月、秋の天皇賞で武が乗るスーパークリークがオグリキャップを敗る。すると、11月のマイルチャンピオンシップで武の乗るバンブーメモリーを鼻差でオグリキャップが勝利した。武豊vs.オグリキャップに日本中が注目した。

オグリキャップは89年11月のジャパンカップでも勝利。しかし、12月の有馬記念でまさかの5着に沈む。疲労がピークに達していた。完全休養を宣言し、温泉療養に専念した。そして、4ヶ月の休養が明け、90年5月の有馬記念を復帰戦と定める。瀬戸口は秘策に出た。武に騎乗を依頼したのだ。結果、豪快な走りが蘇り、最強コンビは1分32秒4のコースレコードを更新した。

だが、10月の秋の天皇賞ではこれまでで最低の6着に終わる。明らかに異変が起きていた。食欲が減退し、目の輝きを失った。11月のジャパンカップでは11着の大敗。「燃え尽きた…」とマスコミは騒いだ。瀬戸口厩舎には「雑草魂を信じている」といった内容のファンレターが多く寄せられた。瀬戸口と池江は決断する。12月の有馬記念をラストランにしよう。マイクロ波治療、走り込み、そして騎乗を武豊に願い出た。

12月23日。中山競馬場には史上最多の17万7千人の観衆が押し寄せた。元馬主の小栗孝一も駆け付けた。皆の思いを背負って、出走したオグリキャップは見事に勝利し、有終の美を飾った。武と池江は握手した。日本人を魅了した4年間だった。

笠松競馬場でおこなわれた引退セレモニーには3万人が集まった。オグリキャップは種牡馬として北海道に帰った。小栗は中央競馬の馬主となり、オグリキャップの妹となるオグリローマンで94年の菊花賞を勝利した。武豊は前人未踏の通算4500勝を記録、2026年の安田記念で57歳で勝利し、GⅠ最年長勝利を更新した。池江はオグリキャップの子どもであるオグリワンを担当し、71歳で逝去した。

そして、オグリキャップは自分の血統で競馬界を沸かせることはなく、2010年にこの世を去った。血統もなく、地方競馬からスタートしてスターダムにのし上がった。不世出の名馬というのはこういう馬のことを言うのだろう。競馬ファンのみならず、日本中を沸かせ、社会現象ともいうべきムーブメントを起こしたオグリキャップという馬に思いを馳せた。