【プロフェッショナル】人生、ラーメン 遠回りのスープ ラーメン店主・森敏彰

NHK総合で「プロフェッショナル 人生、ラーメン 遠回りのスープ ラーメン店主・森敏彰」を観ました。
香川県三豊市にある四国屈指の人気店、讃岐ラーメンはまんどの店主の森敏彰に密着したドキュメンタリーだ。ラーメンの高級化に背を向け、煮干しによるスープにこだわった森が作り出す唯一無二のラーメン、そして「湯気の向こうに見えるお客さんの笑顔」を大切にする経営姿勢に感嘆した。
早朝6時から8時限定で売る一杯500円の朝ラーメン、通称朝ラーには夜明け前から行列ができる人気だという。森はその人気に胡坐をかかず、ラーメン店を開きたい人に惜しみなく「ラーメンのいろは」を伝授している。手助けした店は20軒以上、そのほとんどが繁盛店に成長しているというからすごい。
燧灘で獲れた伊吹いりこ5キロを寸胴に入れる。水は「水道水で十分だ」という。塩もドラッグストアで買ったもの。一晩置いた煮干しを沸騰ギリギリで煮出していく。灰汁の微妙な変化を捉え、旨み成分だけを残し、丹念に灰汁を取り除く。注文が入ると初めてスープを温める。旨みを損なわないためだ。そこに4年がかりで生み出した麺を投入し、唯一無二の一杯が出来上がる。
森のモットーは「味半分、見た目半分」。笑顔を絶やさない接客で、店の空気を包みこみ、それを丼の中に注ぐのだという。器の中だけが味じゃない。大事なのは真面目に作っているか。つまり、お客が見えているか。「湯気の向こうの、笑顔」を目指している。
森は1958年、香川生まれ。幼い頃から料理人が夢で、居酒屋で皿洗いからスタートして、28歳で独立した。締めのラーメンが評判となり、「ラーメンで行列を作ろう」と、ラーメン一本に絞った。38歳で「ラーメン盛」を開業。だが、客足はさっぱりだった。函館のスルメや貝柱など、具材を足しては次々にスープを変えた。ますます、味がぶれた。売れ残ったスープを捨てる毎日だった。
彷徨って2年。一人のラーメン店主に出会った。その人は寸胴にゲンコツ(豚の大腿骨)一つとニンジン、タマネギ、ニンニクひとかけら。貝柱もスルメも入っていなかった。足し算ではなく、引き算だ。そう気づいたら、いつの間にか人気店になっていた。
跡継ぎとして期待していた次男直人が家出をして帰って来なかった。森の頑固が原因だった。関東への出店もうまくいかず、常連さんが後になって当時は「とんでもない味だった」と教えてくれた。森にとってはスープの味を変えてしまうほど、ショックだったのだろう。そこで、森は希望者にラーメンを教え始める。頼まれれば、どこへでも駆け付け、余すことなく伝えた。
直人が去って、10年。脳裏には常に直人がいた。3人の息子の中で、一番自分に近い味を出していた。「隣町に直人が住んでいる」と聞き、「冷めていたスープを温めたい」と考え、謝ろうと再会した。泣きながら詫びた。直人は「また一緒にやろう」と言ってくれた。そして、トラック運転手をしながら自分のラーメンを作り続けていた直人は父にラーメンを振舞った。森は「奢り昂りは良くない」と悟った。二人を繋いだのはラーメンだった。廻り道の果てに目指すラーメンがあった。ラーメンは人生を教えてくれたのだ。
森は68歳となり、弟子の店から身を引く決意をする。期するものがあった。人生の締めに新作ラーメンに挑もう。定休日の水曜日を研究にあてた。煮干しは頭とワタを取り除き、ピュアなスープを目指す。一晩、寝かせて、火はかけない。素材の旨みを引き出すためだ。味に厚みを出そうと昆布を入れたが、最終的にやめることにした。冷たいスープに温かい麺を組み合わせる。
煮干しだけのスープに深みを出すため、コクが課題だった。揚げ玉と海老天を足した。三男の智起に味見してもらう。「上品すぎる」と智起。かつては自分を押し通すラーメンだったが、今は違う。無駄なことを何度も重ねて、自分のモノにする。
翌日、スープに火をかける。何も加えず、煮干しの旨みだけで勝負することにする。「ここまできたら煮干しでいきたい」。ぶれない。ぶれまくってきた人生だから、それが答え。スープを冷まし、温かい麺を入れる。コクは自家製鶏油(ちいゆ)のみで出す。雑味がない。味がまとまった!遠回りしたからこそ、辿り着いた一杯。また、ラーメンに教えられた。
初日のお客の反応は上々だった。湯気の向こうの笑顔を一杯にこめる。森にとってプロフェッショナルとは…繰り返ししかない。目標に向かって、色々なことが考えられる人。まさに、人生はラーメンだなあと思った。


