桂二葉独演会「景清」、そして真山隼人ツキイチ独演会「日本銀次 風流木遣節」

桂二葉独演会に行きました。「味噌豆丁稚」「粗忽長屋」「景清」の三席。開口一番は三遊亭歌ん太さんで「転失気」だった。
「景清」。主人公の定次郎は木彫り師ではなく目貫師(めぬきし)という刀の部品の彫金を扱う職人で、「今に日本一の名人になる」と周囲から言われてきたが、目を患って盲目になってしまった。贔屓にしていた甚兵衛も「腕が惜しい」と思っていて、これが定次郎の仕事だといえるような後世に名を残すモノを作ってほしいと願っている。定次郎も「体で覚えている。目が見えなくても手探りでできるはず」と思ったが、どうもいけない。悔しいけれど、按摩を覚えて生計を立てようかと考えている。
そりゃあ、目貫師として仕事がしたい。柳谷観音に三七二十一日日参したが、叶わなかった。死んでしまおうとも思ったが、老いた母親を残して死ねない。甚兵衛は「死んだ気になって、もう一度信心しよう」と、悪七兵衛景清伝説のある清水観音へのお詣りを勧める。百日。駄目なら二百日。それで駄目なら三百日。甚兵衛の熱意に押され、定次郎は清水様に日参を始める。
百日が経った。目は明かない。定次郎は憤った。「賽銭泥棒!詐欺師!」。これを見ていた甚兵衛が諭す。「百日が駄目なら、二百日と言ったろう」。しかし、定次郎は一緒に祈願してくれている母親に済まない気持ちを抑えきれない。仕事はしていない。このままでは干物になってしまう。母は定次郎がお詣りに出掛けるときに「きょうは百日だね。この着物の柄が縞物だと判るようになるんだね」と言って送り出し、赤飯を炊いて、酒の支度をして待っている。それを思うと…。母子二人を殺すのか。甚兵衛も慮って、「うちの長屋が空いているから移るがいい。暮らしの世話をしてあげる」。定次郎の切ない気持ちが伝わってくる。
甚兵衛と定次郎が帰ろうとしたときに、雨が降り出し、雷が落ちる。甚兵衛は逃げ出し、定次郎は気絶して境内の隅に倒れた。やがて、雨は止む。定次郎は杖の在り処も判らずに、兎に角歩き出した。すると、どうだろう。清水観音の本堂の扉が開き、観世音菩薩が姿を現す。定次郎は無理は承知で観音様に直談判する。「お前の目の病気は治らない。だが、母の信心と引き換えに、悪七兵衛景清の両眼を貸し与えよう」。こうして、定次郎の目が見えるようになったという…。
最終盤で観世音菩薩が登場し、景清の奉納した両眼を貸し与えることによって、定次郎の盲目が治るという演出は上方の桂米朝の型を踏襲するものだ。江戸落語とは違った味わいを大切にする孫弟子の二葉さんの姿勢が素晴らしいと思った。
真山隼人ツキイチ独演会に行きました。エッセイ浪曲「新釈巌流島」、演歌浪曲「俵星玄蕃」、「日本銀次 風流木遣節」の三席。
「日本銀次」はドタバタ喜劇風。大名火消と町火消の対立を劇画タッチでコミカルに描く面白さだ。松浦の殿様お抱えの大名火消で、雷の異名をとる浅五郎は萬八楼で芸者の橘家小そめに懸想しているが、小そめは大店の若旦那とイチャついて離れない。浅五郎のことを「鬼瓦のゲジゲジ」呼ばわりして、鼻で笑っている。憤った浅五郎は小そめの部屋に乗り込むが…。
喧嘩沙汰になりそうなところを、萬八楼の主人で元関取の八右衛門が仲裁に入るが、話にならない。そこへ隣の部屋にいた勇み肌の鳶頭、よ組の銀次、通称日本銀次が朝五郎に喧嘩を売る。銀次は町火消、大名火消の浅五郎に対し、何人でも助太刀を連れて来てよいから、九ツに両国橋で決着をつけようと言って、去っていく。
これは一大事と思った小そめは「銀次親分を助けて」と、雷門の新門辰五郎のところへ駆け込む。新門辰五郎は意気に感じ、江戸中の町火消を呼び集めると言い出す。これを聞きつけた奉行の遠山の金さんこと遠山左衛門までもが両国橋に賭け付けて…。さあ、この喧嘩どうなる!?というところで、ちょうど時間となりました…。かつて鹿島秀月が得意にしたいう演目を隼人さんが魅力的に復元してくれた。

