【アナザーストーリーズ】時代に翻弄された歌 イムジン河

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 時代に翻弄された歌 イムジン河」を観ました。
ザ・フォーク・クルセダーズの代表曲といえば、「帰って来たヨッパライ」や「悲しくてやりきれない」が挙げられるが、「イムジン河」を忘れてはならない。1968年に発売予定だったが、急遽中止となり、2002年に当時の音源のままでようやくCDが発売となった曰く因縁付きの楽曲だ。
作詞家の松山猛は中学2年生のときに、京都朝鮮中級学校とスポーツ交流をしようと申し出に行ったとき、朝鮮半島の民謡と思われる美しい旋律に心を奪われた。学校の生徒から手書きの譜面を渡され、そこにはリムジン江(イムジン河)とタイトルがあった。
イムジン河水清く とうとうと流る 水鳥自由に群がり 飛び交うよ 我が祖国南の地 思いははるか
北朝鮮の人が南の韓国のことを思う望郷の歌で、祖国が分断された心の痛みを歌っていた。この楽曲をライブで歌おうと松山が提案し、一番しかなかった歌に松山が二番を創作した。
誰が祖国を二つに分けてしまったの イムジン河空遠く 虹よ かかっておくれ
1967年10月1日、京都勤労会館で開催された第一次ザ・フォーク・クルセダーズ解散コンサートで、この「イムジン河」が演奏された。このことがラジオで放送され、若者の間で人気に火が点いた。キャピトルレコードのディレクターだった高嶋弘之は「これは絶対、受ける」と目を付け、ザ・フォーク・クルセダーズは67年12月25日に「帰って来たヨッパライ」でメジャーデビューを果たす。
そして、満を持して発売しようとした「イムジン河」だったが、68年2月20日、発売前日に朝鮮総連の抗議によって発売中止が決定してしまう。在日本朝鮮文学芸術家連盟音楽部長だったリ・チョルウが「リムジン江は民謡ではなく、作詞作曲者が存在し、その記入がなされていない」と主張したのだ。しかも、この楽曲には二番も存在し、「北の農地は南よりも豊かである」という政治的メッセージがこめられていたのだった。北朝鮮を後進国として卑下されたという思いもあった。修正を求められたキャピトルレコードは政治問題に発展しかねないと発売中止を決断したのだった。
ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーたちは「悔しい」思いでいっぱいになった。そして、すぐさま、加藤和彦作曲・サトウハチロー作詞で代替曲を発表する。それが「悲しくてやりきれない」だ。25万枚の大ヒットとなったことは、逆に朝鮮半島分断の根深さを際だたせることとなる。そして、「イムジン河」は封印された。
京都朝鮮中高級学校では現在も「リムジン江」が歌い継がれている。音楽教師で在日二世のカン・イルスンが20年にわたって「祖国を知らない世代に伝えたい」と歌唱を指導している。
1959年から84年まで、「帰国事業」が推進された。「地上の楽園」北朝鮮に渡ることを、差別や貧困に苦しむ在日韓国朝鮮人や日本人妻に奨励した政策だった。日本に残る決断をしたカンは67年の京都勤労会館のザ・フォーク・クルセダーズ解散コンサートで「イムジン河」を聴き、「故郷を知らない自分たちの心を映している」と感動したという。
カンは教師をやめ、音楽家になった。そして、87年に京都市交響楽団が北朝鮮のピョンヤンとウォンサンで演奏会を開くことになったとき、引率を勤めた。演奏会はクラシック音楽中心だったが、アンコールで「リムジン江」を演奏することにした。このとき、メロディーだけのオーケストラ版「リムジン江」を編曲したのが、「イムジン河」発売に抗議をしたリ・チョルウだった。
気がかりだったのは、北朝鮮では忘れ去られた曲であり、観客に受け入れられるかという不安であった。実際、8月3日のピョンヤンでの演奏会では、反応が薄かった。「どこの曲?」と不思議な顔をする観衆が目についた。拍子抜けだった。
だが、8月6日のウォンサンでの演奏会では、全く違った。観客は立ち上がり、目に涙を浮かべていた。かつて日本で暮らし、北朝鮮に渡った在日の人、その妻たちの「故郷を思う気持ち」が伝わってきた。朝鮮半島分断によるもうひとつの悲しみを抱える人たちの心に「リムジン江」は響いたのだ。
「イムジン河」発売中止から30年以上経った2001年の紅白歌合戦で、韓国人歌手のキム・ヨンジャが「イムジン河」を熱唱した。1988年に開催されたソウルオリンピックの閉会式で歌った「朝の国から」が日本で大ヒットしたことをきっかけに、ヨンジャは活動の拠点を日本に移し、在日コリアンと交流する中で、「イムジン河」と出会った。
民族の別れを悲しむ歌は、親戚の離散家族がいるヨンジャの心を打った。「なぜ、分断されなくてはいけないのか。祖国統一の実現を強く望む」。ハングルと日本語をミックスした「イムジン河」をライブで歌唱するようになる。2000年6月、南北首脳会談が開かれ、翌年にはピョンヤンのコンサートに招待され、「リムジン江」を歌い、テレビで北朝鮮全土に放送された。
拉致被害者だった蓮池薫さんもこの放送を観て感動したという。学生の頃に聴いていた音楽が蘇った。鳥になって故郷に帰りたい…と思いが募ったという。その9ヶ月後に紅白でキム・ヨンジャが「イムジン河」を歌った。そして、02年3月にザ・フォーク・クルセダーズ版「イムジン河」が当時の音源のまま、CD発売され、その封印は過去のものとなった。
2002年10月、蓮池さんを含む拉致被害者5人が24年ぶりに日本の地を踏んだ。日朝関係改善に期待が膨らんだ。だが、04年の日朝会談以降、北朝鮮の核開発やミサイル発射などで、関係は悪化した。ヨンジャも「イムジン河」を歌いにくくなったという。「北朝鮮、韓国、日本、それぞれの国の事情で祖国統一は阻害されてしまうのか」。
ヨンジャは離婚などを経験し、韓国に戻って活動。だが、音楽業界はKポップ一色で厳しかった。しかし、2013年「アモール・ファティ」がヒットし、韓国の人気音楽番組にも出演できるようになり、そこで「イムジン河」を歌うと大きな反響があった。「民族の悲しみを代弁する歌の力を感じた。統一を願って、声が続く限り、歌い続けたい」と語る。
「イムジン河」発売中止のきっかけを作ったリ・チョルウは80歳を超えて、作詞家の松山猛に伝えてほしいと番組を通じてメッセージを送った。「あなたがリムジン江を翻訳したことを知り、感銘を受けた。嬉しかった。この歌詞の通り、朝鮮統一が叶えばと願っている。今の歳になって初めて素直になれた。感謝したい」。
自由な鳥のように、イムジン河を行き来できるのは、いつの日になるのか。朝鮮半島の統一、そして世界平和を願ってやまない。

