【アナザーストーリーズ】クイーン奇跡の21分間~ライブエイドの真実~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ クイーン奇跡の21分間~ライブエイドの真実~」を観ました。

1985年7月13日に開催されたライブエイドにおけるクイーンの演奏は今でも語り草になっている。それは73年にデビューし、次々とヒット曲を飛ばして一世を風靡したクイーンが80年代以降、人気に翳りを見せていたことに起因する。82年にアルバム「ホット・スペース」をリリースすると、そのパンクミュージックが反発を呼び、活動を停止。84年発表のブレーク・フリーのプロモーションビデオにおける女装が不謹慎だとアメリカでは放送自粛。さらに、その年の10月に人種隔離政策をしていた南アフリカでコンサートを開くと、それが差別反対を訴えるもので、収益は慈善団体に寄付されたにもかかわらず、袋叩きに遭い、国連のブラックリストに入ってしまった。

そんなときに舞い込んだライブエイドへの出演オファー。アウエーな環境で出演する自信がないメンバーは悩んだ。だが、ギターのブライアン・メイがこう言う。ライブエイドは音楽史上最も意義のあるイベントになるはずだ。私たちにできることをすべきだ。せっかくのチャンスだ。良心に恥じないように正しい判断を下そう。そして、ボーカルのフレディー・マーキュリーが「決まりだ。やるしかない」と決断した。

85年7月13日、ウェンブリースタジアムには7万2千人に観客が集まった。午後6時41分。クイーンの出番である。一曲目はボヘミアン・ラプソディー。ライブで演奏するのは難しい人気曲で幕開けし、「どうだ!これがクイーンだ!」と主張した。実はこの日を迎えるために、ロンドンの劇場を借り切り、3日間入念なリハーサルをおこなっていた。この会場に集まる観客は「必ずしも我々のファンではない」と考えたからだ。

そして、二曲目にレディオ・ガ・ガ。「クイーンの時代は終わった」と揶揄する世間の人たちを鼓舞するような選曲である。メンバーは観客の反応にナーバスになっていた。野外スタジアムで7月の夕方6時は観客の顔がよく見えた。観客が手拍子している。「うまくやれている。若い奴らに受け入れられている」。観客と繋がっていることを実感した。アウエーではない、と。

そして、想定外にことが起きた。熱気を感じたフレディーが勝手にアドリブで「エーオ!」と観客に呼びかけると、観客も「エーオ!」と応えた。数十秒間、フレディーと観客とのコール&レスポンスが繰り返されたのだ。ステージはこのとき、7万2千人と一体となった。

こうなったら、独壇場である。三曲目のウィ・アー・ザ・チャンピオンで興奮は最高潮に達する。中継を担当していたBBCの視聴者投票では、60%がクイーンを1番に挙げ、ダントツの人気だった。エルトン・ジョンもデビット・ボウイも「完全にクイーンにかっさわれた」と言った。こうやって、クイーンは再び音楽シーンの第一線に復活。それはまさに奇跡の21分間だった。

このライブエイドを主催したのは、ニューウェーブバンドのブームタウン・ラッツのボーカル、ボブ・ゲルドフだ。70年代後半にデビューしたボブは84年にエチオピアの飢餓を救うチャリティーソングをミュージシャンたちに呼びかけ、300万枚売り上げた。さらに寄付金を増やそうと企画したのが、ライブエイドで、イギリスとアメリカの二大陸を繋いで中継で交互に演奏することにした。有名ミュージシャンをノーギャラで精力的に出演交渉した。

このとき、ボブの頭にはクイーンはなかった。ニューウェーブが主流の時代に、作り込んだ難曲や凝った世界観を歌うクイーンは流行外れで、人気は下火だった。「クイーンは終わっていた」と振り返る。だが、プロモーターのハーヴェイ・ゴールドスミスが「クイーンを呼ぼう」と提案した。フレディー・マーキュリーには観客を盛り上げる力があると考えたのだ。

85年4月、ボブはフレディーに電話をして、駄目で元々と出演依頼をした。「君のために作られたステージだ」と社交辞令を言うと、フレディーは世界中の人々が観るということに興味を持ち、出演に前向き。そして、「わかった」と承諾した。

そして、7月13日。クイーンがステージに上がって演奏をはじめたのを観て、「最高だ!」と思ったとボブは振り返る。「虚飾を捨て去り、クイーンのエッセンスだけ残した」パフォーマンスに感激した。16時間にわたったライブエイドはイギリスとアメリカの16万人の観衆、それに110か国10億人を魅了し、1億ドルの寄付金が集まった。「ロックンロールこそ文化だった。今は音楽が背骨になれない。社会を動かせない」と嘆く。それでも、クイーンのギター、ブライアンはウクライナ支援や環境保護に力を注いでいる。社会貢献こそ、音楽の命だと語っているのが印象的だった。

フレディー・マーキュリー作詞作曲のボヘミアン・ラプソディー。ママ、たった今、人を殺してしまったよ。あいつの頭に銃を向けて、トリガーを引いたら死んでしまった。ママ、人生ははじまったばかりなのに。僕はすべてを投げ捨ててしまった。

この歌詞には様々な解釈がなされている。フレディーは個人的な問題の解決を図ったとか、この歌詞でゲイであることをカミングアウトしたとか。

1946年、旧イギリス領のタンザニア・ザンジバルでフレディーは生まれた。17歳でイギリスに移住。70年にメアリー・オースティンという女性と恋に落ちる。結婚したいと、同居生活が4年続いた。だが、フレディーはゲイクラブ通いを始め、男性に心がときめくようになり、同性愛志向に気づく。そんな悩んでいた時期にボヘミアン・ラプソディーを作った。そして、翌年にメアリーと同居を解消する。

何もたいしたことじゃない。わかりきったことさ。たいしたことじゃない。本当に僕にとってはたいしたことじゃないのさ。風はどこかに吹くのさ。

フレディーは歌詞の意味を誰にも明かさずに、91年11月14日にエイズ合併症でこの世を去った。ブライアンは歌詞に自伝的要素があり、内面が刻まれているとしながらも、こう訴える。メディアの勝手な憶測と戦ってきた。宗教や性的志向の憶測を持ってほしくない。ただ感じて、楽しんでほしい。すべての人に分け隔てなく音楽を届ける、それがクイーンのスタイルだ。

フレディーの死から30年以上経った今も、クイーンの人気は衰えていない。ロジャー・テイラーは「ポップミュージックは使い捨ての運命にある。でも、ずっと生き続けるものを作り出してきたつもりだ」。クイーンの音楽は決して色褪せないのである。