田辺銀冶・宝井琴凌俥読み「新吉原百人斬り」(次郎吉編)

新宿講談会「新吉原百人斬り」俥読み(次郎吉編)に行きました。
「お信殺し」宝井琴凌/「お紺馴初め」田辺銀冶/中入り/「次郎吉故郷帰り」宝井琴凌/「お紺殺し」田辺銀冶
「お信殺し」。野州佐野の医者・小松原祐喬の長男の次郎吉は遊びが過ぎて勘当され、焼金の鉄蔵親分の二階に厄介になっていた。次男の次郎三郎が家督を継ぎ、祐心という名前で医者になった。次郎吉は鉄蔵の助言で江戸本郷朝霞町で蕎麦屋を開業している佐野出身の仁右衛門のところに行き、修行して「真人間になる」ように諭される。鉄蔵の娘のお信と次郎吉は深い仲になっていたこともお見通しで、夫婦で江戸に出るように勧めた。
次郎吉は蕎麦屋で真面目に働いていたが、三か月もした頃に仁右衛門の父親が亡くなり跡目を継がなくてはいけなくなった。そこで、仁右衛門は次郎吉に店を任せたいと頼む。次郎吉夫婦はこれを引き受け、商売に精を出して、評判も良かった。ところが、次郎吉は博奕に手を出すようになってしまい、家の中はスッカラカンになってしまう。妊娠したお信は「佐野に帰ろうよ」と言い出す。
ある日、若侍が店に飛び込んで来て、「匿ってほしい」と頼んだ。主君のお手元金200両を盗んで、追われているという。何とか追っ手を振り切った侍は御礼に5両を胴巻から取り出し、次郎吉に渡した。甲州街道に出る道を教えてやり、侍は去って行く。岩代右京太夫の小姓で三田三四郎という名の侍、後にこの読み物の中心人物となる八ッ橋花魁は彼の娘である。
次郎吉は思い立ち、蕎麦切り庖丁を手拭いで巻いて懐に忍ばせ、三田の後を追った。オーイ!次郎吉は三田を背後から呼びかけ、猫又川の土橋のぬかるみにはまったところで、襲いかかり、馬乗りになって首を斬り落とした。胴巻を奪い、死骸は川に放り込む。そして、朝霞町に戻った。
「博奕で儲けた金」とお信に説明したが、胴巻を見たお信は次郎吉が悪い了見を起こしたことに気づく。「これで佐野に帰れる」と言う次郎吉に対し、お信は「人を殺して、金を奪うなんて」と恐ろしくなった。その晩からお信は悪夢でうなされるようになる。睨みつけたお武家が首を絞めつける。何日もそれが続き、げっそりと痩せてしまった。
次郎吉は「厄落としに行こう」と西新井大師の参詣にお信を誘い、お詣りが済むと料理屋に寄り、その後夜道を歩いて帰る。「近道だ」と言って、田圃の畦道を歩いているときに、突然次郎吉はお信を背後から襲い、手拭いで首を絞め、殺した。次郎吉は近所の人たちには「故郷に帰る」と言って、芝宇田川町に移り住んだ。
「お紺馴初め」。夜逃げ同然で芝宇田川町にやって来た次郎吉は手にした200両を博奕であっという間に使い果たしてしまう。近所に仙台様留守居役の渋江右膳の妾宅があり、お紺という元新橋金春の江戸節の芸者が住んでいた。ある日、お紺が井戸端に簪を落としてしまったのを、次郎吉が拾い届けたことがきっかけとなり、「一献差し上げたい」とご招待を受けることになる。右膳から礼金を貰ったが、それが縁となり、次郎吉とお紺は深い仲になった。
右膳は「悪い虫がついた」ことに勘付き、お紺にところに来なくなった。それをいいことに、次郎吉とお紺は夫婦同様の暮らしを始める。ただ、次郎吉は相変わらずの博奕場通い。家の中はスッカラカンになってしまった。お紺は「一度きりしか通用しないが、渋江の旦那にまとまった軍資金を調達してもらう。ただし、それで負けたら博奕はやめておくれ」と提案する。
お紺が渋江の屋敷を訪ねると、「顔を見るのも汚らわしい」と言われ、「一度きりの融通」ということで、10両がもらえた。すると、お紺は博奕に使うよりも、商売しようと次郎吉に言う。果たして、古着屋を始めることにした。四谷天満町一丁目に店を出すと、これがうまくいった。夢中で働き、儲かるようになる。
次郎吉が柳原で仕入れをした帰り道、昔馴染みの半次郎にぱったり出会う。「博奕はきっぱりとやめた」と言う次郎吉に驚き、部屋頭が心配しているから顔だけでも見せてやってくださいよと誘われる。次郎吉も「堅気になりました」という報告を兼ねて、挨拶に行くことにする。だが、部屋で「丁か、半か」と勝負をしているところを見ると、どうしても博奕を一回でいいからやりたくなる。「3両だけ」と賭けると、目と出て6両に。その後トントン拍子に勝って、18両になった。「ここでやめておけ」と部屋頭に言われ、2両の祝儀を切って、天満町に帰った。
このことをお紺に話すと、「博奕って、そんなに儲かるの?」とビックリ。そして、「古着屋をやめて、博奕を本業にすればいい」と言い出す。その気になった次郎吉だが、結局は一文無しとなって、元の木阿弥。そんなとき、お紺が頭痛がすると言って床に伏せる。鼻が詰まっていると言う。思い切り鼻をかめと次郎吉が言って、そうすると、イカの軟骨のようなものが出てきた。いわゆる「鼻の障子が抜けた」というやつで楊梅瘡、今で言う梅毒に罹っていたのだ。次郎吉は佐野に行って金の工面をするから、草津で湯治しようと提案する。お紺は「私を捨てるのでは…」と不安に思ったが、「とんでもない」と次郎吉は言って独り佐野へ向かう。
「次郎吉故郷帰り」。次郎吉は焼金の鉄蔵の許を訪ねる。「お信は産後の肥立ちが悪く、死にました」と涙を流して報告する。鉄蔵もこの嘘は見抜けなかった。樋口平右衛門が亡くなり、後家となったお直に婿入りの世話を鉄蔵は次郎吉にしてやる。野良仕事に精を出し、二人の間には次郎太郎という息子が生まれた。だが、次郎太郎が十歳のときに、鉄蔵が逝去。それを境に次郎吉のもったが病が顔を出す。博奕だ。女房お直の意見には耳も貸さず、家財道具をバッタに売っては博奕に明け暮れ、お直は病に伏す。新屋の叔父さんが新調してくれた布団も質に入れて、博奕に行くという体たらく。お直は次郎太郎に「お父っつぁんに博奕はやめてくれと伝えておくれ」という言葉を残し、首吊り自殺してしまった。お直の死骸を見て、「やりやがったな。面白くねえ」と反省しない次郎吉だったが、藁にくるまって寝た夜にお直が夢に出てきて、うなされる。次郎吉は「真人間になる」と心に誓った。
実家の小松原家を訪ね、弟の次郎三郎に「この息子の次郎太郎のために弔いを出す金を恵んでくれ」と頭を下げる。今は父の跡を継いで祐心という医者になった次郎三郎は、母が遺言で「次郎吉が了見を入れ替えたときに渡しておくれ」と託された50両、それに御仏前として10両の計60両を次郎吉に渡す。次郎吉は決して無駄遣いはしないと誓い、これを元手に絹商人となった。了見を入れ替えた印に名前を次郎兵衛と改め、地元では佐野のお大尽と呼ばれるまでになった。
「お紺殺し」。商いで江戸へ出た次郎兵衛は佐野に帰る途中、志村の坂で雪に遭い、戸田の河原で小屋に住む女乞食を見つける。可哀想に思い、お鳥目を渡そうとすると、その女乞食はお紺であった。お紺も気付き、次郎兵衛にかじりつく。「女乞食に知り合いはいない」と言うと、「お前に捨てられたお紺の成れの果てだ」。次郎兵衛は「あれは捨てたんじゃない。金の算段がようやく出来て、四谷天満町に行ったら、誰もいなかった。近所の人が『お紺さんはいなくなった』と言っていた。必死に探したが、見つからなかった」と弁解する。
今は佐野で「お大尽」と呼ばれるまでに出世したが、思い出すのはいつもお前のことだった、一目会わせてくれと浅草の観音様にお詣りを欠かさなかった、でも巡り会えて良かった、一緒に佐野へ帰ろうと次郎兵衛。これに対し、お紺はすっかり捨てられたと思った、私は馬鹿だ、恨んでいた、でもその話を聞いて未練はない、惨めな女を連れていったらお前さんに迷惑だろう、独りで帰っておくれと言う。
次郎兵衛が貰いっ子をしたと聞き、あれから18年、きっとおかみさんを持ったのだろう、円満な家庭に波風は立てられないと言うお紺。次郎兵衛は「カカアなんか貰っていない」と言うと、「本当かい?」と信じるお紺。瘡蓋で汚れた首を戸田川の水で洗い流した方が良いと言う次郎兵衛の言葉を素直に受け取り、お紺は川に身を乗り出す。次郎兵衛が帯で押さえておいてあげる。だが、さらにお紺が川面に近づいたときに、次郎兵衛はお紺の体を突いた。お紺は戸田川へドボンと落ちる。必死に岸に手を掛けるが、次郎兵衛はそれを棒杭で叩き落とす。もう浮かんでくることはなかった。
旧知の渡し守に頼み、向こう岸まで船を出してもらう。途中、川の真ん中で櫓に引っ掛かるものがある。それは眉間がザックリ裂けたお紺の死骸だった。渡し守は「河原にいた女乞食だ」。「成仏してくれ」と次郎兵衛は祈る。大宮の宿に到着すると、佐野からの急飛脚で「次郎太郎が松皮疱瘡になって命の危険がある」という報せが届いていた。今でいう天然痘だ。次郎太郎の命は助かったが、顔は醜いあばた面になってしまった。「お紺の恨みか…俺は何という子不孝な男だ」。
次郎兵衛は気が狂い、佐野家の離れに格子をはめて閉じ込められてしまった。それでも、次郎太郎は親孝行を尽くした。ある日、次郎兵衛は次郎太郎を呼び寄せ、小松原祐喬の惣領息子として生まれてから今日まで、人殺しを含め、いかに酷い悪行を重ねてきたかを語り聞かせた。それが今、因果応報として、このような姿になっているのだ、と。
そして、次郎太郎に言う。俺が死んだら、佐野次郎左衛門を名乗れ。困っている人を少しでも助けてくれ。それが俺を地獄の苦界から救ってくれる。そして、次郎兵衛は無惨な最期を遂げたという…。
実に聴き応えのある四席俥読みだった。

