浪曲定席木馬亭 天中軒雲月「佐倉宗五郎 妻子別れ」「若き日の小村寿太郎」

浪曲定席木馬亭四月公演三日目に行きました。

「名槍日本号と黒田節」天中軒かおり・伊丹けい子/「小平誕生ものがたり 九郎兵衛、村を拓くの巻」天中軒すみれ・佐藤貴美江/「重の井子別れ」富士綾那・伊丹けい子/「樽屋おせん」春野恵子・旭ちぐさ/中入り/「野狐三次 宇津谷峠」東家一太郎・東家美/「天明白浪伝 むささびの三次」神田阿久鯉/「上州侠客伝」港家小柳丸・佐藤貴美江/「佐倉宗五郎 妻子別れ」天中軒雲月・旭ちぐさ

すみれさんの「小平誕生ものがたり」。青梅街道沿いで“逃げ水の里”と呼ばれた荒地を開拓し、村を作りたいという小川九郎兵衛の情熱。それには用水路を引く必要がある。羽村から四ツ谷まで、江戸に供給するために工事が進む玉川上水が完成した暁には、北多摩にも水を分けてくれないだろうか。玉川兄弟に接触するも、「そんな相談はまさに我田引水、私利私欲だ」と拒まれるが…。

川越藩主の松平伊豆守は九郎兵衛同様、玉川上水の分水として後に野火止用水と呼ばれる用水路を引き、武蔵野の大地を潤し、人々の笑顔を見たいと考えていた。身分は違えど、いわば同志である伊豆守と九郎兵衛は熱心に玉川兄弟を説得し、ついに了承を得ることに成功する。

小川上水の完成によって小川新田が出来たように、将軍吉宗の政策として北多摩の各地に新田が生まれ、明治22年にはそれらが合併して小平村が誕生したという…。百姓たちの暮らしに潤いと笑顔を与えた九郎兵衛の熱量が伝わってきた。

一太郎先生の「野狐三次」。運命の巡り合わせが興味深い。大坂の商家で何不自由なく育ったお糸だが、三次への思い断ち難く、親に背いて婚礼の場を抜け出して三次のいる江戸へ向かう途中の宇津谷峠。だが、同行していた権次が悪党で、お糸の懐にある200両、三次から譲り受けた一寸八分の金無垢の観音像を奪おうとするだけでなく、「俺の女になれ」と要求し、命の危険にさらされる。

そのときに、窮地を救ってくれた男が磯五郎で、赤ん坊だった三次が浅草観音の賽銭箱の傍に捨てられているのを拾い、育てた三次の養父だった。一寸八分の観音像が何よりの証拠で、磯五郎が三次に持たせていたものだった。三次はに組の纏持ちをしているという。磯五郎とお糸は一緒に江戸へ向かおうとするが…。ここできょうのところはお終い。この後、また困難が襲ってくるという。いつの日かまとめて聴いてみたい。

雲月先生の「佐倉宗五郎」。江戸から一旦戻ってきた宗五郎が自宅の前で躊躇する心情がまず切ない。会えば涙が出てしまう。いっそ会わずに、このまま江戸へ戻ろうか。いやいや、そうじゃない。このまま江戸へ戻ったら、あとに残った妻や子に難儀がかかるだろう。会うが情けか、会わざるが情けか。

思い切って戸を叩く。妻が出てくる。「よくご無事で戻られた」。あとは言葉もなく、嬉し泣きする妻。子どもたちは休んでいる。「暫くお目にかからぬうちに、おやつれになったのでは…」。宗五郎は胸の内を明かす。380ヶ村、5万人の命を救うために、将軍家綱公が東叡山に墓参に折に直訴するつもりだという。磔は覚悟の上だ。暮れ六つから明け六つまでは船を出さない決まりになっている甚兵衛渡しのところで、甚兵衛が船の封印を切ってくれる約束をしてくれ、待っているという。

宗五郎は風呂敷包みに入った、妻への離縁状、そして4人の子どもを勘当する書面、そして僅かばかりの金を渡す。「お前たちに罪はない」という宗五郎に対し、妻は「夫婦というのはそういうものではない。生きるも一緒、死ぬも一緒、それが夫婦だ」と泣く。宗五郎は「泣いてくれるな。お前が泣けば、私の心も鈍る」。名残は尽きぬが、「さらば」と去ろうとすると、妻は抱いている乳飲み子を「一目見てやってください」。宗五郎は抱き、自分の顔と赤ん坊の顔を擦りつけ、思わず落とす一滴。

赤ん坊は火が点いたように泣きだす。ほかの3人の子どもも目を覚ます。「父ちゃま、待ってよ」「どこにも行ってくださるな」「坊も、あたいも一緒に」。回らぬ舌の意地らしさ。「いっそ、このまま留まろうか…いやいや、そうじゃない。5万の人々を救えない。ここが我慢のしどころだ」。すがる子どもの手を振り払う。声も次第に遠ざかる。恨んでくれるな。これがこの世の別れか…。親子の情愛をたっぷりと描いた雲月先生の素晴らしい高座だった。

浪曲定席木馬亭四月公演五日目に行きました。

「不破数右衛門の芝居見物」玉川き太・玉川さと/「古田織部」天中軒景友・佐藤一貴/「忠太郎月夜唄」東家孝太郎・沢村まみ/「大石の最後」真山隼人・沢村さくら/中入り/「心に灯火を」天中軒月子・沢村さくら/「吸血鬼譚 森を行く道」田ノ中星之助/「夢二の女」澤順子・佐藤一貴/「若き日の小村寿太郎」天中軒雲月・沢村さくら

隼人さんの「大石の最後」。肥後熊本六十五万石の細川の殿様が四十七士全員を受け入れたいと切願するほどの赤穂贔屓ゆえ、荻生徂徠の意見により全員切腹の沙汰が出たときの悔しさが伝わってくる。

細川は17人の赤穂義士を引き受けた。沙汰が出るまでの三か月、それは丁重にもてなし、大石内蔵助が「もっと質素にしてくれ」と言うほどだったという。富森助右衛門が赤穂に残した息子が帰らぬ父に思いを寄せているだろう、絵凧を送ってやりたいと言うと、世話役の堀内伝右衛門が浪士全員に絵凧を作れるように算段してあげるという計らいが素敵だ。浪士たちは思い思いに絵凧を製作し、筆を執る。

果たして、元禄十六年二月四日。助命嘆願も虚しく、浪士は細川屋敷で腹を切って果てた。大石内蔵助は心を乱しながら、最期を遂げた。これを見た細川越中守は割り切れぬ気持ちに苛まれたという。だが、床の間に飾ってあった17人の浪士の絵凧への寄せ書きを見て得心する。「見事なる切腹は殿御一任」。内蔵助の本心がわかったのだ。元禄十四年三月十四日、田村邸庭先にて儚く散った浅野内匠頭のことを思い、内蔵助はわざと心乱してこの世を去ったのだ。実は心は乱れていなかったのだ。あっぱれである、ゆかしき武士道である。細川の殿様は天を仰いで「そちの誠は汲んだ。許せ」。赤穂義士を最後まで敬った姿がそこにある。

順子先生の「夢二の女」。紙問屋の笠井家の一人娘、彦乃は許婚が決まっていたにもかかわらず、竹久夢二との恋文が見つかってしまい、父親の逆鱗に触れる。彦乃は「諦めました」と半年、一歩も家から外に出ないでいると、父親も外出および美術学校に通うことが許される。だが、それは彦乃の計略だった。

夢二と彦乃は夜汽車に揺られ、京都へ。夢二の絵にも新しい命が輝き、絵筆に冴えが出た。だが、彦乃に病魔が襲う。肺病は当時不治の病とされた。この情報は東京の笠井家に伝わり、父宗重は京都に駆けつける。「大事な娘をこんな体にしやがって!謝ってすむことか!」。笠井家の全家財を注ぎこんでも治すと言って、彦乃の手を取って東京に連れ帰った。夢二は彦乃の後ろ姿を見て、男泣きだ。

僅か四年の薄縁(うすえにし)。儚く死んだ彦乃は今も夢二の描いた絵草紙で優しく微笑み生きている…。切ないラブストーリーである。

雲月先生の「小村寿太郎」。牛込の仕出し弁当屋の魚平を9カ月騙し続けて迎えた大晦日。支払いの滞ったことに腹を立て、「伊達や酔狂で商売をしているんじゃない」と怒鳴る魚平を奥の間に通したときの、小村の覚悟。誰の目にも惨めな暮らしであることが判る。小村は藁畳に両手をついて涙を溢す。

長い間、あなたを騙して申し訳ない。これまでの一日一日が地獄の苦しみだった。三度三度の弁当は心楽しく美味しく食べたことは一度もなかった。直ちに訴えられて、縄目の恥辱を受けよう。もし許してくれるなら、再度国家に奉公できるまで待ってくれないだろうか。

これに対する魚平も義理人情のわかる男だ。「小村様が再び世に出る日まで、これから何年かかろうと、今まで通り弁当を必ず運んで参ります」。小村は感謝の露時雨、奥方もまた泣き崩れる。美しい場面である。

2年の歳月が過ぎた、明治20年。朝鮮内乱の大事件を報じる号外が出る。記事には小村寿太郎の名前が…。魚平の店に人力車で現れた小村。フロックコートに山高帽、大礼服に身を包んだ小村は魚平の手をしっかり握りしめ、「これもあなたのお陰です」。支度金五千円をそっくり渡し、「弁当代の一部として受け取ってくれ」。

こんな大金は受け取れないと言う魚平に、「何を言うのか。三年間のあなたの情けに比べれば、私はまだまだ恥ずかしい。この金は笑って納めてください」。さらに自慢の金時計も渡す。「これは寸志です」。身分を超えた友情に胸が熱くなる。