立川笑二真打ちトライアル「あたま山」「お菊の皿」「唐茄子屋政談」

「立川笑二真打ちトライアル~笑二十八番」初日に行きました。「あたま山」「崇徳院」「お直し」の三席。立川談笑師匠は「浮世根問」だった。
「あたま山」は笑二さん独特の「気持ち悪い」テイストに塗りつぶし、傑作に仕上がっている。ここで言う「気持ち悪い」は褒め言葉だ。梅さんが伯父さんの看病のために岡山に移り住んだとき、「さくらんぼが美味い」「近頃は種まで食べている」という手紙を受け取った竹さんが「そんなことすると腹の中で芽吹くぞ」と注意したが、「もう手遅れ。もっと早く知りたかった…」。慌てて岡山に駆けつけた竹さんが見たのは、満開の桜。嘘ではなかった!梅さんは「こんなになっちゃった。生え際、見る?竹さん、俺たち、友達だよな?」。
これを聞いた松さんは「俺も心配だから、岡山に行く」と言うと、竹さんは「その必要はない。今、俺たちが花見をしているのが、梅さんの桜だ」。頭から桜が生えている梅さんが、「こんなになっちゃった。松さん、俺たち、友達だよな?」。そして、梅さんは二人に頼む。「この桜の木を抜いてくれ。人が集まってくるわ、虫が落ちてくるわ、騒がしくてかなわない」。竹さん、松さんが力を合わせて抜いて、ようやく抜いた。だが、「体が軽くなった。ありがとう」と言う梅さんの頭には大きな穴が空いている。梅さんは手拭いを頭に載せて、帰って行った。
だが、折からの風雨。手拭いは吹き飛ばされ、頭の穴には水が溜まり、池のようになってしまった。「便利なんだ。こうやって、魚が捕れる…友達だよな?」。その“あたまヶ池”は珍しい魚が釣れると釣り人が集まり、船の上ではカップルがいちゃつき、夏には花火が打ち上がる。「うるさい!」と叫んで、梅さんはとうとう池に身投げして死んでしまったという…。
元々がSFのような不思議な古典落語ではあるが、それをさらに笑二さんが膨らませて、見方によってはコミックのような、ホラーのような世界を構築しているところに、笑二さんの真骨頂がある。
「お直し」の笑二バージョン。若い衆だった半次と遊女だった夕霧(お崎)の恋愛模様が最終的に冒頭にループして、証文を巻いて夫婦にしてくれた廓主人の壮大な一代記になっているという構造は傑作。これまでも何度か感想を書いているので割愛するが、今回お崎が蹴転(けころ)を始める決心をするところが、これまで以上に心に響いたので、それだけ記す。
「あなたは命の恩人。お前さんがいたから遊女だった私が命を繋ぐことが出来た。だから、お前さんが千住に女郎買いに行っても、博奕に現を抜かしても、借金の山を拵えても、意見ができなかった。でも、きょうからは違う。駄目な亭主と駄目な女房。同等だ。間違っていることは遠慮なく言わせてもらう」。
この覚悟で臨んだ蹴転商売なのに、半次は妬かない約束を破ってしまった。白粉がポロポロ落ちるのは判っていても、お崎は芝居として客に口先で気持ち良くさせていた。夫婦一緒にいられるように。このお崎の健気な気持ちに心を撃ち抜かれた。
「立川笑二真打ちトライアル~笑二十八番」二日目に行きました。「お菊の皿」「青菜」「唐茄子屋政談」の三席。立川談笑師匠は「親子酒」だった。
「お菊の皿」に笑二さんのカラーが色濃く染まり、素晴らしい。普通はお菊の幽霊を見たいという観客がどんどん増えて、イベントと化し、お菊もアイドルとして慢心する様子を核にする噺家が大半だが、笑二さんは最初にお菊を見に行った八五郎を主人公にしているのがすごい。
熊五郎から番町皿屋敷の話を聞いた八五郎はまず矛盾点を指摘する。青山鉄山はそんなにお菊のことが好きだったら、「皿を隠すより、まず襲え!」と言う。そんな乱暴な…と返すと、「最終的は殺しているじゃないか!」。お菊もお菊で、家宝にするような皿を預けられたら、「何かあるのでは?」と疑えば良かった、と。そして、青山鉄山に暇をもらって「次の奉公先を探せ!次が見つかるまでは、亭主の三平を頼ればいい…そんなに頼りにならないのか、三平は」。尤もである。
それでも、八五郎は熊五郎に連れられて皿屋敷に行き、お菊が井戸から出てくるのを見て、「綺麗な人だ!」。八五郎が仕事を休んでいると聞いて、心配した熊五郎が訪ねると、「お菊に会いに毎晩行っている。だから、昼間は寝ているんだ」。あれだけ文句を言っていたのに、すっかりお菊の幽霊にぞっこんになってしまうのが可笑しい。その理由は「人間の女は裏切るが、幽霊の女は裏切らない」。最近まで付き合っていたミー坊と夫婦になる約束までしたのに、「失望した。信用ならない」。幽霊は裏切らないというのは説得力があるなあ。
「唐茄子屋政談」。唐茄子を売り歩くのを「みっともない」と言ってしまった徳三郎に対し、叔父さんが「吉原で店の金を使い込んで勘当になる方がよっぽどみっともない」といのは理屈である。遊びたいなら自分で稼いだ金で遊べ。ごく当たり前のことだが、それが若旦那の徳三郎には判っていなかったのだ。
田原町で転んだときに助けてくれて、唐茄子を粗方売り捌いてくれた親切な男が「お前の叔父さんは鬼なんかじゃない。真面目に働いているという噂が親父さんの耳に入るように計らってくれているんだ」。そうなのだ。叔父さんも、そしてこの男も、皆徳三郎の身になって考えてくれているところに「親切」を感じる。
誓願寺店の貧しいおかみさんに売り溜めを全部渡してしまった徳三郎だが、因業大家は奉行からお咎めを受け、美談として噂になった。やがて親父の耳にも入る。「まともになったみたいだな」「金の有難みや人の情けの大切さが判りました」「そうだ。親切は必ず返ってくるんだ。勘当は解く。戻っておいで」。だが、徳三郎は「暫くは自分の力で稼ごうと思います」。ここまで描く噺家は少ない。笑二さんが従来の噺をさらなる美談にステップアップしているところに、才覚のある人だなあと感心した。


