伝承の会 神田陽乃丸「エディット・ピアフ物語」田辺凌天「夫婦相撲」一龍斎貞寿「天野屋利兵衛 雪江茶入れ」

「伝承の会」三日目に行きました。

「八百屋お七」旭堂南明/「出世の高松」一龍斎貞司/「エディット・ピアフ物語」神田陽乃丸/「本能寺」一龍斎貞鏡/「夫婦相撲」田辺凌天/「新八丈島物語」神田紅純/「天野屋利兵衛 雪江茶入れ」一龍斎貞寿/「徂徠豆腐」旭堂南舟/「大岡政談 人情匙加減」宝井琴鶴/「忠臣二度目の清書」田辺凌鶴

陽乃丸さんの「エディット・ピアフ物語」。エディットの波瀾万丈の生涯をドラマチックに描いて、聴き応えがあった。サーカス団の軽業師の父と路上歌手の母の間に生まれたエディットだが、母親が育児放棄。父親の実家が経営する売春宿で娼婦たちが母親代わりになって可愛がってくれた。父親が大道芸人として稼ぐが、その日暮らしで、野宿することも多く、食べる物に困ったエディットは路上でフランス国家を歌い、投げ銭を貰って稼ぐことを覚える。「私には歌がある」。自分の才能に気づき、父親の許を去り、独立する。

ルイ・デュポンという青年と初めて恋をする。十七歳のルイは十五歳のエディットに「僕と一緒になってほしい」と求婚され、二人の間にはマルセルという名の女の子が生まれた。だが、二歳でその子が亡くなると、その悲しみを乗り越えられずに、二人は別れてしまう。

ジェルニーズというナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレがエディットの才能を見出し、店で歌わせる。その歌声は大評判となり、「小さい雀」という意味のラモール・ピアフという名前でフランス全土で公演、レコードデビューも果たす。だが、ルプレは銃殺され、エディットはまたもどん底に。

だが、レーモン・アッソーがエディットの歌手としての勉強や立ち振る舞い、礼儀などを仕込み、20歳でエディット・ピアフとしてツアーをおこなう。有名になると、自分を捨てた母親が金をせびりに来るが、エディットは気丈に突き放す。25歳のときにナチスドイツがパリを陥落すると、レジスタンス運動にも参加し、若手育成に尽力する。

32歳で「バラ色の人生」を引っ提げて、アメリカ公演。ニューヨークでもエディットは「魂を揺さぶる歌声」と賞賛され、次から次へと観客が押し寄せ、一週間の予定だった公演は四カ月にも及んだ。

そんなときに出会ったボクサーのマルセル・セルダンと恋に落ちる。くしくもマルセルという名前は幼くして亡くなった娘と同じ名前。マルセルが「僕は殴れば殴るほど優しくなれる。孤独との闘いなんだ」と言う。なぜ悲しい歌ばかり歌うのかと問われたエディットは「私は歌えば歌うほど優しくなれる」と答えたという。

「愛の讃歌」が出来たとき、エディットは嬉しそうにマルセルに「今の気持ちを歌にした。聴かせたいから、早く帰ってきて」と言うと、マルセルは「僕のためではなく、皆のために歌ってほしい」と返した。ところが、マルセルがエディットの許に行くために乗った飛行機が墜落。エディットは半狂乱になったが、公演は中止せず、「きょうはマルセルのために歌わせてください」と「愛の讃歌」を歌いあげた。

その後、エディットは薬、酒、煙草に溺れ、モルヒネ中毒になった。自分を産んだ母親が「いつかお前も私のようになる」と言い捨てた言葉が甦った。復帰公演は決まったが、体力は衰えていた。45歳。パリで歌った「水に流して」の歌詞は滲みる。人生は何度でもやり直せる。悲しいこと、悔しいこと、心残りなこと。すべては水に流そう。私は私だもの。きょうから新しい人生がはじまるのさ。

晩年、エディットは20歳年下の恋人テオ・サラドに見守られ、「私の人生は幸せだった」と言って、この世を去った。47歳だった。田辺鶴英先生の創作をしっかり自分のものにして読んでいたのが良かった。

凌天さんの「夫婦相撲」。大坂相撲の大関、綾川豊吉と女房お春の二人三脚にほっこりする高座だ。綾川の贔屓である伊勢屋忠兵衛が「江戸の横綱の不知火に勝ってほしい」と願う。綾川はすでに三十七歳で力士としてのピークを過ぎており、そろそろ引退したいと考えていたが、年寄株を買って相撲の頭取になれるか、将来に不安を持っていた。伊勢忠は売りに出されていた酒屋の河内屋の権利の手付を打っており、「不知火に勝ったら、お前に河内屋の権利をやる」と綾川に言う。

願ってもないチャンスだが、不知火の強さにはとても敵わない。綾川はこのことを女房お春に相談すると、勝ち目があると言う。お春は江戸相撲の立行司、式守式部の娘。実は不知火が左足を負傷しているという情報を持っていて、右の足取りにいけば勝てると綾川に檄を飛ばす。そして、夫婦で足取りの稽古を積む。

六日目結びの一番で、果たして綾川は不知火を足取りで破った。だが、綾川は不知火を訪ね、「卑怯な手を使ったことを許してくれ」と謝りに行く。そして、「二度と相撲は取らない」と言って、目の前で剃刀で丁髷を落とした。この心意気に不知火は感銘を受け、「大坂相撲のために尽力してくれ」と言って、年寄稲川の名跡を渡す。「頭取になって、一緒に働いてくれ」。不知火も一年後に引退し、年寄湊を襲名、元綾川の稲川とともに相撲発展に尽くしたという。一方、綾川の女房お春が河内屋の切り盛りをして、こちらも大層繁盛した…。ハッピーエンドな読み物を愉しんだ。

貞寿先生の「天野屋利兵衛」。利兵衛の武士と変わらぬ浅野内匠頭への忠義心が美しい。宝物蔵の風入れで大切にしていた雪江茶入れが紛失したとあっては、当番だった磯貝十郎左衛門と貝賀弥左衛門の責任となり、腹を切らねばならない。それは赤穂藩にとって大きな損失だから、自分が盗んだと嘘をつき、わざと濡れ衣を被って身替りになろうという心意気はそう真似ができるものではない。

実際は紛失でも、盗難でもなく、内匠頭が「人の目を楽しませるための宝物。蔵に仕舞っておくのは惜しいと持ち出した」と言って、「余の手元にあるぞ」。そして、内匠頭は利兵衛になぜ嘘をついたのかを問う。利兵衛の赤穂藩を思う気持ちに触れた内匠頭はさぞ感激したであろう。利兵衛の手をしっかりと握り、「町人にしておくには惜しい男である。家臣になり変わって死するという、そちの志は生涯忘却せぬぞ」。

内匠頭と利兵衛の間に家臣同様、いや家臣以上の信頼関係で結ばれた絆があったからこそ、仇討本懐を遂げるために利兵衛は尽力し、見事討ち入りが成功したのだなあと思う。貞寿先生はその後の「男でござる」パートもダイジェストで読んで、聴き応えのある30分に仕上げていたのが良かった。