三遊亭円楽芸歴25周年記念落語会「中村仲蔵」「文七元結」「宗珉の滝」

三遊亭円楽芸歴25周年記念落語会初日に行きました。「七段目」と「中村仲蔵」の二席。ゲストは立川志の輔師匠で「メルシーひな祭り」、開口一番は三遊亭好二郎さんで「熊の皮」だった。

「中村仲蔵」ネタおろし。丁寧に演じていた。歌舞伎役者の階級を稲荷町(下立役)、中通り、相中、名題の四段階としていた。仲蔵は七歳で中村伝九郎に弟子入りして、子役として活躍したが、十五歳で一旦歌舞伎を離れ、十九歳で戻って来て稲荷町からスタートしたとしている。

中通りに昇進した頃から物語を始める。次の狂言が決まっても「どうせ、申し上げます、だろう。馬鹿馬鹿しい」と書き抜きを神棚に放り込み、内職の楊枝削りを熱心にしていた。あるとき、座頭の四代目團十郎を前にして、台詞を忘れてしまい、咄嗟の機転で花道から團十郎の傍に行き、耳元で「親方、台詞忘れました」と言う。これを團十郎は「役者は頓智が利かなくちゃいけない。大したものだ」と評価したことを契機に、仲蔵は可愛がられ、成田屋の家に居候することが許され、実子の高麗蔵(後の五代目團十郎)と切磋琢磨して、相中に昇進した。

そして、「鎌髭」の狂言のときに主役の團十郎演じる不死身の六十六部への歓声と同じくらいに仲蔵の演じる髭を剃る役の演技が喝采を浴び、團十郎はこれまで以上に「この野郎は大したものだ。いい度胸をしている。こいつを名題にしないと歌舞伎界の大きな損失となる」と考え、周囲の猛反対を押しのけて仲蔵を名題に抜擢する。血筋も家柄もない仲蔵抜擢はみっともないという連中に対し、團十郎は「お前らみたいに実力もないのに文句を言うことの方がよっぽどみっともない」という理屈、もっともだ。

仲蔵に対する嫌がらせ、意地悪は当然あった。だが、仲蔵はそれをはねのけるように与えられた役を一生懸命勤めた。「寿曽我対面」で仲蔵は工藤祐経に「釣狐」の要素を加え、狐の面を被って登場しようとした。すると、狂言作者の金井三笑が「狐の面を首からぶら下げて、途中で面をつけるよう」助言したが、仲蔵はこれを無視し、最初から面を被って登場した。三笑は「生意気だ」と怒り、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言の配役で、仲蔵に五段目斧定九郎一役という仕打ちをする。弁当幕の間抜けな役で、相中が演じる役を振ったのだ。

だが、仲蔵は挫けなかった。柳島の妙見様に日参し、良い工夫を授かるように祈る。そして、にわか雨で入った蕎麦屋で出会った浪人風の侍からヒントを得て、斧定九郎の風体に工夫を加え、女房のおきしに「これでやり損なったら、上方で修業のやり直しをする」と覚悟を伝え、実行する。山崎街道二ツ玉の場。観客は「今度の定九郎は様子が違うぞ」と、余りの良さに息を飲み、水を打ったように客席が静まり返った。掛け声が掛からないので、仲蔵はやり損なったと思い込んだ。

帰宅すると、女房おきしに「やり損なった。生きているのが嫌になった。死にたい」と言う。すると、おきしは「一遍やり損なったくらいで弱音を吐いてどうするの。上方で修業し直せば、またやり直せるよ。それまで待っている。死ぬなんて言わないでください」と励ます。

家を出た仲蔵は芝居が終わり、帰り道の客の噂話を耳にする。「定九郎が良かった。斧九太夫の息子という絵解きを仲蔵が見事にしてくれた。錦絵から抜け出したような定九郎だった。生きていて良かった。これを観なかったら、江戸っ子の恥だ」。これを聞いた仲蔵は「明日もやってみよう!」という気になり、自宅へ戻る。すると、師匠の伝九郎が呼んでいるという。

伝九郎が言う。えらいことをしてくれたな。見物衆は大喜びだ。さっき、成田屋の親方が早駕籠で来て、言っていた。「あいつならば、今までにない定九郎をやってくれると信じていた。それをやってくれた。鼻が高いよ」。四代目團十郎と仲蔵の関係を軸にした、およそ1時間の長講は聴き応えがあった。

三遊亭円楽芸歴25周年記念落語会二日目に行きました。「紙入れ」と「文七元結」の二席。ゲストは春風亭一之輔師匠で「堀の内」と「百年目」、開口一番は三遊亭萬丸さんで「平林」だった。

「文七元結」。佐野槌の女将の長兵衛に対する言葉は厳しくもあり、優しくもある。「大層忙しいんだって?屋根屋に商売替えしたって?毎日めくってばかりだそうじゃないか」。女将の横にいるお久に長兵衛が「なぜ何も言わずに佐野槌さんに来たのか」と言うと、「この娘に小言を言うなんて、罰が当たるよ」。

父親が仕事もせずに博奕にはまり、負けて帰ると母親に八つ当たりして、打ったり蹴ったりする。借金も溜まって首が回らない。私を買ってください。そして、元の通り夫婦仲良く、仕事をするように意見してください。お久に女将は懇願され、もらい泣きしてしまったという。「この娘にそんなことを言わせて、恥ずかしくないのかい。孝行な娘と働き者の女房がいながら博奕にうつつを抜かすなんて。コテを持たせたら右に出る者はいない腕をしているお前さんは何が不足で女房子を泣かせるんだい」。

仲間に誘われて軽い気持ちで始めた博奕、ついつい深みにはまって、大きく勝たないとどうにもならなくなってしまったと頭を下げる長兵衛に対し、「いくらあったら立ち直れるのか」と女将は訊き、50両を貸すから来年の大晦日までに返せば良いと手を差しのべる。「その気になれば返せるよ。その気になるんだよ」と言って、亡くなった旦那の羽織の端切れで作った財布に50両を入れて渡す。情の深い女将である。

しかも長兵衛のことをしっかり考えている。「この娘はうちに置かせてもらうよ」。一度覚えた博奕の味はなかなか忘れられないもの。今は50両借りたい一心で必死かもしれないが、仲間に誘われて再び博奕に手を出したら元の木阿弥ということを判っているのだ。店には出さない。習い事一通りを仕込んであげる。素敵な女将だ。そして、釘を刺す。「でもね、来年大晦日を一日でも過ぎたら、私は鬼になる。店に出す。客を取らせる。そのときに私を恨んでもらっちゃ困る」。そして、長兵衛にお久に対して御礼を言わせる。

戸惑いながらも、長兵衛は言う。「お久、ありがとう。お前のお陰で50両借りることができた。すまないな、迷惑かけて。博奕をやめて、一生懸命に働く。辛抱しておくれ」。お久は殊勝だ。「私のことは心配しなくて大丈夫。もう二度と博奕はしないでおくれ。おっかさんは癪持ちだから、時々背中をさすってあげて。打ったり蹴ったりしないで、ちゃんと働いておくれ」。「てめえのガキにこんなことを言われるようじゃおしまいです」と言う長兵衛に、女将は「辛抱するのはこの娘じゃない、お前さんがするんだ」。涙が零れる。

そして、吾妻橋。水戸様のお掛け50両を掏られて「死んでお詫びをする」と言う文七に、長兵衛は「死んで花実が咲くものか」と説く。主人は話のわかる優しい旦那なら、帰って正直に話せばきっと許してもらえる。正直に奉公してきたなら、今までのお前が試される。少しずつ返せばいい。

だが、文七は「小僧じゃない。おめおめと掏られましたと店に帰れない」と頑固で、助けてくれる両親ほか身寄り頼りもないと言う。長兵衛が「目を見せろ」と言うと、なるほど「飛び込もうというツラをしている」。どうしても死ぬのか。50両なければ死ぬのか。そう念を押すと、「わかった。この財布に50両入っている。持って行け!」。

戸惑う文七に対し、この50両の出所を説明し、「だがな、お久は死ぬわけじゃない。お前は死ぬと言うから、やるんだ」。少しでも済まないと思うんだったら、店の隅に棚を吊って、金毘羅様でもお不動様でもいいから祀って、「今年十七になるお久が悪い病に罹らないように拝んでくれ」。そう言って、「頂くわけにはいかない」と言う文七に向かって、財布を投げつけて走り去って行った長兵衛は本当の江戸っ子だ。なかなか出来ることではない。

佐野槌女将と長兵衛、二人の心底に相通じる“人の情け”に感じ入った素敵な高座だった。

三遊亭円楽芸歴25周年記念落語会三日目に行きました。「うつけもの」と「宗珉の滝」の二席。ゲストは神田伯山先生が「忠僕元助」、国本はる乃さんが「雷電初土俵」(曲師・玉川鈴)、坂本頼光先生が「国士無双」。開口一番は三遊亭こじ坊さん(円楽次男)で「味噌豆」だった。

「宗珉の滝」。腰元彫りの名人、横谷宗珉に勘当された弟子の宗三郎が紀州の宿屋の岩佐屋主人のサポートを受けて、見事に開眼して二代目宗珉となるまでの出世物語を丁寧に演じていて良かった。

宗三郎が一文無しで泊まった岩佐屋主人は見る眼があった。勘当の原因となった虎の彫金を見て、「この虎は死んでいる」と言う。そんなことを言ったのは師匠とあなたの二人だけだ、あちこち旅してきたが皆褒めてくれた、だがあなたは違う。宗三郎は岩佐屋に「私の師匠になってくれ」と頼む。岩佐屋は「私は素人。見当違いのことを言うかもしれない」と言うが、宗三郎は「見たまま、感じたままを率直に言ってくれれば良い」とお願いする。宗三郎は岩佐屋の空き部屋を仕事部屋にして居候させてもらい、修行のつもりで、彫っては見せて感想を言ってもらうことを繰り返し、上達していった。

紀州で800石の留守居役を勤める木村又兵衛が、岩佐屋で修行する宗三郎を知り、「年は若いが見所がある」と紹介され、仕事を廻してくれるように依頼する。だが、この頃から宗三郎に気の緩みが出ていた。「これくらいでいいだろう」と精進しなくなった。そればかりか、それまで断っていた酒を飲みはじめ、赤い顔で仕事をするようになっていた。

紀州の殿様から、木村を経て「刀の鍔に那智の滝を彫ってほしい」という依頼がきた。岩佐屋は喜び、水垢離をして臨むように言うと、宗三郎は精進潔斎など不要だ、仕事場に酒を運んでくれ、飲みながら仕事をすると言う。少しばかりすると、「出来た」と彫金を持ってきた。岩佐屋は「大したものだ」と感心するが、宗三郎は「百両貰ってください」と大きく出る。だが、これを殿様に見せると、「いかん。かようなものは当家に置けない」と言って、地面に叩きつけてしまった。そして、「これを彫った者にもう一度彫らせよ」と命じた。

岩佐屋は「今度こそはしっかり頼むよ」と言うが、宗三郎は相変わらず「酒の勢いで彫ってみせますよ」。案の定、第二作も殿様は気に入らず、泉水に放ってしまったという。そしてまた、「これを彫った者に彫らせよ」と命じた。岩佐屋は「とんだ見込み違いだった。どうか、他の職人に任せてください」と言うが、「いや、今一度彫ってみよ」との仰せである。

岩佐屋は酔っ払っている宗三郎に対し、怒った。「酒はいいかげんにしろ。いつになったら、目が醒めるんだ。少しばかり腕が上がったと慢心して、酒を飲みながら仕事をして、良いものができるわけがない」。世間からは飲んだくれの面倒をいつまでも見ている岩佐屋のことを「変わり者」「物好き」と陰口を叩かれる。それもこれも「収まってもらいたい」という一念からだ。「うちから出ていてくれ。お前が悪いんじゃない。酒が悪いんだ。了見を入れ替えるなら、乗りかかった船だ。面倒を見る」。これを聞いて、宗三郎は「失礼しました」と出ていってしまった。

宗三郎は「世話になった岩佐屋さんに恥をかかせてしまった。合わせる顔がない」と思い、三七二十一日の間、断食をして、滝に打たれることにした。覚悟を決めたのだ。これを知った岩佐屋は自分も断食をして、権現様に日参する。そして、二十一日後に宗三郎は岩佐屋に戻り、「頭に滝が浮かんでいる。すぐに仕事に取り掛かりたい」と部屋にこもる。

七日七晩。八日目の朝。「出来ました。これで駄目なら、腹を切って死にます」と宗三郎。その出来栄えを見ると、前の二作よりも見劣りがする。岩佐屋は心配だったが、恐る恐る木村又兵衛を通じて殿様に見てもらう。すると、殿様は「見事だ。名工の作だ。買い求める」。宗三郎と岩佐屋は目通りが叶い、宗三郎は紀州公お抱えの100石取りの腰元彫りとなった。

だが、岩佐屋は合点がいかなかった。「なぜ?」。木村氏を通じて訊くと、「これを手に持つと冷たく感じる。紙の上に置くと、滝のしぶきでビショビショになる」。まさに奇跡の仕事である。噂は江戸の横谷宗珉に伝わり、大層喜び、勘当が揺れた。宗三郎は二代目横谷宗珉となって後世に名を残す名人となったという。聴いていて気持ちの良い名人伝だった。