【アナザーストーリーズ】3年B組金八先生~時代に切り込んだ学園ドラマ~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 3年B組金八先生~時代に切り込んだ学園ドラマ~」を観ました。
ドラマ「3年B組金八先生」が放送を開始したのは1979年10月26日。僕は当時ちょうど中学3年生で、尚且つロケの現場が僕の住んでいる足立区千住だったので、非常に親近感を持って観たのを覚えている。武田鉄矢が演じる桜中学の国語教師・坂本金八が受験戦争、姓教育、校内暴力、ひきこもり、いじめ…といった社会問題に体当たりでぶつかっていた姿は思春期の僕たち世代に大きな影響を与えた。名作ドラマだ。
武田鉄矢は1949年、福岡生まれ。72年に海援隊としてデビューし、74年に2枚目のシングル「母に捧げるバラード」がヒットして、紅白歌合戦にも出場している。だが、それ以降は「鳴かず飛ばず」だったという。その一方で77年の映画「幸福の黄色いハンカチ」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞し、その体当たりの演技が評判となった。
「金八先生」のドラマが企画されたとき、その「泥臭い」役者が脚本家の小山内美江子の目に止まり、武田鉄矢を担任教師に起用する。だが、生徒役は素人同然の棒読みで武田はビックリしたという。そこにはドラマ制作者の狙いがあった。今の中学生の「リアル」を追求したい。撮影も長台詞、長回しを意識した。
武田は出身大学の福岡教育大学の恩師に「教育は子どもが見るか、見ないかだ。子どもは教師を見抜く。お前は良い教師になれる」と言ったことを思い出した。武田は「先生になろう!」と思い、生徒に歩み寄った。撮影以外の時間も役名で呼び、親近感を作り、距離を縮めた。初回の放送の視聴率は16.6%。上々のスタートだった。
だが、女子生徒の妊娠が発覚する回が放送されると、TBSには苦情の電話が殺到した。武田は怯まなかった。劇中の台詞は感動的だ。「今、教師は逃げ出したらいかんのです。何が悪いか、何を大事にしなきゃいけないのか、教えてやらなきゃいけない。僕は不器用だから、ちゃんとできないかもしれないが、僕は真正面から子どもたちと話し合っていくつもりです」。ドラマを非難する声よりも、支持する声が多くなっていった。
毎回、テーマごとに主役が変わり、クラスの中にも地殻変動が起きたという。子どもたちの中に自分は俳優なんだという自覚が生まれてきた。視聴率は裏番組の「太陽にほえろ」を抜いて、25.9%を記録した。
そして、撮影をリハーサルなし、ぶっつけ本番にすることにも挑んだ。「先生が泣くのは簡単だ。生徒を泣かせてほしい。もはや、ドキュメンタリーになっていた」と武田は言う。受験戦争と自殺をテーマにした回の武田の台詞は圧巻だ。
いいか、みんな。勝手に死んだらいかんのだぞ。先生はあえて死者に鞭を打って言わせてもらいます。たったひとつ、躓いたくらいで死ぬ奴は弱虫なんだ。
武田の気合いの入ったメッセージは生徒たち、さらにスタッフの心を打った。命懸けの演技だった。そして、第1シリーズ最終回の視聴率は39.9%に達した。
脚本家の小山内美江子は1930年生まれ。映画の記録係から脚本家になった。32歳で息子の利重剛を出産、間もなく離婚した。打合せ、取材、そして執筆と大忙しの小山内だが、剛への母親として愛情はたっぷりだったという。剛が中学に入学し、校則で坊主頭を強制されると、小山内は抗議した。剛が中学を卒業すると、「脚本作りに協力してほしい」と言ってきた。剛は「嘘のドラマはやらないでほしい。共感できるドラマを作ってほしい」と言ったという。そして、小山内はリアルな中学生活を取材した。そして、劇中の生徒一人一人に名前と個性を与えた。
女子生徒の妊娠が発覚した回では、中絶ではなく、産む決断をさせる。そのときの金八の台詞。「お前たちという存在はごく稀にしか生まれてこなかったんだぞ。稀にしか生まれてこなかった命を粗末にするな。大切にしてください」。そこには小山内の母としての強い思いがあった。
1980年初頭、校内暴力が社会問題となり、第2シリーズのテーマにすることにした。直江喜一演じる加藤優が「腐ったミカン」と呼ばれる名作だ。加藤は卒業式前日、学校に立てこもり、母親を侮辱した教師に謝罪させるが、警察に連行されてしまう。金八にこう言わせた。「我々はミカンや機械を作っているんじゃないんです。我々は人間を作っているのです」。
そして、釈放されて戻ってきた加藤に対し、金八はビンタをする。ビンタはアドリブだった。直江は「ビンタをするべきだ。あれがないと先生は英雄になっちゃう」と振り返った。警察にまで乗り込んで生徒を救おうとする金八を問題視する声もあった。「あれは理想論だ」と揶揄し、冷ややかに言う人もいた。教育評論家の尾木直樹は「それこそ、教師の本分です。子どもに対する心意気を感じる。それを忘れたら、サラリーマン教師になってしまう」。
「3年B組金八先生」は2011年まで、34年間続いた。そして、そこには小山内美江子の丹念な取材があった。第4シリーズでは、第1シリーズで生徒が産んだ子供が16年後に3年B組の生徒になる設定にした。その生徒は「なんで俺を産ませたんだ」と金八に抗議する場面がある。そのときの金八の自問自答の台詞が素晴らしい。
もしかして、俺は命の尊さを説くという美談に酔いしれて、15歳の少年と少女にとんでもない負担を背負わせたのかもしれない。そして俺はその息子にも同じ負担を背負わせている。
小山内は常に苦悩し、もがきながら、学校教育と向き合い、筆を執っていたのだろう。2024年、94歳で逝去。一人一人の生徒が全員主役の学園ドラマはこれからも語り草となっていくだろう。


